となりの雑談 Ep.29「困難乗り越え物語」心に刺さりまくったので、書き起こす!

生きずらい私にとって、神回だから文字起こしします!

スーさん:
さくちゃん前にさ、
『自分の物語の設定を固定すると、それに沿って進んでしまうから、疑う力を使ってそれは本当にあなたの望む物語?と問うようにしたい』ってツイートしてたでしょう。

さくちゃんは自分をどうゆう物語だと思ってたのかとおもって。
今は直して軌道修正していくってあったけど、
私の物語はこうなんだと思うことがあったのかなって?

さくちゃん:
昔?はもっとわかりやすく、
私はだめで不幸だみたいなことではなくて。。
中学生くらいからさ、みんなが通るじゃん?
本当のお母さんじゃないのかもとかさ

スーさん:橋の下で?とか(笑)

さくちゃん:
そうそう、そいうう物語を一回通るみたいなことがある。
そうじゃなくても、大人になってから設定は困難を乗り越える物語だったな

スーさん:
あー。。。はいはい、いいじゃん?とおもったのだけどちがううんだ?

さくちゃん:
困難を探し出すのよ、そうすると。

スーさん:
えーー?困難あればこその人生みたいになっちゃうってこと?

さくちゃん:
うん。そんなつもりはないんだよ
困難どこだ?って思ってるわけじゃないんだけど
設定が困難に立ち向かい、乗り越える人生だから、
乗り越えられないよりいいんだけど、わざわざ大変なとこにいったりとか・・。

スーさん:
まじか?
そっか、物語とは設定と背景が必要だからそっちにひっぱられるんだ・。

さくちゃん:
そうそう、意志をもって大変なほういかないと、許されないまでとは思ってはいないけど、
今思うとわざわざいかんでもと思うことか?
ドラクエみたいな
「立ち向かう」「逃げる」の選択肢があった場合、逃げるの選択肢がないみたいな

スーさん:そっからどうやって、疑う力でこれじゃない!にしたの?

さくちゃん:
なんかこんなに大変なことやってるのが馬鹿らしくなってきたの

スーさん:その『馬鹿らしくなる』のは結構ハードル高くない?

さくちゃん:
私一人だったたらどうだったかわからないけど、
自分の子供が全然違うキャラだし、なんか呑気なのよ。
世界を信用しきっているっていうか、楽しそうなの。
いわゆるお花畑でスキップ系、おとぎ話の登場人物みないな子で
いいよな。そのほうがいいよなって思って。。

でもおなじ世界を生きてるし、そうあるべきだなとか他人のおかげで思えたた。

スーさん:
そうか。自分が生んだ子供にも関わらず、自分とあまりにも性格が違うことで、こっちのが楽しそうだなって素直に思えたんだね。

さくちゃん:
思えたね。私のおかげ感もなくはないけど、親の影響的にはそう育てたつもりでもあるけどね。世の中こわくないよって

スー:
言ってよね。子供はこうだからこそ、大人になったらこうしたほうがいいよねってさ

さくちゃん:
そうだね。自分がなんでこうなったのかって、いわゆる土グループって
生まれつきじゃないよって、スーさんもいうけどさ、
じゃあなんでそうなっちゃったんだっけ?っていったら
なんらかの環境とか、自分以外のものでなってるから


なりたくなくてもそうなっちゃったのは自分が一番わかってるから。

子供のころは選べなかった環境。
でも大人になっても選べない側だと思ってると変わらないからさ。

スーさん:
難しいよね。そこ抜けていかないとさ。
最近、よく思うんだけどさ、報われないタイプの人がいるといういことを
世の中の現実にあって、そうなのかと思ってたけど
たぶんある程度までは解消できるんだよなと意見が変わったんだよね、私の中で。

あの人いつも得をする、損するとか報われる、報われないタイプあるけど、結構システムチックな話で、まず人の見ているところでそれが発露しないとだめじゃん。
だけど、人が見てるか見てまいが、同じように結果が出るための努力をしてないとダメじゃん。
よく、人の何倍頑張ってみたいなこというと、プレッシャーになる人もいるけど、別に昼夜を忘れろってことじゃなくて、
集中できること、興味があって馬鹿みたいって思わなくて済むような方向に自分をもってけてると、確固たるものとしてさ、報われるようび向かってくんだよね。

最終的ににだれといるかってことが結構大きいよね

同じことやってても馬鹿にされたり、評価されあなかったりが当たり前と思ってても囲んでくれる人が変われば、
新しいチャンスになってびっくりするような厚遇をもらえたりすることがあるんだよね。

漠然としたものだと思ってたけど、、、
清潔感とかさ言われることってほつれたものを着てないかとか、
髪の毛が痛んでないかとか、爪が切られてないかとか退色したもの着てないかとか大人の話だけど、その辺のスナップボタンを留めていくと結構いけるんだなって。
でもこのスナップボタンを自分で止められないといけないんだよね。

さくちゃんは自分の物語を変えて、スナップボタンを押し始めたら
回つてきたってことよね?

さくちゃん:
そうだね。設定が『困難乗り越え物語』の中での
頑張るって
困難を乗り越えることをがんばっちゃう。

スーさん:
ひたすら我慢しちゃうとか?

さくちゃん:
そう。頑張ってるのに報われない!は何をがんばるのが
そもそも違う。設定ごと変えないと。
例えば、自分を幸せにするためお物語に切り替えたら、
そこでの頑張りは困難乗り越えじゃないから、やることが変わるんだよね。

スーさん:具体的には?

さくちゃん:
前は嫌なことを我慢して頑張る大会だったけど、
自分を幸せにする大会の設定だと、我慢を探すんじゃなくて
単純に楽しいことを探して、自分が喜ぶことをするでしよう。


人からするとそんな楽しいことカウントしませんとかいわれても
自分の中ではそれを頑張らないといけないの。

スーさん:
熱中症といっしょかも!
今の時代熱中症ってリスクじゃん?
休むことが一番の最善策にも関わらず、休むことに罪悪感をもってたり、
頑張れる自分が好きだつたリすると、頑張っちゃったりするんだよね。

さくちゃん:あー。頑張れてないって責めたりね。

スー:そう。だけど。
熱中症になるから休んでもらわないと困るとよということは
ここ数年で浸透してきたじゃん。
でもこの意識のチェンジって大変だったと思うんだよね。

さくちゃん:
暑くてバテると情けないみたいな、
自分が体力ないからとかね。

スーさん:そう。でも努力して我慢するもんじゃない!
熱中症になるよ、呑気なこといえないよってしてかないとさ。

さくちゃん:
勇気いるけどね。さっていままで違う物語の自分を否定するようになるじゃない。

スーさん:
うん、なんかさ友達と話してたんだけど、
それはリアルなのかフィクションなのかって話でさ。。

理想郷があるとするじゃない、
理想郷は今の時点ではフィクション。目指したいリアルね。
それを今あるリアルとして捉えると、現実が間違いになっちゃうんだよ。

つまり、今はフィクションだけど私はそれを目指したい、構築してかなえたいものとみるか。
これがあるべきリアルで、今が間違いととるかで、
目指していく時の気持ちの持ちようがちがうよね

さくちゃんはリアルだと思ってたわけじゃん。
無理をして設定クリアしてくっていう我慢努力物語を。
それはリアルだと思ってたけど、それってもしかしたらフィクションだったかもね。
自分のなかでつくったリアルで。目指さなくていいフィクションなんだよね
なにをリアルとするかは自分次第で、結構怖い話だよね

さくちゃん:
そうなんだよね。
自分にとってはリアルと思いこんでる。
よくいうじゃん。とわいえ現実は厳しいんでみたいなことだよね。。
でもそれってほんとに現実かしら?ってことある。

スーさん:
『とわいえ現実って厳しい』ってさ
実は二種類あるよね。
厳しくて世知辛くて、変えられないものそれがリアル。
っていう捉え方と、
今これこういう状態だけど、問題があるから変えていこうねって
チェンジできるリアルとして捉え方と。

こうあるべきで、固定されたフィクションなのか
これをリアルにすることができると考える、
「道」があるかないかなのかな

うまく言語化できないけど
フィクションとリアルに捉えれて、
それが足かせになっちゃうときあるなって。

さくちゃん:
どっちもあるね
現実にとらわれすぎて変えられないって思いこんじゃうこともある。


来週の配信が楽しみ・・・♪

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?