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我が祖父

私が幼少期のころ、母方の祖父と同居していた。小1からである。それまでは両親、兄、私の4人家族で暮らしていたが、2人姉妹の長女である母は、祖父に丸め込まれて同居という運びになった。そう、その、母の父、私の祖父もなかなかの強者であった。
祖父は若い頃からお酒が好きだったらしい。しかし、かなりの健康志向であったため、夕飯に熱燗1合1本とお猪口なみなみについだ酒、というのがお決まりの量だった。せんべい屋を営んでいたがリタイヤし、自分の畑を持ち野菜を作ることに命を燃やしていた。なので私は子どもの頃新鮮な美味しい野菜を沢山食べされてもらった。祖父は小柄ながら筋肉隆々で、小さなシュワルツネッガーと密かに呼んでいた。もちろん私だけだが。
なぜ、祖父が強者かというと、私の母をやきもきさせていたからである。我が家は一度、竜巻の被害に遭い家が全壊した事がある。新築2年目の悲劇であった。祖父は「夢みてえだ…夢みてえだ…」と立ち尽くし、母は祖父が勝手に変えた保険に手を震わせていた。祖父は勝手に、保険料の安い、何の保証もないものに誰に相談するもなく変えていたのである。そして、竜巻によってその事実が明かされてしまった。保険はおりず、借金だけが残ったそうな。
祖父と母は、関東だが東京に行くにはしんどい距離のとある田舎に住んでいた。幼い頃から家事手伝いをし、大学に入っても一人暮らしは許されず、まだ電車も不便なところから東京に通っていた。そしてついに倒れた。やっと、一人暮らしが許されたらしい。どうやら、この辺りから、とうとう祖父に対して恨みつらみの心が芽生え始めていたらしいのである。

祖父の介護

祖父は、とても自立した人で、朝ごはんは自分で用意し、自分の部屋と自分の服は自分で洗濯していた。悪くいうと何でも自分でやらないと気が済まない人だった。元気だった祖父も、年にはかなわない。だんだんと出来ない事が増えていき、鍋の空焚きなんかが増え、母は全く気が抜けなくなった。ある日、祖父が部屋でずっと立っていた。そして、その横には倒れた掃除機。母がたまたまそこを通り過ぎた。「何やってんの?」祖父は黙ったまま。プライドが許さなかったらしい。
母曰く、祖父は膝が痛くてしゃがめなかった。しかし掃除がしたかった。しかし掃除機が倒れてしまった。そして、拾えない。そこには倒れた掃除機と老人が立っていた。
母は、「おじいちゃん、取ってって言やいいのにさ。言いたくないのよ。お礼絶対したくないの。掃除だってこっちがするんだから、余計な事しくていいのに」と言っていた。長年の恨みつらみが親子をこのようにしたのである。


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