くすのきみかん

ふとした時に昔のことをよく思い出します。なんかちょっと変な人が集まってた?そんな楠木家…

くすのきみかん

ふとした時に昔のことをよく思い出します。なんかちょっと変な人が集まってた?そんな楠木家の思い出。 父)超せっかち。ころころ言う事が変わる。AB型 母)毒親気質。祖父と仲が悪かった。ハマると一途。O型 兄)影薄い。歴史好き。A型 私)気が強い。故に母と衝突する。B型

最近の記事

強風恐怖症

今住んでいるマンションは、風が吹くと普通より大袈裟に軋む気がする。寝ていても、メキメキとか、ビューッという音で起きてしまう。台風なんて来た時には怖くて怖くて、ずっとトイレにいたいとさえ思う。 なぜか。 それは、私が小3の時に我が家が竜巻で全壊したというトラウマがあるからだと思っている。 あれは、30数年前の12月中旬。時刻は午後7時15分ごろ。 兄は2階で、母にめちゃくちゃ怒鳴られながら宿題をしていた。その母の声がうるさくて、私は1階のダイニングで1人、サザエさんを見

    • せっかちそして変わり者の父

      1人暮らしをしていたので、時々父と、東京駅あたりでランチをすることがあった。 ある日ランチを2人でしていると、父が、 「まぶたの上、ゴミついてるよ」と言った。 私は慌てて鏡で確認した。 私「ねぇ、これ、ほくろなんだけど」 「・・・」沈黙。 父は言うことがコロコロ変わる。 私が結婚したばかりのころ、お正月とか、叔父さんのとこにも時々顔出してあげてー、と言われた。なので、私の叔父の家に挨拶しに行ったことを父に報告すると、 「わざわざ行かなくていいから」 と言ってき

      • 私のおばあちゃん

        父方の祖母は、背が130センチくらいの小柄な人だった。逆に祖父は180センチくらい。 祖母は面倒見がいい人だったのだと思うが、まだ子どもだった私にとっては小言がうるさいと感じることが多かった。 祖母は、叔父夫婦と住んでいた。社会人になり、家族と遊びに行ったときのこと。 おやつはケーキ。 私「おばあちゃんのケーキこれね。さぁ、食べよう?」 祖母は動かない。耳が遠くなってるからかな? 私「おばあちゃん、どうしたの?食べないの?」 すると私の従姉妹が言った。 「おば

        • 夏休みの思い出

          30年以上前、小学生だった私の夏休みといえば、昼にそうめんと焼き茄子。そして、祖父、母、兄と、みのもんたの「午後は丸々思いっきりテレビ」夏の特番"あなたの知らない世界"を観るのが大好きだった。心霊評論家みたいな、新倉イワオ氏が超印象に残っている。 ずるずるずる、とそうめんを少しずつすすりながら、固唾を飲んで怖いTVに食いついていた。めちゃくちゃ怖かった。でも観ずにはいられない。 あの頃は宜保愛子さんとか、夏といえば怖いTVがたくさんやっていて、本気で1999年に何かあるん

          母とビーフジャーキー

          私が社会人なりたてのころ、父方の法事があり、父の実家の近くのビジネスホテルに家族で泊まったときのこと。 私は母と同室。私はオーストラリア旅行に行って来たばかりで、お土産にビーフジャーキーを買ってきた。 私「これ、お土産。ビールと食べよう。先にお風呂入ってくるから出たら一緒に乾杯しよう」 母「うん」 お風呂からあがり、さて、ビールで乾杯〜とルンルンであった私。 ん??ゴミ箱に見た事のある殻が捨ててある。 そう、ビーフジャーキーである。 私「ねぇ。食べたの?お風呂の後

          母とビーフジャーキー

          母の生き甲斐

          母は、インディアカというスポーツを30年以上続けている。インディアカとは、バレーボールに似ているが、ボールは、おやきのようなものに、羽が突き刺さったような羽??を、手でパーンと羽子板みたいに相手のコートに打つようなスポーツだと認識している。市民体育館での習い事の一つで、母は30年経った今も最年少らしい。チーム名はアップルズ。 活動は週2回。そして、土曜日のインディアカの後は、必ずココスに行くのがルーティーン。 ココスのスタッフの方はこの面々を見ると、ささっと席をつなげ、い

          ペットのはなし

          私は子供のころ、犬が飼いたかった。しかし、絶対的権限を持っていた祖父(現役時代)は、犬はダメだと言った。 私は諦めずに交渉し、では鳥ならいいと言われた。そして、祖父と兄とペットショップへ行き、ジュウシマツのツガイを買ってもらった。小さくて可愛い鳥で、毎日可愛がっていると、卵をどんどんと産み、気付いたらめっちゃ増えた。 祖父はペットは絶対家の中には入れてはいけない、という人だったので、車庫に鳥籠を置いていたら、猫に襲われるようになった。 祖父は鳥籠を車庫の天井高くに吊るし、猫

          ペットのはなし

          せっかちな父

          父はせっかちだ。会社に行く時も、毎朝始発で行かないと気が済まない。そんなことは、子どもの頃どうでも良かったが、大人になってからせっかち、に何度か振り回されたことがある。 私は1人暮らしをしていた。ある日父から休日に一緒にランチを食べようと誘われた。両親は千葉。私は東京。12時に千葉のそごう待ち合わせだ。何時の電車で、何時に着くよ。と父にメール。「はいよ〜」の返信。 そごうのとあるレストランに着いた。そこには、両親、兄がすでにいる。 「パパ達ね、もう食べたからね。コーヒー

          祖父と母

          祖父の介護時代、母は積年の恨みつらみとともに日々の生活を送っていた。 ある日、祖父の片目から血が溢れ、なに?なにこれ??ってくらい大変なことになっていたらしい。母は慌てて祖父を病院に連れて行った。待合室にて、やはりそんな祖父の様子にみんなヒソヒソしている。ここは田舎の病院。 もちろん祖父は何があったのかなんて、説明しない。プライド高いから。 結局、医者に言われて観念した祖父曰く、畑仕事がしたかった。そして、お手製ビニルハウスの竹がしなって祖父のまぶたの二重のところに、見事にシ

          うちの母君

          もう自分の年齢の3分の2は実家の親元を離れて暮らしている。一緒に暮らしている時は気付かなかった、または息苦しかったことが、親と離れてみて客観的に見れるようになると冷静に分析出来るものだ。話が少し飛ぶけれど、私は占いが好きだ。沖縄の那覇、国際通りにある、沖縄出身のお友達のお母さんゴリ押しの占い師さんに、「あなたのお母さん強すぎ。一緒にいると仲良くなれない。離れてる方がうまくいく」と言われた。すごく腑に落ちた。私はもう絶対に実家に住むことはない。でも私に子どもが産まれて、1ヶ月は

          我が祖父

          私が幼少期のころ、母方の祖父と同居していた。小1からである。それまでは両親、兄、私の4人家族で暮らしていたが、2人姉妹の長女である母は、祖父に丸め込まれて同居という運びになった。そう、その、母の父、私の祖父もなかなかの強者であった。 祖父は若い頃からお酒が好きだったらしい。しかし、かなりの健康志向であったため、夕飯に熱燗1合1本とお猪口なみなみについだ酒、というのがお決まりの量だった。せんべい屋を営んでいたがリタイヤし、自分の畑を持ち野菜を作ることに命を燃やしていた。なので私