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40代の一般人が恋愛小説を書くということについて考える。

私は40代で、いくつか短編小説を書いていて、どうやら恋愛小説がメインになっている。そもそも小説を書いてネットの世界の不特定多数の人に読んでもらうというのは初めてのことなので、こっ恥ずかしいにもほどがある。

この「こっ恥ずかしい」という感情も含め、少し思うところを整理してみようと思う。

プロの恋愛小説家であれば、40代であろうと50代であろうと、どんな恋のストーリーを書いても「こっ恥ずかしい」にはならない。身を焦がすような切ない言葉でも、激しい濡れ場でもなんだって許される。だってそれを書くのがプロだから。

ところがどうだ、私のような一般人が書く恋愛ものは、極めてこっ恥ずかしいと言わざるを得ない。なんというかただの妄想癖みたいな風にもなる。

だが物語を想像から生み出しているとはいえ、まったくの未体験のことから広げているわけではない。つまり、私が作る小説のどこかしこには自分が生で経験した感情が入っていたりする。むしろ入っていないと何も読み手に伝わらない。

例えば、本当にきつい失恋をしたことがある。浮気されたとかそういうことだ。彼を忘れるのには長い時間を要した。そのときに感じた嫉妬だとか苦しみだとかを土台にして物語は生まれてくる。

あちらのシーン、こちらのシーンとまじりあう場合もあるけど、私は長い話を書く技術が今はたぶんないので(というか短すぎる)、1つの場所で1つの感情を軸にザーッと物語を広げている。

さっき投稿した短編小説「独白」なんて、物語ではなく本当にただの「独白」で、シーンどころか感情だけで成り立っている。

誰かを想う気持ちや、恋の苦しさ、そういった感情を軸にした恋愛小説、これを40代主婦が他人様にさらけ出すのは、こっ恥ずかしいだけでなく、なかなか恐ろしい行為だ。

家族にも知られないように覆面で書いているから書けているけど、もし例えば子供に私が特定されたら、どうもこうもない、やばいとしか言えない。

子供が、自分の母親があんなこっ恥ずかしい恋愛小説を書いていると知ったらどうだろうか。子供の友達が「お前の母ちゃん、すげぇこと書いてるな」なんて言われて恥ずかしい思いをするんじゃないかと想像すると、これはもう私だけの問題ではない。

さらにもし夫が私の書いた小説を読んだとき、もしかしてリアルの私の感情なのかと疑うだろうし、こんな恥ずかしい投稿を妻がするのを許さないと思う。

私がプロの物書きではないからだ。

それともう1つ、母親であることの足かせについて。

どうも私たち女性は母親になったとき、母親であることを求められ、女性であることを禁じられているように思う。こうした恋の感情は「母親なのに、はしたない」と見なされているんじゃないだろうか。

私は母である前に女性でいたいと思っているし、妻である前に女性でいたいと夫に話したこともある。それは子供を優先しないとか、女を優先するとかそういう話ではない。ただ女性をやめたくないんだ。

かなり年配の人で、それこそ老人ホームで恋愛のもつれでどうの、といったニュースを見かけることがある。若い人からすると、「よくそんな年齢で」と思うようなことだと思う。私も正直、ちょっと思う。

でもたとえ周りから「女性としての期限は過ぎた」と思われてしまうような歳になっていたとしても、もし既婚者であったとしても、誰かに恋したい気持ちを持っている人はたくさんいると私は思う。ただそれを公にできないだけだ。

私はここでチャレンジをしている。何かわからないけどチャレンジを続けている。逃げたいと思いながらも書きたいと思い、こうして正直な言葉を残している。

なんというか、こっ恥ずかしい小説も椿の1つのチャレンジなんだと温かい目で見守っていただけたらありがたい。

そして、これは夫に向けた言葉でもある。あなた、よく言うじゃない、何事もチャレンジすべきって。

1580文字

#エッセイ #恋愛小説 #チャレンジ

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