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子どもの気持ちより守りたい校則って?

不登校真っ只中にいる中1の次男が、入学してから初めて朝スクールバスに乗って学校へ行った。

彼は学校へ行ってない間に髪を金髪に染めていた。もう1ヶ月くらい経っているので、金髪であることに違和感はなくなっているけれど、送り出したあとで、学校行けば相当目立つかも…と少々の不安が頭をよぎる。それでもやっと自分で動き出した次男に、まずは「よく来たね」と言ってもらえるだろうとたかをくくっていた。それが甘い考えだったことを、学校からの電話で思い知らされる。

学年主任からの電話は、初っ端から「金髪のまま登校させるとは、どういうつもりですか?(言い回しは柔らかかったけど中身はこんな印象だった)」と。登校してすぐに、金髪で校則違反のままでは他の子供たちと過ごすことはできない、と告げられ、別室で髪の色について色々と言われたらしい。「彼は涙ぐみ「帰る」と言っていますが、お母さん、どうしましょうか?」と。スクールバスは下校時間までないので、村内巡回バスで帰ることに。クラスの何人かが来て話せたらしいが、教室には行かせてもらえなかった。

不登校だった子どもがどんな思いで学校に来たのか、どれほどの勇気がいったか、そこに考えが及ばなかったのだろうか、と残念でならない。金髪の次男を他の生徒たちから遠ざけた判断は、校長、生徒指導、学年主任も交えての話し合いによるものだったらしい。まるで犯罪者みたいな扱いを受けた次男の心はズタズタに引き裂かれ、「もう2度と学校行かない」と言っているし、ありのままの次男を全否定するような学校には2度と行かなくていい、と思っている。

私が中学生の頃には、金髪=不良というイメージがあったけれど、それは遠い過去の話で、髪の色を変えるのは自己表現の手段の一つに過ぎない時代になっているというのに。

次男が学校に行けなくなった理由は分からないけど、これまではエネルギーを貯めると行事には参加できて、エネルギーを使い果たすと行けなくなる…という具合だった。中学に入学してからも、平日は一人だけれど、週末は近所の仲のいい子たちと遊べるのを楽しみに過ごしていた。こうして少しづつエネルギーを貯めていたのだと思う。

数日前に、「今度の水曜日、学校行こうかな」と言い出した。あまり期待はせずにいたのだけれど、昨日の夜「明日は行くことに決めた」と決心したように言うので、「時間割分からないけど、どうするの?」と聞くと、自分で友達に電話して時間割を聞き、教科書を揃えた。早起きするためにいつもより早く布団に入り、普段は9時頃まで寝ているのに今朝は5時に起きてきた。スクールバスのバス停まで歩いて10分弱。ちゃんと間に合うように出て行った。

金髪のまま登校するほどの度胸があるとは思ってもいなかったので、校則違反をものともしない次男を誇らしくさえ思っている。「他の生徒の手前、校則違反を許しておくわけにはいかない」という先生の事情もあるのだろうけれど、まずは、やっとの思いで登校した次男を無条件に受け入れてほしかった。一日クラスで過ごさせてほしかった。そのあとで「次来るときは黒髪の方がいいかな」でも遅くなかったんじゃないか、と思う。

放課後、担任から電話が来た。いろいろ言い訳のような説明をしていたけれど、金髪のままでは登校してはいけないそうだ。もう行くことはないだろうからその心配はない。「社会のルールを守ることの必要性を分かってほしかった」らしい。私からは「そもそも多様性を認めようという社会の中で、髪の色を規制する校則自体が時代錯誤だと思います。その校則がいつの時代に何のために作られたのか、今の時代にそれが本当に必要なのか考えるきっかけにしてほしいです」と話した。期待はしていないけれど。

子供の気持ちを傷つけてまで守りたい校則って、一体誰のため、何のためにあるのだろう...。

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