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大学共通テストで浮き彫りになったこと①

https://diamond.jp/articles/-/255997

ダイヤモンドオンラインからの抜粋記事である。昨年からの流行病の話題にも触れているが、大学入試そのものの制度に疑問を呈しているものとなっているため、今回紹介することにした。

1.センター試験より難化した共通テスト
前評判通り、共通テストは比較的難しいものとなったようだ。センター試験に慣れてしまった浪人生にとっては厳しいものとなったに違いない。また、現役生でも準備を怠った者は絶望の淵にいることだろう。そもそも英語や国語はコミュニケーションツールなのだから、リーディング能力をもっと測るようになったとしても、それは当たり前のことである。自由に読み書きできなければ、言語として身につかない。今回の共通テストの切り替えは良かったと私は考えている。それを踏まえた上で、今回の新大学入試制度導入によってセンター試験以前から日本の大学入試制度が抱える問題点が浮き彫りとなった。

2.悪しき伝統【指定校推薦(現:学校推薦型選抜)】がもたらす不均衡
日本の大学入試は一般選抜だけでなく、各学校の成績だけで内定がもらえる制度がある。それは高校によって大学から割り当てられた席を各校内で配分し、小論文と面接または面接のみ、大学によっては書類選考だけで内定をもらえる仕組みである。内定は10月以降にでるため(今年度から12月以降)、一般選抜で受験勉強に勤しむ受験生よりも早く合格が決まってしまうようなものである。内定といってもよほどのことがない限り取り消しにはならない。これを昨年度までは指定校推薦(今年度からは学校型推薦の指定校枠)とよんでいた。彼らは秋に大学の内定が出るために、その後の高校生活はバラ色に変わってしまう。アルバイト・運転免許・カラオケにゲーム、インターネットあらゆる娯楽を大学合格までに遊び尽くす。それだけならまだしも、高校の授業中に居眠りはもちろん、休憩時間のバカ騒ぎで一般選抜生との諍いは毎年の恒例行事のよう・・・・・・少なくとも私の近隣の自称進学校では毎年のようにこのことが問題となる。ハメを外しすぎたバカ学生が学校内はもとより街中を我が物顔で歩き回るものだから、始末が悪い。躁鬱病かと思うくらいの高揚感がいわゆる【おふざけ】では済まない事態を時折招く。深夜徘徊の補導。家出や非行。大学入学まで周りにいくら迷惑をかけても許されると思っているのだろうか。彼らの頭の中は幼稚返りしたかのよう。
大学側でも指定校推薦など合格を早期に出したところは事前課題などを与え、少しでも勉学に勤しむような施策をとっているのだが、はっきりいって無意味である。彼らの緩みきった緊張感は決して戻ることなく、4月を迎えることになる。そこではもう手遅れなほどに一般選抜の学生との差がついているのである。それは基礎教養科目とりわけ英語科目により顕著に表れる。一度勉強をシャットダウンして数ヶ月が過ぎると、大部分を忘れているのである。もしくはもともと覚えていないか・・・・・・いずれにせよ、指定校推薦で大学進学を決めた学生は大学生活をすんなりとスタートできない、もしくは多くのハンデキャップを背負ってスタートしなければならないのである。

3.指定校推薦の功罪
勿論、指定校推薦で入学した大学生全てが勉強不足だとはいわない。ただ、地方の高校から大学に進学する一部の学生にはおおっぴらに出来ない受験事情があるのだ。そもそも大学を調べない。なんとなくで大学を決める高校生が未だに多い地域もある。そういった高校生はA大学とB大学の違いが分からないため、受験に対するモチベーションが高まらない。結果、大学の指定校枠に飛びつくのである。「まか、ここでいいか」
とぼんやり決めた大学に対して向学心があるわけもなく、ただ、「内定」を得るためだけに生徒会に入り、そして学校の先生の覚えが良くなるよう委員会活動に従事する。そもそも高校の定期試験自体が学校によって千差万別で難易度も大きく異なる。

「こんな問題、授業聞いてれば出来るよ」
「この先生、いつもワークの写ししかテストに出さないから、暗記すればなんとかなる」

手間をかけずに試験を作った結果、彼らが教えた生徒たちは歪な「試験勉強」を身につけることになる。しかし本来の勉強の「理解する」はどこへやら。
いつの間にか
「問2はア」など、選択問題を暗記することに熱心になり、実際それが成功してしまうと味をしめる。
学校側も定期試験の結果を受けて成績を算出するものだから、好成績になるのだ。昨今、指定校推薦が大学への近道だと知る高校生は受験勉強よりも高校の試験対策に重きを置き、全国模試などは一年から受験しない。もともと、一般選抜はする気がないからである。自分の高校の先生の特徴さえ掴めばそれでいい評定がとれるから。しかし、それは本来の学習とは違う、暗記の亜種のようなものである。

確かに学校の定期試験に身が入るようになる指定校推薦制度は基礎基本の面では大きな役割を果たした。しかし、学問を志す者としての姿勢は何十年にもわたって等閑にされ続けたのである。


4.私立大の定員厳格化でも守られた指定校枠
数年前から、私立大学の超過合格が問題となり、定員の厳格化が関東一円でしかれた。名目は地方の大学の活性化であるが、一方で大学生の質の向上が議題にも上がっていた。結果としてAO入試」や公募制推薦の競争率はあがり、合格しにくくなった。一般選抜も以前よりだいぶ倍率が上がり、偏差値50の日東駒専も今では偏差値55~60以上の難関校となってしまった。それだけ優秀な人材が集まるという観点で見れば、この傾向は良い方向に向かっていると言える。しかしながら、このような状況下でも指定校枠は守られ続けた。
そして一部の学生にとって大学入試は歪に変容していったのである。

「学校の試験さえ何とかすれば、あとはどうでもいい。模試とか落ち込むだけだし」
「先生にはごますっとけ」
「ポイント稼ぎのために生徒会入ると校内選抜は有利だよ」

以上のセリフは実際の高校生から出たものである。果たしてどのセリフに学問を志す意識が垣間見えるのだろうか。どれも見るに耐えない下衆の極みではないか。
他の先進諸国で必死に学ぶstudentとは明らかに異なる異様な生態がここにある。

十数年前から言われ続けている「大学生の学力低下」の主な主犯はこいつらなのでは?とさえ考えてしまう。

さて、長くなりそうなので、この記事は②を設けよう。以下続く・・・・

福島県のどこかに住んでいます。 震災後、幾多の出会いと別れを繰り返しながら何とか生きています。最近、震災直後のことを文字として残しておこうと考えました。あのとき決して報道されることのなかった真実の出来事を。 愛読書《about a boy》