高校世界史教科書で学びなおす歴史学習メソッド(2024年/令和6年改訂版)
0. 2024年02月上旬の世界史トークから
2024-02-05月 16:00時ごろ、下記のようなTweet (post) がありました。
(スタ・エレ/ @Bt1THS9XFohvr93 さんの歴史学習関連の書き込みに対して、@Simion_Sin さんが半端な歴史本に頼ることのリスクに触れた、という流れです。)
2人が触れている #こねくと とは、2023年から『たまむすび』の後継番組として始まったTBSラジオの平日午後枠の番組『こねくと』のことです。月曜1600時台のアンケート企画で、「学校の教科で学びなおすならどれ?」という質問があり、その中で歴史の学び直しに話題が派生したということですね。
ところで、自分は14年前に、「高校世界史はこうやって学びなおすと良いよ」という連投をして、それを Togetter にまとめてもらったことがあります。
ここで書いた手法とは、要するに下記のとおりでした。
山川出版社が当時刊行していた『詳説世界史B』を買い、まず通読する(最低2周)。
その内容を、(a) 【通史】(b) 【テーマ史】(各国史/地域史/概念別)(c) 【論述】という観点に対応できるように考えながら、さらに何周も読解する。
当時から「そんなことが簡単にできるやつは最初から頭ええわ!」というツッコミを貰った方法ですが、少なくともこの方法の一部でも掠った状態で学習することが、“なんだかんだで近道だ”という考えは、ほとんど変わっていません。
しかしながら、この手法について述べたのは2010年です。今は2024年(02月)、14年もの月日が経ってしまいました。基本的な考えは変わっていなくても、教材事情にはどうしても多少の変化があります。そうした点について、一応補足をしておいたほうがいいのかな、と思い、noteに書き出しておくことにしました。
なお、@tricken は歴史の専門家ではありません。ただし高校公民科第一種を持っている(まま今は普通に民間で働いている)程度の人です。また、学習塾/家庭教師/大学(講座)での指導経験がそれぞれありました。指導側としてはそのくらいの塩梅ですので、世界史学習は趣味人枠でやっているものとして、話半分で読んでください。
I. 山川世界史には2024年現在、2つの系統がある
2024年時点で「山川の高校世界史」と言った場合、それは1つに絞り込むことができなくなりました。
ひとつは2022年度から世界史Bの後継単位として始まった「世界史探求」に対応する教科書、『世界史探求 詳説世界史』(世探704)です。
そしてもう一つは、「世界史B」単元があった頃から刊行され、「世界史探求」単元でも後継版として再編された、『世界史探求 新世界史』(世探706)です。
どちらも文章としては良く練られていますが、多少のアプローチの違いはあります。
『詳説世界史』の方は、世界史B時代の『詳説世界史B』と限りなく同じ体裁・文体・編集方針を保ちながら、その内的な歴史語りの論理をグローバル・ヒストリー側に(つまり、欧米列強中心の史観に偏りがちだった過去の山川世界史の記述から多少なりとも脱するように)再編するような試みが行われています。変な喩えになりますが、「見た目はWindows 7そのままなのに、内部的にはWindows 11の最新セキュリティパッチが当たっている」ような整理が行われている……といったところでしょうか。2017年度版の『詳説世界史B』との間に後方互換性を保ったようなつくりになっています(ところどころ新しい試みがあるために、旧来の教え方とは明確に異なる箇所もあるようですが……)。
一方で『新世界史』の方は、過去の詳説世界史の遺産/負債とはいったん切り離された形で、「ゼロから山川出版社がグローバル・ヒストリー的な語りで歴史を記述するとどんな教科書が書けるか?」という課題に挑戦した成果そのものが提示されています。こちらは後方互換性をあまり気にせず、しかし難関大受験のニーズにもしっかり答えるために作った、フルスクラッチの最新OSといった趣です。
このように、山川の現行教科書には、上記2つのバージョンがあるわけです。このどちらが、世界史を学びなおすのに便利だと言えるでしょう?
ひとつ確実に言えるのは、本記事は現役/浪人の大学受験生に向けたもの *ではなく* あくまで世界史を学び直したい勤めびと/自営びとに向けたものです。その観点から言うと、後方互換性を気にしなければならないのは、世界史を学び直したい私達……ではありません。後方互換性を気にする書籍を使って嬉しいのは、ここ数年来『詳説世界史B』で綿密な授業を構築・展開していた、世界史の教員のみなさんの方です。
もちろん、マニアックに分け入って検討すれば、『詳説世界史』にもいくつか美点は見いだせます。しかしながら、いま皆さんに推奨するのは『新世界史』の方であると断言してしまって良いかと思います。
II. 世界史便覧(資料集)は一緒に買った方がいい
ところで 2010年の @tricken は、実は「どこまでも山川世界史ONLYでどうにかしろ」などとは言っていませんでした。教科書の読解を通じて一定以上の理解度を得るならば、下記の3点セットを揃えてください、と言っていました。
山川教科書
資料集(便覧)
単語集
ここで言われている「資料集」とは、いわゆる「便覧」という、世界史に関連した情報を年表や図表で補足した、大判の書籍のことを指します。
単語集については、実のところ昔よりWebの百科事典情報が充実してきていますし、2024年現在では重要度が低下してきているかな、とも感じています。しかしながら、資料集/便覧に当たる資料は未だなお最重要アイテムだと考えています。
なぜなら、「年が進むごとに領土の盛衰がめまぐるしく変わる」といった情報を図像的に示してくれるのは、世界史便覧系の書籍だけだからです。
(※カラテ:ニンジャスレイヤー用語。「日々やっておくべき基礎訓練(それがいざというときの突破力を生む)」程度の意味でも使われる。)
今はYouTubeの歴史系動画で、類似のコンテンツを配信してくれている人も居たりしますが、それを資料集でじっくりやれるということですね。
そんなわけで、山川世界史Bに加えて、高校世界史便覧を1冊持っておくことが推奨されるわけです。
しかし、2024年の今、資料集を揃えるならどれがいいか? という疑問が当然出るかと思います。@tricken からは、浜島書店の便覧か、帝国書院の便覧、どちらかをひとまずおすすめします。なぜなら、時期ごとの地図や勢力図の表現が、この2シリーズが飛び抜けて出来が良いからです。
具体的な書誌情報としては下記2つになります。
浜島書店『ニューステージ世界史詳覧』(2023年02月刊行)
帝国書院『最新世界史図説 タペストリー 22訂版』(2024年02月刊行)
用語集については色々な意見があるので、今回は省略します。
III. 通読はしんどいよ、という勤めびと/自営びとの為の新書併用メソッド:トルコ史の学び直しを事例に
14年前、私は【教科書×資料集】という道具を元手に、「通史→テーマ史→論述」と学習を進めていく手順を紹介しました。しかしながら、本当にそのレベルで追い込んで学習する必要があるのは、難関大の世界史を踏破する必要のある大学受験生くらいのものです。そうした苦境に置かれていない人は、そこまで徹底して教科書に向かい合うモチベーションを維持できないのではないでしょうか。
かくいう私自身、大学卒業以降は昔とった杵柄でなんとかやっている程度で、高校3年次ほどには自分を世界史学習に追い込めた試しはありません。
そんな自分でも、過去の貯金以外になんとかやれている学習があります。「通史→テーマ史→論述」のうち、第2ステップにあたる「テーマ史」の部分を、個人的に実践し続けているのです。勤め人/自営業で忙しすぎる皆さんには、せめてこの部分をマイペースでやってみないか、と提案します。
一例を示しましょう。私は、2023年の初頭に『マイスモールランド』(2022年公開,河和田恵真(監督・脚本))という映画を見ました。埼玉県川口市に集うトルコ系クルド人難民の家族を扱った映画です。この映画自体の美しさ・哀しさもさることながら、どうしてクルド系の方々がこんなに苦しい思いをしなければならないのか、そもそもトルコでは何が起きているのか、といった問題意識を得ることにも繋がりました。
クルド人とは、世界最大の「固有の領土を持たない民族(エスニシティ)」ともされ、中東地域を中心に3000〜5000万人ほどの人口規模をもつ民族です。かつてはオスマン帝国(1299–1922)の最大領土内に概ねすっぽり収まる領域内で暮らしていましたが、20世紀にオスマン帝国が滅び、同地域がトルコ/シリア/イラン/イラク/ジョージア〔旧グルジア〕/ロシアの一部等に分割されてしまいました。そのときから現在(2020年代)に至るまで、どこの国でもクルド人の人権保障を十分に行わない/行えない状態が続いています。
『マイスモールランド』では、主人公の父親が「トルコで迫害されて」日本まで家族ともども逃れてきた、と語られます。つまり、『マイスモールランド』の背景を知るためには、「トルコという国が、20世紀後半から21世紀初頭に至るまで、どのようにクルド人の不安定な状況と向き合ってきたか?」ということを知っておく必要があるわけです。
しかもトルコによるクルド人虐殺は、決して古い問題ではありません。著名な書籍としては、2016年にトルコ東南部のジズレ地域で、数百人のクルド人が虐殺されたという報告がなされています。たった8年前のことです。
それでは、そんな虐殺を見逃すようなトルコは悪の政府なのか? といえば、そう単純な話でもありません。「クルド人問題を知るためにはトルコのことも知らなければ」と思って手に取った下記の岩波新書は、むしろここ20年ほどでトルコの人権問題は相対的に良くなっていそうだ(20世紀後半はそれ以前の話だった)という印象さえ持ちました。公正・発展党が実権を得て以降のエルドアン政権は、もちろん様々な問題を抱えてはいますが、国内統治の面では評価できるところもあったと分かったのです。そして、さすがにここ20年のトルコ現代史については、山川の世界史教科書にも載っていません。時代が新しすぎるからです。
> 内藤正典. 2023.『トルコ 建国一〇〇年の自画像』岩波新書(新赤版 1986)/岩波書店.
ならば、エルドアン政権が成り立つ以前の、オスマン帝国崩壊からトルコ共和国成立までの流れはどうなっているのか? と思い、次に私が手に取ったのが下記の本です。後で気づいたのですが、どうも2023年はトルコ建国100周年だったことに当て込んで、トルコ系の歴史概説書がそこそこ出版されていたようです。
> 小笠原弘幸. 2023. 『ケマル・アタテュルク:オスマン帝国の英雄、トルコ建国の父』中公新書(2774)/ 中央公論新社.
こちらはまだ全部読めていませんが、このあたりの記述になると、山川世界史Bにも当然記述が出てきます。私の持っている1つ前の版の山川世界史B(世B016)には、下記のようにあります。
こうした内容を読み直しながら理解度をチェックし、トルコ創建期の情報を学びなおすというのは、実質的には【テーマ史】の深掘りにあたります。山川世界史Bと、一般の歴史概説書とを往復することで、もはや学生ではないけれども歴史の覚え直しを続けることができる、というわけです。
もちろん、あらゆる歴史書や歴史系の新書の品質が無前提に保証されているわけではありません。しかし、学問的良心に基づいて貴重な解説を世に送り出してくれる歴史研究者は、まだ居なくなってはいないと思います。
IV. 他に良い書籍もあるけれど、敢えて【教科書+資料集】を推薦する、たった1つの理由
ところで私が、学校向け書籍としては山川教科書よりさらに読みやすく内容も手厚い『詳説世界史研究』(2017, 山川出版社)であったり、最新の研究成果が盛り込まれている『興亡の世界史』(全21巻,講談社学術文庫/講談社)や『岩波講座 世界歴史』(全24巻, 岩波書店)だったり、青木裕司の『世界史B実況中継』だったりを同時にはおすすめせず、敢えて【教科書1冊+資料集1冊】というストロングスタイルを推奨し続けるのには、一応理由があります。
先程の山川の引用に基づいて、専門用語にあたる部分を抜き出してみましょう。
オスマン帝国
アブデュル=ハミト2世
ミドハト憲法
パン=イスラーム主義
青年トルコ(=青年トルコ統一と進歩委員会)
青年トルコ革命(1908年)
これらの意味合いや歴史文脈について、皆さんはすぐに50〜100字程度で説明できるでしょうか? 実のところ私も、一部は調べ直さないと説明できません。
世界史教科書の「読みづらさ」の大半は、このような単語の意味が常にいちいち説明されているわけではないことに基づきます。これは、独立した記述としては不親切ですよね。山川世界史を薦めるたび、「教科書だけで歴史を学ぶのは向かない、もっと読むだけでわかりやすい書籍がある」と別の方がコメントするのは、理のあることです。
にもかかわらず、私は【教科書+資料集】が良いのだと敢えて主張します。それは、あなたが知らない歴史キーワードを、“あなたはまだこれを知らないのだ” と、明確に、そして“速やかに”、洗い出してくれるからです。読んで理解するのではなく、「理解していない箇所を読んで発見する」こと、それが教科書の役割だと考えるべきです。
「わからない箇所が速やかにわかる」ことが、【教科書+資料集】で勉強していく際の最大の利点です。この点は正直、「どういう流派で世界史を学び直すか」という立場選択によります。ですから、万人におすすめする方法とは実は言えません(ああ、14年ごしに明言してしまった)。
ですが、その流派を選び取ったからには、その流派の“ねらい”に応じたメリットを享受できる、ということは、伝えておくべきと考えました。
V. 山川世界史以外の教科書なら、帝国書院がいいかも
14年ぶりに山川世界史の現状を確認したら、2種類の系統に分かれていたことはすでにこの記事の冒頭で話しました。そして、その2つから選ぶのであれば『新世界史』の方であることも伝えました。
それでは、山川出版社以外の選択肢は未だにありえないのか? といえば、実はあります。今回、14年ぶりに教科書の選択について話したところ、帝国書院 / 東京書籍 / 実教出版の『世界史探求』対応教科書の人気が高いことに驚かされました。特に、帝国書院を推す声が強かった。
こうした声もあり、私自身も各種の『世界史探求』を再読してみたところ、確かにそれぞれ美点がありました。特に帝国書院の『新詳 世界史探求』は、同社が高校地理のシェアNo. 1 出版社だけあり、教科書内での地図資料の使い方は他社の追随を許さないレベルです。もし、【教科書+資料集】の組み合わせではなく、【教科書単体】での学習という縛りを設けるのであれば、帝国書院以外の選択肢はないかもしれないとさえ思わされました。
東京書籍の『世界史探求』は海路や交易に関する記述が充実しており、実教出版の『世界史探求』は、ジェンダー関連テーマだけで14のコラムが確保されているなど先進的な解説が多く含まれています。どれも意欲的な記述になっており、どれか1つだけが突出して卓越しているとは言い難い状況になっています。
その上で本記事では、
(1) 『詳説世界史B』の良さである「参考にすべきレベルでの文章の端正さ、適度な圧縮度」を継承しつつ、グローバル・ヒストリー的観点を取り入れ思想のアップデートにも成功した山川『新世界史』
(2) 他の教科書であれば資料集も併用して学習を進めるべきところ、教科書一冊でどこまでも学習を深めて行けそうなポテンシャルを持ち合わせた帝国書院『新詳 世界史探求』
この2つのどちらか1つを購入しておけば、さしあたって間違いないのではないかと提案します。
VI. ついでの学習:『英文詳説世界史』で歴史英語を学ぶ
ところで、2017年版の『詳説世界史B』(世B310)が出た2年後に、山川出版社からこんな書籍が出ました。
この書籍は学校用教科書の約3倍の値段がしますが、教科書専門店以外でも買える一般書です。世B310を底本にほぼ同じ内容で英訳された本ですので、「英語圏の歴史書を読む前提として日英の単語比較をしておきたいな」という人は手にとってみてもいいかもしれません。
たとえば先程引用した青年トルコ革命の前後の記述は、下記のようになっています。
ほぼ直訳されていることがわかりますので、歴史英語の学習教材としてだけでなく、世B310の代用品としても十分かと思います。ただ、これだと東アジアの漢字文化圏(特に中国・韓国・日本)での学習に1ステップ余計な労力を費やすことになるので、基本的には山川世界史である程度学習を終えていること前提の読み物になるかと思います。
おわりに
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