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文豪の足あとを巡る旅・その2 <葉山・横須賀・逗子> 『芥川龍之介と美の世界』展&『草迷宮』の魔所


2日目は葉山・横須賀・逗子の海辺を巡りました。
とても良いお天気だったので、朝から夕方まで移り変わる太陽と海の景色を満喫。まだ2月だというのに、春のような陽気で、日差しが目に痛かったです。海面に、まっすぐの光を写して沈んでいく夕日が素敵でした。

(*少し長めの投稿ですので、区切って読んでいただければ幸いです。写真だけでも楽しんでいただけると思います。)

日の出前

<神奈川近代美術館・葉山>


朝は早めにチェックアウトして、神奈川県立近代美術館・葉山へ。美術館の建物を裏へ抜けて散策路を降りると、一色海岸に出ることができます。目の前に富士山と、海の広がる景色が美しい美術館。レストランはランチタイム開始と同時にほぼ満席でした。

美術館裏の散策路から。
富士山と、相模湾と、小さな富士山(岩?)が見えます。


イサム・ノグチの『こけし』がお出迎え。カワイイ。


企画展は『芥川龍之介と美の世界』が開催中でした。ポスターがかっこいいです。

駅前の看板より。



芥川の原稿や手紙、絵や書、初版本などと共に、師匠の夏目漱石の絵、書や手紙(綺麗な字ですが、達筆すぎて読めませんでした/笑)、高校の先生だった菅 虎雄(『羅生門』の題字を書いた方)の書や手紙なども展示されていました。芥川の原稿、若い頃の筆の原稿は丁寧な字で書かれていますが、晩年のは何となく精神的な不安を感じさせる字で、色々もがいていたんだろうな〜と想像されました。

「第四章 芥川龍之介と美術」のコーナーでは、芥川の世界を形造るものとして、関わりのあったフュウザン会などの画家の絵や、興味を持っていたポスト印象派などの絵、レンブラント、ビアズリー、ゴヤ、ブレイクなどのエッチングなどもあり、予想以上に楽しめました。横浜展限定(?)で、所蔵の高村光太郎や萬鉄五郎の油絵も追加されていました。(『日傘の裸婦』、こちらの所蔵だったんですね)
会期は4月7日までとあと少しですが、明治〜大正期の文学・芸術に興味がある方には、おすすめの展覧会です。ちなみにクイズに参加して正解すると、河童のステッカーがいただけます😁


<泉鏡花 『草迷宮』の世界>


午後は、バスで横須賀市へ移動して、泉鏡花の『草迷宮』に登場するスポットを巡りました。物語の前半に登場する「三浦の大崩壊(くずれ)」(長者ヶ崎)の辺りの海の景色と、「子産石」「秋谷鎮座の明神様」です。

現在では国道が通り、山沿いにリゾートマンションと思しき建物がたくさん立ち並んではいるものの、海沿いの景色(「魔所」の殺伐なイメージはなく、とても綺麗でしたが)は物語で描かれたそのままで、海岸から長者ヶ崎を眺めていると、だんだら模様の傘を持った女性や、茶屋のお婆さんお爺さん、嘉助や小次郎法師などが歩いていそうでした。

三浦の大崩壊(おおくずれ)を、魔所だと云う。

葉山一帯の海岸を屏風で劃(くぎ)った、桜山の裾が、見も馴れぬ獣のごとく、洋(わだつみ)へ躍込んだ、一方は長者園の浜で、逗子(ずし)から森戸、葉山をかけて、夏向き海水浴の時分(ころ)、人死のあるのは、この辺ではここが多い。

『草迷宮』泉鏡花


❶子産石

「あの、岩一枚、子産石と申しまして、小さなのは細螺(きしゃご)、碁石ぐらい、頃あいの御供餅ほどのから、大きなのになりますと、一人では持切れませぬようなのまで、こっとり円い、ちっと、平扁味(ひらたみ)のあります石が、どこからとなくころころと産れますでございます。

 その平扁味な処が、恰好よく乗りますから、二つかさねて、お持仏なり、神棚へなり、お祭りになりますと、子の無い方が、いや、もう、年子にお出来なさりますと、申しますので。」

『草迷宮』


バスの車窓から御用邸を眺めながら、お隣の横須賀市側へ。お腹が空きすぎて「とにかくメシ!」な気分だったので(笑)、迷わず子産石バス停前の南葉亭さんへ。人気店でお昼時だったのでしばらく待ちましたが、ちょうどテラス席が空いて、正午の太陽が眩しいけれど気持ちのよい眺めでした。

「子産石コロッケと野菜のスープカレー」。
石に見立てたライスコロッケと、ヨットの帆のようなさつまいもチップ。
優しい味のスープにお野菜たっぷり、美味しかったです。


子産石の記念碑は南葉亭の駐車場の前にあります。
眺めていると、「後ろにお社がありますよ〜」と警備員さんが教えてくれました。


❷三浦の海岸と「長者ヶ崎」の眺め

実際魔所でなくとも、大崩壊の絶頂は薬研を俯向けに伏せたようで、跨ぐと鐙(あぶみ)の無いばかり。馬の背に立つ巌、狭く鋭く、踵(くびす)から、爪先から、ずかり中窪に削った断崖(がけ)の、見下ろす麓の白浪に、揺落さるる思(おもい)がある。

さて一方は長者園の渚へは、浦の波が、静に展いて、忙しくしかも長閑に、鶏の羽たたく音がするのに、ただ切立ての巌一枚、一方は太平洋の大濤が、牛の吼ゆるがごとき声して、緩かにしかも凄じく、うう、おお、と呻(うな)って、三崎街道の外浜に大畝(うね)りを打つのである

『草迷宮』

南葉亭さんの横の小道を海側へまっすぐ行き、階段を降りると海岸へ出ます。ここが、横須賀側からの大崩壊(↑引用の太字の部分)と秋谷の街道が見渡せる、なかなかの絶景ポイントでした。
大崩壊の馬の背のような絶頂の景色は、長者ヶ崎の駐車場から眺めることができるようです。私はバスから眺めましたが、ゴジラの背中のように黒くてゴツゴツして、細く切り立っていたのが印象的でした。

横須賀側からの長者ヶ崎の眺め。
この日は穏やかでしたが、荒れた日には確かに凄まじい風景が広がりそうです。


ゴジラっぽい頂き。よく見ると様々な植物があります。


海は静かで美しく、いつまでも眺めていられそうでした。


浜には平扁味のある、丸いすべすべとした石がたくさんありました。
よく見ると種類も様々。キラキラ光る貝殻も綺麗で、童心に帰って集めてみました。


❸熊野神社

・・・団扇で顔を隠さしったなり。背後(うしろ)へ雪のような手を伸して、荷車ごと爺どのを、推遣(おしや)るようにさっせえた。お手の指が白々と、こう輻(やぼね)の上で、糸車に、はい、綿屑がかかったげに、月の光で動いたらばの、ぐるぐるぐると輪が廻って、爺どのの背へ、荷車が、乗被さるではござりませぬか。」
「おおおお、」
 と、法師は目をみはって固唾を呑む。
「吃驚亀の子、空へ何と、爺どのは手を泳がせて、自分の曳いた荷車に、がらがら背後(うしろ)から押出されて、わい、というたぎり、一呼吸に村の取着き、あれから、この街道が鍋づる形(なり)に曲ります、明神様、森の石段まで、ひとりでに駆出しましたげな。

『草迷宮』
熊野神社。
「秋谷の明神」のモデルとされているとか。

子産石バス停のすぐ側に、熊野神社という小さな神社があります。今回の旅にあたって、参考にさせていただいたサイト『三浦半島日和』さんによると、お爺さんが言う「秋谷鎮座の明神様、俺等(わしら)が産神」というのはこちらの神社なのだそうです。

物語では「明神様の侍女」と言う謎の美女が現れ、上記に引用した不思議な出来事が起こる場面に登場します。

結構長くて急な階段を登り切ると、こじんまりした境内に本殿があります。高台で見晴らしが良く、眼下に街や海の気持ちのいい眺めが広がっています。人々が村の鎮守として崇めたというのも納得でした。


<逗子へ>


子産石のバス停から、今度は逗子駅へ。時間はまだ午後3時前で少し早かったですが、その日の宿の「松汀園」さんへ向かいました。住宅地の中にあり、駅からは10分程度歩きますが、海までは5分ほどで行ける、とても静かで素敵なお宿でした。
旅館建築とはまた違った、大正時代の邸宅の作りが興味深く、障子の格子の松葉のデザイン、釘隠し、襖の取手の松葉の意匠、少し薄暗い廊下に差し込む朝の光など、幾つも印象に残りました。


もともとは大正時代に建てられたお屋敷だった旅館。
お庭が広く、テラスやブランコもありました。


大正館の趣あるお部屋。お茶室だったそうです。
もとの意匠は生かしつつ、水回り、お部屋の内装はリノベートされています。


逗子海岸は夕陽の美しい場所とのことで、マジックアワーに合わせて海へ出かけました。海に浮かぶまっすぐの光の柱と、ピンク色に染まっていく空、段々と影絵のようになっていく海辺の人々の姿が美しく、目が離せませんでした。宿の夕食時間が気になって帰りかけたものの、歩道に上がってからもしばらく佇んで眺めていました。


浜辺より。サラサラの砂浜で、子供たちが楽しげに遊んでいました。


帰りに車道沿いから。


宿に戻った後は、懐石料理の美味しい夕食と葉山ビールを満喫。すっかりほろ酔いで、部屋の前のライトアップされた庭を眺めて、まったり。静かに誕生日の夜は更けていきました。

<その3・逗子編へつづく>

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