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私にも若い頃があった!という衝撃

現在、時間を見つけてはちょこちょことアップしている自伝漫画。

実は10年以上前にコミックエッセイとして出版する予定だったものです。
で、それを読み返す度に思うのですが…

「え?誰よこれ?」

と自分に引いてます(笑)。なんか今の自分と違いすぎて前世だった自分を見ている、そんな気分です(笑)。

稚拙、無謀、無駄使い、無計画…でも夢に向かおうというパワーは自分でもちょっとびっくり。だって今の私は、できないことに対し少し臆病だし、また自分の子どもに厳しかったり、理屈で伝えようとすることがあるのです。

当時の自分は本当にバカで無謀でどうしようもないなと思うのですが、なんかこの「ゆるさ」や「不条理だと思う自分の人生や環境を自分の力で変えようと思う心」って意外に重要なんじゃないかなと思ったわけです。側から見てて大人はツッコみたくて仕方ないのですが。。。意外に「自分の子ども」となると客観的視点が失われ、また赤ちゃんの頃に手をかけて育てていたクセが抜けないからか、思春期になっても口うるさい私。でもこのままではいけないことがよく分かってきたので、そろそろ私の方こそPCでいう頭のOSを入れ替えろということなのかも知れません。

そして思い出しました。20代というのは人間なんと未熟なのかということを。(もちろん成熟した人もいるとは思いますが)ましてや10代なんて何をやっても失敗や不完全さは当然な訳で、見守りながらも、それを許容してやることがいかに大事かと過去の自分に遭遇することで気がついた私。今は「失敗は許されない」という風潮も強く、そのために受験も加熱しているのではと感じます。

しかしこれにはやはり背景があると考えていて、(私は経済には非常に疎いので、自分の経験と感覚で書かせていただきます。間違っていたらごめんなさい。)私の大学時代(かれこれ20年前です)というのは、まだバブルの残り香があった頃でタイ旅行やインド旅行が流行ったり、「会社に縛られない生き方」という名目のもと派遣社員で働くスタイルが普遍的になった時代でした。

その後ますます不景気に拍車がかかり、皆がどんどん苦しい時代に。正社員と派遣社員間での格差が広がっていく中で「海外に行ったりだの派遣で働いたりだの自分が選んだ道なんだろ。」と言った自分探しをしていた人への風当たりも、自己責任論も強くなっていった気がするのです。そして「時代は公務員」と言われたり、小学校から勉強して頑張って人生を失敗しないようにしなきゃ!という方向に皆がますます向かうようになってきた気がします。さらにここ数年は、普通に高学歴だけでは社畜になるかも、と感じ始めた人が、これからは語学、サイエンス、IT関係に強くなって、世界中どこででもスキルを持って働けるようにという価値観も新たに生まれ、最近は「ハーバード大学」等の一流海外大学に入れた親御さんの話や、身近でも「プログラミング教室」を近所でもよく目にするようになりました。

(日本では面白いくらいそうした需要を嗅ぎ分けて教室や学校ができていくところが面白い。)

また日本には「新卒入社」というプレッシャーもありますよね。浪人や留年も含めて「隙間」期間への社会の視線が厳しく、滞りなくストレートで進むことを評価されがちな気がします。ドイツでは大学自体を出るのが難しいので留年はバンバンするし、小学生から理解が遅ければ学年を落とすことは結構一般的。高校卒業後も1年ほどイギリスなどに語学留学してスキルを上げてから就職する人も多く、この点には自由度を感じます。

という訳で日本の背景を考えると、親として不安になる気持ちは当然なのかも知れません。ただ、「人生はほぼ出身校で決まってしまうんだから小さい頃からそれに向けて頑張れ」とプレッシャーをかけるより、「人生は何度でもやり直せる、失敗を恐れなくていいよ」と受験をするにしても自分の好きなことをするにしても、私自身もこれを心から信じて子どもに伝えていった方がなんとなく上手くいく気がしますし、失敗してもやり直せる社会であるべきだと思っています。

過去の自分に会ってそれに気がつけたなんて、自分の漫画、やっぱり素晴らしいな!(笑)

でもやっぱり子どもに見られたくはないですねえ…(笑)。

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