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なぜ若い人とお話しすると、違和感を覚えるのか

先日、小売りの店長やっている後輩と話した時に思ったことを書いてみます。

デジタルネイティブだとか、IT ネイティブだとか、Z 世代だとかいうくくりを最近耳にしますが、ちょうどそのような世代の人たちと仕事をして会話をしている時のエピソードだそうです。あとちょっと相手の子が引っ込み思案の気があるらしい。


環境が違う?では環境とは

最近の人たちは感情表現が乏しかったり、相手が話している『間』を読めなかったり、話している最中に割り込んできたりと、いわゆるそれ以上の世代の人たちにとっては少し考えにくいというか、気になってしまうハズの行動があまり気にならないのではないか?ナゼ?ということで、なんとなく虫の居所が悪そうな感じでした。

制約、制限だらけの時代背景

逆になぜその世代の人たちは、今そういう会話の仕方で成立をしているのか考えることによって、何か変えていくきっかけやアドバイスにつながるのではないかと思って、考えてみます。

考えられることは、そもそもの思考の中で、アナログ(対面・オフライン)のコミュニケーションとデジタル(非対面・オンライン)上のコミュニケーションのどちらが優先されているかというところです。

私は今30代後半ですが 、私の世代といえばちょうど中学校を卒業するぐらいに携帯電話が普及し始め、親にお願いをして安価なものを1台持たせてもらい、学校にお忍びで持って行って、メールアドレスの交換をするというようなことをやっていた世代です。

その頃の携帯電話はメール○○文字まで無料、○○文字以上はパケット通信量が上がり、あまり調子に乗るとすぐに数万円の請求額に到達してしまい、それを知った親に後から散々怒られて家の手伝いを沢山させられる…という経験をしてきました。

また数年後に会社に行けば、ビジネスメールとしてその日あった出来事(アポイント)を振り返ったりする意味合いも兼ねて、先方にお礼のメールを送るなどの風習(今日中にお礼のメールを出せ!とかね)を持っている世代です。

何を言いたいかというと、ネット上のやり取り、あるいはテキスト上のやり取りが、直接の対面での会話の前提に成り立っている世代だという事です。

相手が今、どのような顔をして自分が送った文面を読んでいるのか、また この制限ある分量の中で、どのようにすれば自分の真意を相手に伝えることができるかを考えることが、非常に多かったと思います。

情報過多がゆえに情報が伝わらない


逆に現在の若い方…というと語弊があるかもしれませんが、その方々はツールの発展により、顔を合わせないチャット形式での会話や、大容量のデータ転送など、無制限に言葉の使用が可能です。

極論を言えば、意図的に言葉を選ぶ必要もなく、場合によってはそもそも顔を知らない、わからない相手(オンラインゲームなど)なので、相手の顔や表情や声量や声質は想像のしようもなく、文章や言葉は相手に自分の意図を伝える『記号』になっています。

つまり相手の文脈だったり間であったりというものを感じる必要がなく、ある意味では機械的、簡略的なコミュニケーションをとることがすでに主流なのではないでしょうか。なので、結果的に相手の言葉を可視化なり音として入ってきた情報としてのみとらえ、その裏側にある文脈などを詮索したりすることもせずに会話を成立させるため、思わぬところで話の食い違いや、ニュアンスの伝わり方に不備が出てきたりということが起こるのではないでしょうか。

五感で会話するとはよく言ったもんだ


会話というのは言葉のやり取りだけではありません。

声量が大きいか小さいか、早口なのかゆっくり喋っているのか、眉間にしわが寄っているか、目じりが下がっているか、などなど、耳から『音の情報』として入る以外の様々な情報を、包括的に考えて相手が伝えたいことを探っていくものです。

手紙にしても、殴り書きなのか、丁寧に書かれているのか、メモ程度なのか 、便箋にびっしりと書かれているのか…など、相手の思いを読み取ることができるツールです。

しかし、コンピューター上のテキストは誰がキーボードを叩いても、吐き出される字面は同じで(フォントの種類があるだろ!とかは言わないでね)、それ以上でもそれ以下でもない、というものです。

つまり、いわゆる若い方と会話する上においてストレスや違和感を感じるか感じないかというのは、オフラインでの会話の延長線にオンラインの会話を用いている世代なのか、オンライン上の会話形式、会話様式をそのままオフラインに反映させている世代なのかの違いである可能性としてとらえることもできます。

そうなると、同じ言語を使っていたとしても適切なコミュニケーションが成立するわけがありません。

そんな時こそ、感性を豊かに

じゃあ、ビジネスの上ではこうだとか、最近の若いやつは!!とかいう、作法や言葉の中に当てはめるようなやり方で、ある意味強制的な訓練などをするのはやめたほうがいいと思います。

なぜならば、彼らのコミュニケーションの文化として、可視できる、あるいはそれに付随する音としての言葉以外をなるべく排除して成立しているコミュニケーション方法なので、付加情報から察するとか、感情を先回りするとかやっているコミュニケーション方法とは、基本的には相入れることはできないと言えると思います。

ではどうしたらいいのか。

それはやはり年長者(経験者)が心を広く持ち、具体的に感性を刺激するやり方を付随しながら会話をするのがいいのではないでしょうか。

例えば、話に積極的に相づちを打ったり、理解などの反応をわかりやすく示す、表情を豊かに作る、明確に声のトーンを分けて話す、など、一朝一夕では改善・変化はされないかもしれませんが、とにかく言葉の上での同意だけではなく、感覚として『あ、この人と自分はなんとなく通じ合っている』というような認識を持ってもらうことが大事なのではないでしょうか。

そうすると、感覚を伴うコミュニケーションの楽しさが少しずつ分かってもらえるのではないかと思います。失礼な奴、とか愛想がない、というとネガティブな感情しか抱きませんが、『アナログコミュ初心者』というと、何だかかわいらしく思えてくるのは私だけでしょうか。

テクノロジーの進歩によって、それまであった様々な障害はどんどんと取り払われています。

代わりに厳選する、丁寧にするという様な、様々な制限や障害があったからこそ大事にされてきた、感性を育む時間が失われている現実もあると思います。

そして、お互いに頭ごなしに否定していくのではなく、なぜあの人はこうなんだろう?という興味関心を持つことが、そもそもコミュニケーションの第一歩なのかもしれませんね。

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