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「繋がる」ってなんだろう?―初めて配信アプリを開いたあたし


深夜1時、思い立ってとある配信アプリをダウンロードした。名前は適当に「ま」と入力した。それから30分もしないうちに、あたしはアプリをアンインストールした。

きっかけはあった。友達が最近退職して、時間が出来たからとアルバイトの合間に配信アプリを始めたのだ。友達とはもう10年以上の仲で、幼なじみのような関係。「今しか出来ないこと、せっかくだからやってみようと思って!」と話し、若い女性であることを活かしたバイトを始め、その流れのまま配信を始めた。それを聞いた時は面食らった。彼女は基本他人に興味がなく、自己評価を他人軸に求めない。その爽やかさにあたしは何度も憧れを抱いていた。「双葉の繊細さは私には無いけど、双葉に救われる人が沢山いるよ」とよく言ってくれていた。「まあ、私は私だからね、好きに生きるし」と笑う子だった。
そんな彼女が、配信に流れてくるコメントに興味を持つなんて意外だった。他人に興味を持たない子が画面の向こう側の見知らぬ人に興味を持つ構図がよく分からなかった。あたしは「事件にだけは巻き込まれないでね」と伝えた。それくらい、いわゆる一般人が配信することは、あたしにとって余りいいイメージを持っていなかった。

そんな彼女がどんな配信をしてるのか。興味はあった。彼女はあっけらかんと「始めたよ〜」とURLを送ってきていた。あたしだったら仮に始めても絶対友達に伝えないから、彼女らしいなと笑う。URLはアプリを登録しないと入れない。まあ別になんでもいっか、とその時は何もしなかった。


それから数週間経ってからのある夜に、何故か、ふと彼女の配信を見てみようと思い、「ま」という名前で登録したところに戻る。

彼女のURLを開く。今配信はしてないらしい。ただアーカイブは見ることが出来た。彼女はメイクしたり飲み物を飲みながら、コメントに答えていた。「スポーツやってるんですねー」「今日の夜ご飯?何にしようかな」そんなことを言っていた。
ただの会話だ。別に楽しそうにも見えなかったし、全然彼女らしくもない会話だった。でも、決してつまらなそうでもなくて、本当に暇つぶしでやっているんだろうな、と思った。

あたしはせっかくだから、と他の人の配信に行くことにした。
いわゆる配信の部屋に入った途端、「ま、さん!ありがとう〜」と画面の向こうの知らない人が声をかけてきた。「初めてですか?拍手の送り方分かりますか?」「全部教えますよ!」矢継ぎ早に話しかけられる。動揺してすぐに部屋を出た。別の人の部屋に入る。またすぐに「ま、さん?来てくれてありがとう〜」と言われた。こんなに直ぐに声をかけられるものなの?
今まで芸能人のインスタライブとか、YouTubeライブとかを見に行った経験もコメントを送った経験もあるけれど、こんなに名前を直ぐに呼ばれる、「見つけられる」って、配信アプリならではなのか?
そして入った3つ目の部屋。またすぐに「ま、さん!来てくれてありがとう〜」と言われる。これまではすぐ他のコメントを読んだり、話が変わったりしていたが、今回の配信者は何故かあたしに話しかけ続けた。「コメントしてください!一言でもいいので!」「ま、さんが何か言うまで話しかけ続けますよ〜」と言う。「出身はどこですか」「お酒は飲みますか」「女性ですか、男性ですか」「なんでアプリを始めようと思ったんですか」と質問が続く。このリアルタイムで、どこかにいる見知らぬ人が見知らぬあたしにこんなに興味を持っていることが、なんとも言えない気持ち悪さを感じた。結局あたしは何もコメントすることなく、部屋を出て、そのままアプリをアンインストールした。


配信アプリは、誰かと繋がれる、誰かと話せる、そういうメリットが語られると思う。誰かと繋がることで収益を得るという側面も勿論ある。

匿名で語り合った経験は、あたしにもある。マルチェと出会ったのも、初めはお互いペンネームしか知らなかった。それでも、あの時感じていた「繋がり」と、今回あたしが感じた「繋がり」は別物だと思う。後者は少し不気味だ。やっぱりそこには利益を生むための発信と、貢ぐ意味を込めた応援があるからだ。いや、それを完全に否定する訳では無い。あたしが不気味に思うのはその間にあるのが「ただの会話しかない」というところなんだと思う。

例えば相手が歌手なら、その間には「音楽」がある。俳優なら「ドラマ」や「舞台」がある。作家なら「小説」がある。
でも今回は違う。「ただの会話」しかない。「ただの会話」の間にお金が発生するこのシステムはなんなんだろう。もちろん、「ただの会話」の根底には「若さ」や「女性」が消費されている現実もあると思う。でも、本当に「ただの会話」だけで、お金がやりとりされることを実感する。

あたし達は誰かと繋がりたくてたまらないのだろうか?誰かと話したくてたまらないのだろうか?さみしくて仕方ない夜に、配信アプリを開く時代になったのだろうか?
「今日の夜ご飯は何にする?」そんな会話をしたくて、見知らぬ人になって見知らぬ人に顔も名前も明かさずにメッセージを送るのだろうか?

さみしくて仕方ない夜、誰とも話すことがない夜、あたしはずっと音楽を聴いていた。きっとこれはマルチェも同じだ。歌詞のワンフレーズが自分のことのように感じて、それで孤独ではないと思えて、耳にイヤホンを押し込んで自分を主人公のように感じながら散歩しながら、何とか学校という狭くて苦しい世界のなかを生きてきた。
例えばそれが人によってはラジオだったり、アニメだったり、映画だったり、小説だったりするだろう。
でも今は、見知らぬ人との会話になっているのか。生身の人間と会話をすることが、売られる時代なのか。もちろん、30分しかそのアプリを開いていなかったから、全てを理解したわけではもちろんない。偏見も含まれていることは分かっている。それでも、そうあたしは感じてしまった。

見知らぬ人が見知らぬあたしに話しかけてくる異様な夜を、あたしは未だに消化できていない。仮にあたしがあの日、さみしくて仕方なかったとしても、きっとそれは解消されなかったはずだ。

友人である彼女は、今配信アプリから何を得ているんだろう。彼女もやっぱり何かさみしいのだろうか。会社という場所がなくなって、何か声を出した時、それが「元気だよ」の一言でも、反応してくれる見知らぬ人が支えてくれているのだろうか。
あなたが元気であることを、喜ぶ人がちゃんといるのに、一瞬一瞬のリアルタイムで反応がないとその実感は薄れてしまうんだろうか。


こんなに急いでいいのだろうか
田植えする人々の上を 時速二百キロで通りすぎ
私には彼らの手が見えない 心を思いやる暇がない

この速度は速すぎて間が抜けている
苦しみも怒りも不公平も絶望も すべては流れていく風景
こんなに急いでいいのだろうか
私の体は速達小包 私の心は消印された切手
しかもなお間にあわない 急いでも急いでも間にあわない

谷川俊太郎「急ぐ」

人は忙しいと「心を亡くして」しまうから、あたしたちは、いつも余裕すぎるくらい、体と心を休めていないと、人間らしくいられない気がします。

この違和感を、またきちんと言語化できる日が来るといいな。
ここに、この気持ちを残しておくことにします。
配信アプリを否定しているわけではありません。



傷ついた獣たちは最後の力で牙をむく
放っておいてくれと最後の力で嘘をつく
嘘をつけ永遠のさよならのかわりに
やりきれない事実のかわりに

たとえ繰り返し何故と尋ねても
振り払え風のようにあざやかに
人はみな望む答えだけを
聞けるまで尋ね続けてしまうものだから

君よ永遠の嘘をついてくれ
いつまでもたねあかしをしないでくれ
永遠の嘘をついてくれ
出会わなければよかった人などないと笑ってくれ

「永遠の噓をついてくれ」吉田拓郎


中島みゆきが吉田拓郎にあげた曲。
現存する日本の曲で史上最高にかっこいいと思っている。
あたしは永遠の嘘をつくような、あなたとあたしがいたっていいと思うんですよ。あなたとあたしだけの関係性だったら、そんなこともあるんだと思うんですよ。たねあかしが出来ないほうがいい時だってあると思うんだけどな。


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