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ただただ、月を追いかけた


今日は8月30日。
家族LINEに通知が入った。
「今日はスーパームーンだって。大きいよ」
兄からのスーパームーンのお知らせだった。
あたしは仕事帰りの電車の中で、大きな月を見ることを楽しみにしていた。しかし、電車を降りて買い物をしている間にうっかり忘れてしまい、2リットルのペットボトルを2本をぶらさげ歩いている途中に「ああ」と声をあげて、月を探した。

今日の月はとても低いところにあった。満月は上がるまでに時間がかかるらしい。歩いても歩いても、月が見つからない。
車に気を付けながら、遠回りをしながら月を探した。
広い公園まで行けば見えるかもしれないと思い行くと、花火をする子供と、カップラーメンをすすっている男性がいた。
月は見えたけれど、木々が覆いかぶさっていてよく見えない。それでも月の方向はわかった。よし、そっちへ歩いてみよう。
歩いても歩いても、見えるのはアパートやマンションたち。
あー、田舎だったらこんな探さなくて済むんだろうなぁ、月が見えない街にあたしは住んでいるんだなとぶつぶつ呟いてしまう。
時々ぼおっと空が明るくなっているのが見えるのに、肝心の月は見えない。
あたしは、どうしても月に会いたくて、ただただ歩いた。重い買い物袋をぶら下げて、ぐるぐる歩くあたしはちょっとした不審者だったかもしれない。

何故こんなに月に引き寄せられるのか、汗だくになりながら考える。
まずひとつは、兄からの連絡だったことは大きかった。兄は感情を外に出すことがあまり得意ではない人だから、そんな兄が月が綺麗だと知らせてくれたことが嬉しかった。その連絡を受けて誰も月を見なかったら、悲しすぎるではないか。あたしだったら、「月が綺麗だよ」と教えたら、その人に月を見てほしい。「本当だね」と言ってほしい。両親は遠くに住んでいるため、天候の影響で見れないらしい。残されたのはあたししかいない。
あたしは人の喜ぶ顔が好きだ。報われたと感じている顔が好きだ。ありがとうとほほ笑む顔が好きだ。福祉の道で働くと決めたのは、上手に言葉に乗せられない人の機微に気付きたい、そこに生まれる温もりを感じたいという思いがあったからだと思う。それはあたし自身が、それに気付いてほしいからだ。だから、兄に喜んでほしかった。
もう一つは、昔から月を見ることが好きだからだ。満月は特に好きだ。とても明るいのに、空は暗い。明るいと暗いが同居するあの感覚が心地よい。月食があった日は、一人で川べりで見て、角度的に見えなくなったら家のベランダに椅子を持って行って鑑賞したなぁ。「お月様」と形容したくなるし、かぐや姫の話も何度も思い出す。あの光の中に帰っていけるっていいなぁと思ったこともある。

こんなことをぐるぐる考えながら、10分ほど歩いていたら、やっと、月が見えた。会えた!と口角が上がっていた。スマホを取り出して、写真を撮る。もちろんうまくは撮れない。月は、写真には残らない。それでいい。
家族LINEに送信する。既読がつく。以上。
まあそんなもんだよな、と思いながら、月を見つめる。綺麗だった。とても明るくて、まんまるで、なんてあったかい存在なんだろうなぁと思った。兄もこの空を見上げている。たたかっているかい、兄貴よ。元気でいてね。

家まで戻るためにまた10分歩く。いつもの道を通ったら、家の近くで月が見えたことに気付く。あんなところまで行く必要なかったじゃん、と口をとがらせてしまったけれど、あたしらしいなぁと笑った。


実は8月いっぱいで、今頑張っている仕事に一区切りをつける。そのくせ今日はミスをして落ち込んだり、9月から新しい業務を始めることへの不安があったり、かなり心の中は混沌としていたところだった。
そんなあたしに、月を探すという10分間の「没頭」はとてもいい効果があった。ただただ月を求めて歩いたあの時間は、誰がなんといっても、あたしの世界で、あたしが主人公だった。

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お月様、今日は夜空を照らしてくれてありがとうございました。ちっぽけな豆粒みたいな生物が、あなたを求めて歩き回る姿は滑稽だったかもしれませんが、豆粒なりに大きく手を広げて、あなたの光を感じています。
豆粒みんなが、空を見上げる心の余裕を持てるような、温かい世の中にあたしはしていきたいです。
これは願いではなく、決意です。

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ここにいるよ
愛はまだ
ここにいるよ
いつまでも

空と君とのあいだには
今日も冷たい雨が降る
君が笑ってくれるなら
僕は悪にでもなる

空と君のあいだに(中島みゆき)

ちょうど月が見え始めたあたりで、Bluetoothイヤホンから流れてた。
ここにいるよ、という声が力強くて、泣いてしまう。




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