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“美人薄命”と“儚い命は美しい”

びじん-はくめい【美人薄命】
美しい人は、とかく病弱であったり、数奇な運命にもてあそばれたりして、短命な者が多いということ。

美人薄命とは、美人には短命な者が多い、という意味の四字熟語だ。

そういう言葉が生まれるのだからきっとそれは真実なのだろう。

では、なぜ美人は薄命なのか?


「美しい人はとかく病弱である」

そう論じられているが、容姿が寿命に直結する要素だとは考えづらい。

むしろ私達は一般的に、外見的に健康な様子に美しさを感じるように思う。
(不健康な様が“エモい”、というのはあると思うけれど。)

そうすると、健康的な様子ゆえ外見の美しい人は、その見た目の通り健康で、長生きするのでは。

あくまで主観ですが、どうなんでしょう……誰か病弱な人々の外見的特徴をデータにまとめてたりしないかな。


「美しい人は数奇な運命にもてあそばれる」

もう一つ論じられているこちらについては、まさにそうだと思う。

美しい人は、周囲の人間を狂わせる。
美しい容姿を持っているだけで、彼ら彼女らは何もしていないのに、多くの人間に感情の矛先を向けられる。それは好意であり、敵意であり、嫉妬であり、とかく様々な感情を向けられてしまうのだ。

自分の意に介さない思惑による運命が、彼ら彼女らの周囲には渦巻いている。

それらが不幸を呼び寄せることもきっとあるのだろう。

***

“美人薄命”とは“美人だから薄命である”という意味の四字熟語だ。

そして、近しい概念として“儚い命は美しい”という言葉もある。
たとえば桜の花がそうであるように。
たとえば線香花火がそうであるように。

人間もそう言えるのではないか?

美しい容姿の人が、短い命を儚く散らす。
その様子は、彼ら・彼女らの美しさをよりいっそう際立たせるのではないか。

美人薄命という言葉は、“美人だから薄命である”という説明的な言葉でありつつ、“薄命だからこそ美人たり得る”という逆説的な意味をも持つのではないか。

この言葉を目にするたびに私はそう考えるし、だからこそ私はこの言葉が好きなのだ。


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