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ただ受け入れて生きるという事

今日の記事はいつもの介護系の記事ではありません。時はゴールデンウィーク中という事もあり、ちょっと私的な雑談になりますので興味の無い方はスルーして下さい。


私は昨年離婚したのですが、元妻とは寅年に結婚して寅年に離婚しました。更に元妻は寅年生まれの女性でしたので、寅年が三つ重なったことになります。

別に意図したわけではありませんが、偶然そんな風になりました。

いわゆる熟年離婚というやつをしたわけですが、離婚して気づいたことは、私は元妻の事を結局なにも分からずじまいだったし元妻も結局私の事を最後まで分かろうとはしなかったという事です。

ただ、分からないままにお互いを受け入れて生きてきた長い夫婦生活でした。

この感覚は自分の両親を亡くしたときにも感じていまして、親が亡くなってみて初めて自分の親の事を何も知らずに過ごしてきたことを知りました。

知っているのはつかの間一緒に過ごす瞬間の在りようだけで、家族であっても本当のところ何を考え何を思って生きているのか、どんな秘密を抱えているのか、結局の所何も分からないのが人生なのだなあと思います。

よく「兄姉は他人の始まり」と言いますが、その事もこの歳になって実感しています。

私は三人兄姉の末っ子で一番上の姉とは7歳離れています。すぐ上の兄とも4歳離れていて姉も兄も生きていればまだ60代ですが、何故だか二人とも早死にでこの世にいません。

世の中にはとても仲の良い兄姉も存在しますが、私は三人の中で一人だけ毛色が違うというか、タイプの違う人間だったため姉や兄とは親元を離れて以降あまり付き合いがありませんでした。上の二人は普通に仲が良く頻繁に行き来していた様ですが、二人の葬式の時に改めて兄姉の人生について何も知らない自分に気づきました。

更には自分の子供についても私は結局の所、何も知りません。

私には息子が三人いますが、彼らが普段どんな音楽を聴きどんな本を読み何を夢見て生きているのか、親子であるがゆえに話さない事も多く、三人が独立した今となっては知っているのは好きな食べ物と身長くらいかもしれません。

ただ、私はそれで良いと思っています。

例えば夫婦などという関係は、結局の所お互いがお互いに抱く幻想を投影させているに過ぎない関係ですし、子供は親をある意味利用して羽ばたいて行くものです。

その事で成り立っているのが人間社会なら、お互いがお互いに執着せずに、分からないまま丸ごとありのままに受け入れて生きるのが、成熟した関係性であり生き方なのかなと思います。


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