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国鉄チャレンジ2万キロ その後2 未踏路線を乗車

  2.未踏破線 三江線を踏破
 私はチャレンジ2万キロの会員となり、1983年9月に国鉄全線踏破を認定された者だが、実を言うと国鉄全線244線区中2線区は乗っていなかった。その2路線とは、赤谷線(赤谷―東赤谷・新潟)と三江線(三次―江津・広島・島根)である。この2路線とも出かけた時に水害で不通となり、乗車できなかった。それでもこの2路線の起点駅、終点駅の証明写真は撮り、認定された。赤谷線は1981年5月南東北踏破中に不通を知り、乗車はできなかったが、代替バスに乗り東赤谷へ行けた。
 1983年山陰豪雨後の中国地方踏破中だったが、三江線だけは豪雨の爪痕が残り、復旧の見通しが立たない様子だった。東京から遠いので何度も来られないと思い、証明写真だけは取っておいた。それでもいつか踏破に訪れようと思っていた。
 それから34年後、2017年12月三江線チャレンジのために山陰へ出かけた。このきっかけとなったのが、2018年3月31日に三江線が廃止されることを知ったからだ。それに廃止間際に行くと、鉄道マニアどっと押し寄せるため、廃止前4か月前に踏破することにした。
 2017年12月20日夜横浜から出雲市行の寝台特急「サンライズ出雲」に乗車する。個室寝台車のため、車窓を見たり読書をしたり車中の空間を楽しんでいたが、浜松あたりまで記憶があったが、その後寝てしまい、津山付近で目が覚めた。この感じが寝台列車の楽しいところだ。12月21日9時58分「サンライズ出雲」は終点出雲市に到着。この日は、木次線、芸備線に乗り継ぎ、三次から三江線を踏破する予定を立てた。出雲市から山陰本線で木次線起点宍道に行く。木次線には2つの楽しみがある。1つは亀嵩のそば、もう一つは出雲坂根のスイッチバックだ。さっそく宍道から亀嵩の蕎麦屋へそばを予約する。どんなそばが届くのか期待を胸に木次線に乗車、線名となる木次駅を通り、やや山深くなり亀嵩駅が近づく、冬なので温かなそばが届くものと想像していた。いよいよ列車が亀嵩に着き、窓から顔を出し、届けられるそばを待った。すると、四角の容器に入った冷たいそばが届いた。予想は大きく外れた。それでも空腹になり、容器に入った黒いそばに垂れをかけ、車中で食べた。ローカル線ならでの業で、出雲そばはうまかった。出雲坂根では、標高が高いので雪が積もっていた。ここには延命の泉があり、昔は鹿威しから水が出ていたが、今回はタヌキの像から水がでていた。出雲坂根を出ると、すぐに三段スイッチバックが始まる。スイッチバックを上り切ると、県境の三井野原に到着。ここはJR西日本一の標高で、西日本では珍しいスキー場もある。
 木次線終点備後落合に到着、この駅には以前夏と冬に訪れたことがあり、冬に訪れた時、乗客が駅のそば屋で湯気の立つおでんそばを食べていて、自分も食べたかったという思い出が残っている。ここから芸備線で三次へ向かう。沿線には雪がなく、標高が下がったことに気づいた。

三次に着き、いよいよ34年前チャレンジ2万キロの忘れもの三江線に挑戦する。始発三次ではまだ明るく江の川を見ることができたが、しばらくしてあたりは真っ暗になった。三江線では大きな駅と言える口羽に過ぎると、天空の駅宇都井に到着。この駅は橋の上にある駅で、陸地から50m程の高さがあり、眺望が良く鉄道マニアには人気の駅だ。自分もその眺望を見たいものだが、三江線は本数が少ないため、後の計画がずれるため、車内から駅を写すだけとした。列車 列車は石見川本に到着、ここで30分停車。無人駅で改札口を抜け、外へ出た。駅舎にはイルミネーションが飾られていた。食堂はあるのはあったが閉店だった。道を歩いていたら高校生の男女と出会い、身の知らぬ私に「こんばんは」と声をかけてきた。こちらも挨拶を返した。身も知らず人に挨拶するなんて、挨拶する習慣が身についている地域と思い、その教育力に感心した。良い気持ちになり再び三江線の旅を続けた。終点江津が近づくと、車外の灯りが多くなってきた。三次から5時間を経て、終点江津に到着。三江線の旅が終了した。長い間気になっていた三江線、これでチャレンジ2万キロの忘れ物がなくなり、すっきりした気持ちとなった。廃線する前に三江線を踏破できて良かった。は浜原止まりで、タイミングよく江津行列車が連絡できた。それに乗車し、車内の乗客はぐっと少なくなった。車外は点在する光が少なく、大きな暗闇は並行する江の川のようだが真っ暗で見えない。



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