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国鉄チャレンジ2万キロ 10.国鉄2万キロ終着駅

 10.チャレンジ2万キロ終着駅
 チャレンジ2万キロ最後の路線になったのは、吾妻線(群馬県)だった。吾妻線は、小学生の時、渋川―長野原(現長野原・草津口)間を乗車したことはあるが、長野原―大前間は未踏破だった。
 1983年9月17日今まで一人で行くことがほとんどだったが、この日は連休ということもあり、家族3人で出かけた。車で関越自動車道を北上し、高崎I・Cで降り、渋川で証明写真を撮る。はやる気持ちを抑え、川原湯温泉で一泊した。
 翌日車で長野原まで行き、私は長野原―大前間に挑戦。妻には車で大前まで行ってもらうことにした。いよいよ最後の未踏破区間の乗車となった。これで最後かと思うと、嬉しさと寂しさが交錯し、複雑な感情がこみ上げた。列車は静かに長野原を発車した。私の心境と裏腹に列車は淡々と進んだ。集落が点在する万座・鹿沢口を過ぎると、終着駅大前に到着した。13.3km17分間の短い旅だったが、ここに国鉄2万キロ全線踏破を完了した。最後の証明写真は、先に着いていた妻たちと家族3人で撮ることにした。
 国鉄全線踏破をするきっかけは、「時刻表2万キロ」(宮脇俊三著)という一冊の本との出会いだった。国鉄全線踏破一日目の大船で「いい旅チャレンジ2万キロ」の会員になることを決意し、幾多の喜び、困難を超え、3年間で全線踏破を完了した。踏破中全線踏破をやり遂げたら凄いことをしたと世間に注目を浴びる期待を胸に抱いていた。しかし、終わってみるとどうだろう。国鉄総裁から全線踏破の賞状を頂き、チャレンジ2万キロの事務局から記念品は届いたものの、踏破中に自分が描いていた思いと違っていた。期待が大きかったせいか、意外にあっけなく終わった。一生の思い出であり、自信にも繋がった国鉄全線踏破。それは、実に楽しくかつ幸せな出来事だったが、この物足りなさは何であろうか。今終着駅にいる。しかし、終着駅は始発駅でもある。私はまた新たな挑戦に向けて進んでいきたい。
 

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