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国鉄チャレンジ2万キロ 5.暑さとの戦い 

 5.暑さとの戦い
 「雨ニモマケズ 風ニモマケズ 夏ノ暑サニモ 冬ノ寒サニモマケズ・・・ソウユウ人ニ私ハナリタイ」宮沢賢治の「雨ニモマケズ」の詩である。まさしく国鉄踏破のチャレンジャーたちは、列車が運行している限り、何ニモマケズ挑戦していく。日本のような南北に細長い島国は、寒暖の差が激しい上に台風、大雨、大雪など、自然災害も多い。そのような自然条件の中で、黙々と踏破していく姿は、宮沢賢治の理想像そのものと言えよう。
 現代人は空調設備の発達により、暑さ寒さに弱くなってきていると言われる。私もその例にもれず、炎天下街を歩いていると冷房の効いた店に飛び込みたくなるし、木枯らしが吹けばストーブが恋しくなる。しかし、仕事の都合で夏や冬に出かけることが多く、ここに暑さ寒さの戦いが生まれた。
 まず暑さだが、夏に出かけた所は、北海道、九州、四国、中国など、東京から遠距離で、踏破に長時間要する所ばかりだ。
 北海道は緯度も高く、さすがに夏でも涼しい。しかし、7月下旬から8月上旬にかけては、気温も30度を超える。道央の深川、砂川、夕張の日中の暑さ、熱帯夜の札幌が印象に残っている。九州も暑かった。旅好きの私は、1時間も待ち時間があれば、駅近くの名所に足を運ばせる。しかし、猛暑の九州では、それができなかった。臼杵の石仏、日田の街並みを巡る計画も立てていたが、いずれも駅前の喫茶店で涼をとっていた。 しかし、何といっても一番暑かったのは、1983年夏に出かけた中国地方だった。8月4日、この日は呉線、可部線、岩徳線、岩日線を踏破する計画だった。呉線は電化され、しかも冷房車に恵まれ、快適な車中となった。しかし、昼から乗車した可部線は気動車で、しか


も冷房設備はなく、焼けつくような車中だった。列車に乗ると蒸し風呂のように暑く、汗だくとなった。この酷暑列車で終点三段峡まで2時間乗車しなくてはならない。可部線はどこまでも太田川に沿って走っていく。心なしか太田川の水量は少なく、川原のジャリだけがやけに目につき、日照りのようであった。
 終点三段峡に着き、酷暑列車から解放された。滞在時間は50分。三段峡の渓谷に足を伸ばし、涼をとることにした。エメラルド色の透き通った水、手を入れるとひんやり冷たい。まるで砂漠の中のオアシスにたどり着いた旅人のように生き返った心地がした。近くには親子が水浴びを楽しんでいた。いつまでもここで休んでいたかったが、滞在時間が短くなってきた。
 再び酷暑列車に2時間揺られ、可部線の起点横川に戻ってきた。横川から山陽本線で岩国へ向かう。その車中暑さと空腹でめまいがして、立っているのもつらい状態なってきた。そんな時、たまたま前の人が席を立ち、どっと座り込んだのは、言うまでもない。

 

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