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チャレンジ2万キロ その後1 日本列島4島つながる

 1987年国鉄(日本国有鉄道)がJRに経営が変わった。この変化に伴い、1988年JRの鉄道が瀬戸大橋線(茶屋町―坂出・宇多津・35.6km)、津軽海峡線(中小国―木古内・75km)の開通によって、北海道、本州、四国、九州の4島がつながった。

 4島のつながりは、本州と九州は高校生の時、寝台特急「あさかぜ」ですでに確認していた。次に確認したのは、本州と四国だった。1993年8月17日高知県宿毛市の親戚へ行く際に利用した。東京から岡山まで新幹線で行き、本来なら岡山から特急「南風」で乗っていくが、坂出や宇多津で証明写真をとるため、マリンライナーで踏破することとした。岡山から茶屋町まで旧宇野線を利用し、その後新線が瀬戸大橋線とつながっている。鷲羽山トンネルを抜けると瀬戸内海が見え、海上の橋を渡る。瀬戸大橋は南・北備讃瀬戸大橋を始め10の橋の総称で、13kmの長さで瀬戸内海の島々に橋脚を架けてつながっている。道路と鉄道併用では世界最長でギネスにも認定されている。
 マリンライナーが橋を渡りだすと、瀬戸内海が眼下に見える。海から100mの高さもあろうか、宙に浮いているようで目が回りそうだ。途中島々にらせん状の道路が橋の道路とつながっている。しばらく行くと四国が近づいてきた。瀬戸大4島のつながりは、本州と九州は高校生の時、寝台特急「あさかぜ」ですでに確認していた。次に確認したのは、本州と四国だった。1993年8月17日高知県宿毛市の親戚へ行く際に利用した。東京から岡山まで新幹線で行き、本来なら岡山から特急「南風」で乗っていくが、坂出や宇多津で証明写真をとるため、マリンライナーで踏破することとした。岡山から茶屋町まで旧宇野線を利用し、その後新線が瀬戸大橋線とつながっている。鷲羽山トンネルを抜けると瀬戸内海が見え、海上の橋を渡る。瀬戸大橋は南・北備讃瀬戸大橋を始め10の橋の総称で、13kmの長さで瀬戸内海の島々に橋脚を架けてつながっている。道路と鉄道併用では世界最長でギネスにも認定されている。
 マリンライナーが橋を渡りだすと、瀬戸内海が眼下に見える。海から100mの高さもあろうか、宙に浮いているようで目が回りそうだ。途中島々にらせん状の道路が橋の道路とつながっている。しばらく行くと四国が近づいてきた。瀬戸大橋でも長い北備讃瀬戸大橋と南備讃大橋を渡ると、坂出に到着。証明写真を撮る。ここから予讃本線で宇多津へいき、ここでも証明写真を撮る。これで、瀬戸大橋線踏破完了。橋でも長い北備讃瀬戸大橋と南備讃大橋を渡ると、坂出に到着。証明写真を撮る。ここから予讃本線で宇多津へいき、ここでも証明写真を撮る。これで、瀬戸大橋線踏破完了。 1987年国鉄(日本国有鉄道)がJRに経営が変わった。この変化に伴い、1988年JRの鉄道が瀬戸大橋線(茶屋町―坂出・宇多津・35.6km)、津軽海峡線(中小国―木古内・75km)の開通によって、北海道、本州、四国、九州の4島がつながった。

 


 次は北海道と本州の確認のため、1997年7月北海道の旅行の際、全長約50kmの津軽海峡線に挑戦した。この時東北新幹線は盛岡までしか開通しておらず、青森まで夜行バスで行く。青森から快速「海峡」で行くが、途中トンネル内の竜飛海底駅で下車し、「海峡」は竜飛海底駅に停車、ここでトンネル見学へ行く。狭いホームに降りると、JRのツアーコンダクターから青函トンネルの説明を受ける。トンネル内には工事で使用した工機が置かれ、工事の歴史が展示されていた。そして、ケーブルカーで乗り竜飛の地上に出る。竜飛からは向かいの北海道が見えた。竜飛は相変わらず強い風が吹いていた。再び竜飛海底から「海峡」で青函トンネルを踏破する。トンネル内の車窓は真っ暗なため、車中にはトンネル内の列車の位置を示す映像が流れていた。
 「海峡」がトンネルを抜けると、そこは北海道の大地だった。青函トンネルは1954年洞爺丸台風で洞爺丸などの転覆事故で多くの犠牲者を出したことから北海道民の悲願であった。事故から30余年が過ぎ、やっとトンネルが完成し、道民の悲願が実った。青森―函館は青函連絡船では4時間かかったが、2時間で行けるようになった。
 瀬戸大橋線にしても津軽海峡線にしても日本の技術のすばらしさに驚嘆する。
現在竜飛海底駅と吉岡海底駅の見学していない。津軽海峡線は、貨物以外すべて新幹線が走っている。青函トンネル見学を予定に入れた。青森から津軽線で中小国へ行き、ここから津軽海峡線に入る。しばらく地上を走っていたが、「海峡」はトンネルに入り込んだ。

 

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