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神さんとの日常 「根拠はないですが」

「根拠」「エビデンス」などという言葉がコロナ禍の日本では多く使われていましたが、世の中に根拠というものは本当に存在するのでしょうか?個人的にそう思うことがあります。

色即是空 空即是色

般若心経の有名な一節です。簡単に訳すと「全てのものに実体はあってないようなもの」になります。

見方や考え方によって全てのものは実体を持ったり消えたりすることを考えると、根拠はその考えで事をなしえたい人の寄る辺でしかなくて、その寄る辺が偏れば偏るほど根拠というものは「他の人には見えない、理解できないもの」になり色がなくなってしまうように感じています。

色が濃ければ濃いほど、パッと消えてしまう。

先ほどの般若心経の一節のことを考えるたび、強い主張や深い考え方を持ちすぎると誰にも理解されなくなってしまうのではないかを思ってしまいます。どれだけ強い根拠をもって相手に理解を促したとしても、それが相手に独りよがりの寄る辺だと思われてしまうと、その根拠はパッと消えてしまうのです。

科学的に、医学的に、自然学的になどと世の中にはたくさんの根拠で話をされているものがあるのですが、(これを書くと当事者の方は気分を害されるかもしれないですが)本当にその根拠が正しいのかを示す術はどこにもないのです。

もちろん僕がさせてもらっている神さんのお仕事も同じで、人によっては意味をなさない正解のないものだと思っています。だからこそその点に常に気をつけて、僕自身はこのお仕事をしていくことに対して根拠を持たないようにしています。

「根拠のない自信」

ダメだったらやめさせられているだろう、続かないようにされているだろう、続いているということはやってもいいと言われているのだろう。神さんはお客さんの為に僕の行動の直す点をアドバイスされたとしても、僕個人のことに対するアドバイスはないので、僕自身のお仕事に対する行動には根拠のある行動はなく常に手探りでやっています。正解も不正解も決まらない行動なので根拠が持てないのです。

ただ、根拠が持てないので自信がないですという感じでお客さんに接するのは失礼なので、一つのラインとして「背筋だけは伸びた状態でいよう」と思っています。僕の中で背筋を伸ばすというのは

「根拠はないですが、それでもこの環境で楽しく暮らせています」

という感謝の気持ちをもってお仕事をしようということになります。この考え方も間違っているのか正しいのかはわからないので、お客さんには押し付けのないように接するようにしています。

前にも少し書いた「自信を持たない」も同じですが、色濃い根拠を持ちすぎた人(集団)はその根拠から離れられなくなり、その根拠を理解しない人を攻撃してしまいます。そうなるとその人(集団)はさらに理解をされなくなってしまい、さらに色濃い根拠で理解しない人を攻撃する「孤独のループ」や「カルト集団」になっていくのだと思います。

世の中をうまくわたっている人は根拠にこだわっておられない方が多いように感じます。一つのことに正解も不正解も存在することを知っているからです。一つの成功もある角度から見たから正解だっただけで、違う角度から見れば不正解だったかもしれないと思うと「今回は運がよかった」だけで、自分がすべて正しいわけではなかったと考え「今回のことは根拠にできない」という結論が出るからだと思います。

だからといって根拠を持つことは悪いことではないと思います。ただ、色濃い根拠を持ちすぎると相手によってはパッと消えて理解をしてもらえない率が上がってしまうので、根拠はほどほどの濃さで持っておきましょうというお話でした。

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