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極端だからストレスがたまる

「極端なことを考えるから、極端な結果が寄ってくる」

神さんはよくこういう感じのことを言われます。
ここ数年で、極端な思想や思考を持つ方が増えてきました。思想を持つことは悪くないのですが、極端になり周りの人に迷惑をかけたり嫌な思いをさせたりすることはしてはいけません。しかしそういう人が巷に溢れ自己中心的な思想や思考を振りかざした結果、自分やまわりの人の生活から生まれるストレスに振り回されて苦しんでいるように感じています。

前からずっと書いていますが、神さんはすべてにおいて等価交換の考えで考えておられるので、やったことややることに必要な分だけの「負荷」を与えられます。その負荷とは「対極のものとぶつかる」というものだと思ってください。

安定には不安定
健康には病気
獲得には喪失

得たい物に対する気持ちが大きくなればなるほど対極のものも大きくなり得たいものと一緒にやってくるので、極端な思想や思考を持てば持つほど処理をしないといけないストレスに振り回されてしまい何をやっているのか本末転倒になってしまうのです。

では、そうならないためにはどうすればいいかということですが、大きく二つのことを意識してもらえば解決できると思います。

一つめは、「思想や思考の幅を縮める」
極端になってしまっている思想や思考を、少しだけ実生活に即した考えに戻してみるということです。例えば「お金持ちになって安心したい」と「生活ができるだけのお金が稼げたら安心」というのは「お金が欲しい」という観点では一緒ですが、そこから生まれ出るストレスには大きな差があります。思うことが極端になればなるほど大きなストレスが生まれるのならば、自らで大きくならないように「思い方」を制御すればいいだけだと思ってください。

二つめは、「適用範囲を縮める」
思想や思考を持つことは全然かまわないのですが、その適用範囲を「自分だけ」ではなく「まわりの人」にまで広げてしまってストレスを溜めている人が多いように思います。よっぽどの迷惑をかけられていなければ「他人には他人の思想や思考がある」でいいのだと思います。公の場では周りを尊重し自己の思想や思想を「二の次」にできれば、どこででもストレスが少なく生活できるのではないかと思います。

足るを知り
中庸を知り
反対を知る

そのようなことを考えるとき「綺麗」ではなく「小綺麗」くらいで生活をすることが、大きなストレスもなく楽しく生きれるのではないかと思う今日この頃です。

ある程度の幸せと、ある程度の負荷を楽しむ。

そんな毎日です。

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