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穢れ論

個人的なことですが、駅などの人ごみでこちらのことを視認した状態なのに避けずにそのまま進んできた人にこちらが避けているにもかかわらずぶつかってこられると「イラっ」とします。

この「イラっ」が穢れです。

僕が人混みが苦手な理由のひとつはこの「穢れのたまり場」だからです。最近は「個人の自由」という大義名分が広がってしまったために「他人の自由」を侵してでもしたいことをすることが当然という考えが横行して、様々な場所で穢れが発生するようになってしまいました。

穢れには健全な思考を止める力があるので、穢れに触れた人は心が疲れ荒み間違いを間違いだと思わなくなり、さらに間違いを重ね穢れを量産していきます。まわりのことを気にせず生活をする人が多くなったのは、この穢れに心を奪われた人が多くなったからだと思います。

自由に生きることはいいことではありますが、自由にもTPOがあり場面を違えるとそれは失礼であり迷惑になります。お互いさまの精神を忘れ好きなことだけをすると穢れは簡単にたまります。それは人ごみのような大きな場だけでなく家や会社などでも、穢れは簡単にたまりますし範囲が狭くなればなるほど穢れの濃度は濃くなり居心地が悪くなると思ってください。

では、穢れに増やさないようにするにはどうしたらいいのか?

とても簡単なことで、

感謝をする
譲る
自分でできることは自分でする
笑うことを増やす

など「自分以外の人が喜ぶ」ことをするだけでいいのです。最近では冒頭で書いたように道を譲ってもぶつかってきたり、「当然」と言わんばかりに何も言わずに通る人もいるでしょうが、お互いが道を譲らずにぶつかって生まれる穢れに比べるととても小さな穢れになりますし、もし相手の人もこちらの行為にあわせて道を譲ってくれたらお互いに「感謝の心」が生まれるので穢れは発生しないのです。

うまくいっている人のまわりには「ありがとう」がたくさんあるので、穢れが寄りにくくなっています。感謝の心が穢れから身を守ってくれるからです。

うまくいっていない人の周りには「不満」がたくさんあるので、穢れが喜んで寄ってきます。感謝の心を忘れ「不満」が穢れとなり更なる穢れを呼ぶからです。

感謝の心は偉大です。

最後にもう一つアドバイス。
感謝をしてくれない人には「それなり」の対応でいいと思います。感謝をしてくれない人にまで丁寧にするのは心をすり減らすだけなので、感謝をしてくれる人に丁寧にするようにしてください。ただ、感謝をしてくれない人にも「ありがとう」と「あいさつ」だけはきちんとすることは大事だと思います。


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