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神さんとのお仕事63「過ぎた正義」

「頑張るのはいいが、頑なになるな」

神さんはよくこう言われます。頑張りも過ぎたら頑なさで迷惑になるように、何事にも「過ぎる」と「良し」が「悪し」になってしまう境界線があります。

この境界線の多くは「正しい」の後ろに隠れていることを知らずに盲目的に正しさを追求してしまうことで、正しいを通り越した間違いの域に踏み込んで間違いを犯していることに気がつけず周りに迷惑をかけてしまっておられる方をよくお見かけします。

自分の行動に常に疑問を持つことはしんどいことではありますが、この確認作業を怠ると間違いを犯したときに今まで頑張ってきたこと全てを無駄にしてしまうことになります。「自分は正しい」という思い込みは大事ではありますが、「これでいいのか」という気持ちがあってはじめて「正しい」は成り立つものだと思ってください。

この手のお話は何度もこのnoteで書いてきましたが、それだけ大事なことなので何度も見方を変えた書き方で書かせてもらっています。何度も見ているなと思っておられる方には申し訳ないですが、もう少しお付き合いください(笑)。

戦争も殺人も認められないことですが、そこにも「度を越した正義」が成立しています。やっている人側からみれば間違ってはいますが「正義」があるのです。ダイナマイトも最初は発破作業で使うためのものが武器になったのと同様に、「正しい」や「自由」も使い方を間違えるとそれ自体が武器になってしまう危険なものだと思ってください。

だからこそ神さんは「頑なになるな」と言われるのだと思います。

自分の正義を押し付けず、周りの歩調を見ながら常に一進一退を繰り返すことが「本当の成長」には大事なのではないかと思います。頑なな物の見方で必ず偏った成長にしかなりません。

本当を知るには対極の存在を知る必要があります
それを知らずして「本当」は成り立ちません。

境界線の存在は反対側を知らないと理解できません。何事にも正しいと間違いは存在することを忘れず、ただただ「正しいから」と前進するのではなく「これが正しいのか」と進むようにすれば「間違いの境界線」を踏み越えることはないのではないかと思います。

日本が戦争に明け暮れた原因は度を越した「自分たちの正義」の結果だということや、我々はその「頑なになりやすい血を受け継いでいる」ことを忘れてはいけないと思う今日この頃です。

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