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子ども時代に壮大な将来の夢を見ることを否定した担任の先生の話を共有します。

こんにちは。

私が小学生の時の話です。

私は今30代のおじさんなのですが、私が小学校3・4年生の時の担任の先生はとてもシビアな要求を生徒に突きつけてきました。

彼女は、当時50歳くらいだったと記憶しており、生きていれば今70歳後半くらいになっていると思います。

彼女は、豪快な雰囲気を持っていましたが、悪く言うと雑な人でした。

私は、彼女を人として教師としてあまり好きではなかったのですが、最後の最後に、これはどうなのみたいなことをやらかしました。(彼女も人として生徒として私を嫌いだったかもしれませんが。笑)

4年生の最後に差し掛かり、卒業文集を作ることになりました。

卒業文集って、将来の夢について書くのがあるあるだと思いますが、例によって例の如く彼女は生徒に将来の夢を文章化することを求めてきました。
有名人や犯罪者が子供時代に何を目指していたか・どんな人物だったかを番組やニュースで紹介されるあれです。

私は、小学校低学年のときはサッカーが好きで、でも高学年に差し掛かりサッカーへの熱が冷めかけており、将来の夢としてサッカー選手というのも現実的ではないと感じ始めるくらいの年齢に差し掛かっていました。ただ、なにか書かないといけないので、とりあえずサッカー選手を目指すことにしたのです。

当時はJリーグ全盛の時代なので、当然ながら、クラスには将来サッカー選手を目指す男子生徒が多発しました。
先生は、クラスがサッカー王国にならないように、特定の生徒へ助言を始めます。
「あなたはサッカー選手にはなれないから、マラソン選手を目指しなさい。」
今思い出しても笑えます。私は子どもながらにこの先生は馬鹿な大人だと思っていました。

僕はサッカー選手を目指す権利を剥奪されませんでした。僕のような本当にサッカー選手を目指していない生徒から権利を剥奪して全体の体裁を整えるほうがまだよかったような気もします。
サッカーを幼稚園からやっていて頑張っていた子が半強制的にマラソン選手になって、悔しくて泣いていたような記憶があります。

基本的に、教育者は行き過ぎた介入をすべきでないと思います。
例えば、子どもが〇〇をしたいといったら、それができるできないの判断はしなくていいと思います。
なぜかというと、それを決めるのは本人だと思うからです。また、それが理解できるような歳になれば自然と変わるからです。
自分がやってみた感じでダメそうで諦めるならいいのですが、鼻から余計なお世話で人生を決めてくるような教育者は考えを改めるべきだと思います。とは言っても、そういう人は世の中に多くて、そういうものがスタンダードになっているからこそ、「夢」に対する世の中の閉塞感みたいなものがまん延しているような気がします。
個人的には、感情的にどうこうアドバイスするのではなく、生徒が○○を目指したいといったならば、それを達成するための具体的な道筋を示すことが教育者の役割として重要だと思います。

できるかできないかは周りの人間ではなく、本人が決めるものなのです。

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