見出し画像

【短ペン小セツ】 まぽろし

人口咽頭をつけても、気軽にしゃべれるわけじゃない、だって、わたしの声は、電気を通したみたいで、よく他人から、聞き取りにくい、電気人間と話しをしているようで、とても、とても、生身の人間と思えず、不気味で近寄りがたい塩梅だといわれた。わたしは、ほとんど体毛がないため、そして、元来の、鯰性白斑がまだらにひろがっており、それならば、鮫肌でよかろうものの、皮肉とはまさに、真実、このわたしのことであるから、輪かけて、つるり、もち肌に近く、湯上がり卵肌なんてあまっちょろく、生温い、質感もまるで、どだい、赤んぼのそれ、先天的な末端冷え性でもあるから、肌をあわせた相手には、しゃっこい、だの、冷たい人だの、肌の温度まで詰め寄られるから、生きた心地しなかった、あなたは、ゴム人形のようだと、Yという昔馴染みの女に吐き捨てられたさいは、一月後に、帯状疱疹ができるほど傷心した。
これで、顔が二枚目三枚目と評される土俵においての美醜を持ち合わせておれば、いや、打ち捨てられ苔むした粗大ごみのように自由奔放であればまだしも、ザラ紙にインクのシミが垂れたような貧相な目鼻立ちであり、特に鼻。忘れ鼻とは物は言いようで、実際鼻が存在せぬほど貧弱であればあるほど、男性自身の貧弱を世間さまにさらしておるも同然である。
であるから昔、父の書斎で盗み読んだ、芥川龍之介の、鼻という物語にずいぶんと憧れたものだ。立派な鼻こそが、立派な男性像であると一種の洗脳、洗礼を、幼心に受けたのである。
すなはち、くどくど講釈垂れたが、様々多種多様が相乗して、人様からよく、不気味だ不気味だと陰口を叩かれ知らぬまに、満身創痍、立ち上がるのもやっとこ、これは、わたしを生んだ母の不徳のいたすところにあるが、母は、旅芸人一座の女形と出奔したきりで、乳首をすった記憶すらなかった。父の孤独と厭世の幕開けだ。

※咽頭に埋め込んである機器は、旧政府の改良による回収前の、30年前の部品の寄せ集めの廉価型だった。親切なユニセフの婦人部の、Kとう若い女に掛け合って、内密に寄付賜ったものだ。

しかしながら、声帯を失ったのは、私の不注意による不慮の事故で、煎じたトリカブトの汁を誤って、ネブライザーで吸入してしまったからであって、むろん家人が外壁の溝に、トリカブトの煎じ汁をぬりたくって、赤蟻の闖入を食い止めようとしていたからって、とんだ珍事、であるからしてトリカブトと、ドクダミを、混同し、家人の書いた紙片が、容器からはがれおちていても、最近の住居に現れる赤蟻の大軍の事を考えると、間違える人間などこの世にいないと片づけられた。
医師より、声帯の炎症を抑える目的で、しばらくは、松川という海水魚の縁側を干し伸ばしたものを、喉仏に移植する手術を提案された。カレイやヒラメ等のポピュラー海水魚ではなく、これまた人の名字のようで、松川なんて、聞いたことも、見たこともなかったが、同級生の野球少年に、松川という男がいたが、魚というよりも猿人よりの顔貌であったため、繋がりが浅く、母親の再婚により兄弟が8人に増殖したのと、珍しい姓になった印象が強かったため、すっぽりと記憶の懐から抜け出ていたのである。しかし魚の松川は、食味は美味との事で、それならば刺身で食うてやろうとすら思うたほどである。しかし、海風に当たると湿疹がでる軟弱なたちであり、海岸での逢い引きはおろか、海の食べ物にも拒否反応がでるたちであるから、一体全体どんなたち、随分、腹の中はむんずむんずと、痒いところに届かずこそばゆかった。

むうずむうず。喉が声を求め疼く、疼く、女の毛羽立ちのように、疼く疼く、むうずむうず。

現在の医療技術では、おそらく8割の確率で、失語症を、併発するであろう。との、宣告を医師からされた。海水魚の松川の縁側ではなく、かの有名な、人類宇宙、最大の哺乳類であるシロナガスクジラの尾びれだと手術の成功率が数パーセントほど上がるのではないか、というドイツ語の文献を提示されたが、翻訳されておらず、目の前の医師が大業なドイツ式発音で、文献を読み上げるものだから、いかにも濁音の多用からか、信用ならなかった。
曾祖父から譲り受けた辞書によると、クジラは魚の形をした哺乳類だと辞書に確かに掲載されていたが、声帯に関する記述はどこにもなかった。ためしに、『声帯』をひいてみると、“弾力のある二筋の筋からなり、肺からでてくる空気に当たって振動し、声を出す”との記述であり、家人からはよく、わたしの声を、とりわけ、家人にやさしく語り掛けるときなど、ボーイソプラノのような軽やかで、プロセスチーズのようにつやがあるあなたの声が好きと、常々、夫妻の寝室で、家人は女くさい化粧の瓶から半固形のクリームを塗りたくって、化け狐の面のような顔で鏡台ごし、うっとりやるものだから、わたしもその家人を悲しませたくない一心で、手術を一度断ったのだった。


しかし、機器をつけてからの私の生活は一変いたしました。

二つの機械式の筋を震わせ、私は言う。
家人は白塗りで微笑んだ。

この世は、まぽろしだ。

わたしが、そう言うと、家人はますます笑った。
ほうれい線に塗り込んだカタツムリエキス入りの美容ジェルがドロリと垂れ下がった。






 




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?