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「私は私が主人公の人生を生きていきたい」と願うことはいけないことですか?

「私は私が主人公の人生を生きよう」。
そう思ったのはいつ頃だったか。
当時、私には好きな人がいた。
その人のために綺麗になりたい、可愛くなりたい、
釣り合いのとれる知識だって身につけたい、話の合う人間になりたい…。
そう思った。


会う前にはネイルサロンに行き「前回会ったときとは違うカラーにしてください」とオーダーしピカピカの爪に目をやる暇もなく、次の美容室へと駆け込む。
仕事で忙しい合間にすべてをやり遂げたかったからだ。
予約時間にギリギリで滑り込み、サラサラ髪にしてもらい、当日はいかにも彼が好きそうなスカートにニットを着てハイヒールを履き、颯爽と出かけた。


今にして思うと、気合いお化けだ。

以前、友人に言われた言葉が浮かぶ。
「あなたには隙がないのよ」。

あの時はこの言葉の意味が分からなかった。
けれど今ならよく分かる。
武装なんてしているつもりはなくても、これは完全武装だ。

隙がある人というのはもっと、
どこかに欠落した部分がある。
人はそこに愛嬌や可愛らしさ、
人間らしさを見る。

そうは言っても、
別にこのくらいで完璧な自分になれたわけでもないし、特に私は
美人でもない。
でもそれが、今思うといっそう痛々しいではないか。


精いっぱい背伸びして、頑張ってる自分が楽しい!
そんな時期は確かに恋には存在する。相手にも喜んでほしくて、頑張って、それすら楽しくて仕方がない。

「明日のデートは何を着ていこうかなぁ」、「次はどこに行こうかなぁ」というトキメキは、まさに恋の醍醐味だ。


「うれしい たのしい 大好き」
                         

DREAMS COME TRUE
「うれしい!たのしい!大好き!」


まさにこの歌詞そのもの。
本当にこの曲は、なんて的確に乙女心を描いているんだろうと今でも思う。

それが、どこでどう道を間違うのだろう…。
人は本当に欲張りだ。
「もっと関係を深めたい」、
「もっと愛されたい」、
「もっと必要とされたい」…

もっと もっと 輝いて

篠原涼子/「もっと もっと…」

この気持ちが始まると、ヤ・バ・イ  シグナルだ。

もっと、もっと…と思えば思うほど自由を失い、身動きがとれなくなる。

そして
人は容易に森へと迷い込む。
沼ではない、森だ。
鬱蒼と草木が生い茂り、歩けば歩くほど右も左もわからなくなるような暗闇。

時には見たことのないような林檎が足元に転がっている。
これを口にしたなら、たちまち知らない世界へ連れ去られてしまいそうな、真っ赤な林檎が…。

そんな森を、ひとり、
ひたすら彷徨う、
希望という光を探して。

「足るを知る」なんて言葉もあるが、修行僧にでもなって煩悩を捨てきれない限りは無理。
私は凡人だし、欲なんて捨てきれない。煩悩まみれの女だ。

そして、「もっともっと」と追求するたびに、失っていく
かけがえのない大切なものが
一つ。

それは、「自分自身」だ。

イッタイ、ワタシハ、
ダレニナリタカッタノ…

なりたかったものなら
お姫様なんかじゃない

なりたかったもの 
それはキミといる私

浜崎あゆみ/「monochrome」

あゆはずっと今でも繰り返し、変わらぬメッセージを歌ってる気がする。大きな何かを手にして、
今は本当に欲しかったものを手にできているのだろうか。あゆ…。


自分自身を置き去りにして、
森に迷い込むと、
歩いても歩いても
容易には森から出られない。

森の中では一つの大きな鏡が
私を待つ。
恐る恐る覗きこむ…。

そこには、頑張って着飾った私。
だけど鏡に映ったのは
私じゃない私だった。
自分じゃない顔をした
知らない自分がそこにいた。

私以外 私じゃないの
当たり前だけどね

ゲスの極み乙女。
「私以外私じゃないの」

「恋ってこんなだったっけ?
こんなはずじゃなかった」   

もっと好きになってもらいたいと頑張れば頑張るほど、
自分がどんどんすり減っていく。

別に相手は何も悪くない。
だって相手からのリクエストじゃない、望まれたことなんかじゃない。
1人でドラマ演じてるだけの人、それが私だ。

自分が勝手に、
自分じゃない自分になって、
相手に見返りを求めただけ。

どんなに頑張っても、人は自分にしかなれない。
どんなに愛しても、
その人にはなれない。

それは人間の宿命であり、
孤独ってそういうことを
言うのだと
昔から分かっていたはずなのに。

そうして、私は憑きものが落ちるように目が覚めた。
想いの深さが変わったわけでも
なかったけれど…。
森を彷徨ううちに、
疲れ果ててしまったのかも
しれない。

「もういいじゃない?
このままの自分で。
自分自身を変えて
頑張ったところで、
どの道、続かない」。

そう、きっと恋の行方が
見えたのだ。あの時に。
鏡に映った知らない自分の
向こう側に。

気づかずあのまま突っ走り、
当時、この恋を強引に
確かなものに
していたとしても、
きっと長くは
続かなかっただろう。

本当は不安定な二人の未来は
見えていたし、
だからこそ見ないふりをして、
空回りしていた気がする。
今はそう思える。きっとそう。

「自分磨き」なんて
それらしい言葉を
見つけて
すり替えて。
自信のなさから
自分を相手の理想に近づけようと
していただけ。

人生は
ずっと誰かに合わせて、
人形のような表情をして、
バーチャル人生を歩むわけにはいかないのだ。

私は
「私がどうしたいか」、
「私がネイルをしたい」、
「私が髪を切りたい、伸ばしたい」

「私が」という主語で生きていきたい。

一度きりの人生、
演じなくていい。
女優になんてならなくていい。


既婚の友だちは言う。
「いいじゃない。それって恋してるって感じがする。恋愛の感情の不安定な波だって醍醐味よ。
私なんて夫のためにオシャレしてメークして…なんて思うこともないし。私たちは恋愛だって、もうできないわけだから」。

結婚すれば男女ではなくなるのだろうか。
いや、結婚の場合は父親や母親、
あるいは共同体のパートナー
となり、
深い絆や関係性に
変化していくのだと思う。
そしてそれはきっと二人の
素敵な進化ともいえるはず。

そして

結婚していようが
独身だろうが、
私たちの人生は
誰かの物語ではなく、
私たち
一人ひとりの物語だ。
私たちは誰もが、
自分だけの物語を生きている。

自分の人生を歩く上で、
たまたま
結婚し家族ができただけで、
それは
自分の人生を捨てたわけでは
ないはずだ。

別の軸が増えただけでは
ないのだろうか。


自分の人生があってこそ、
初めて
夫との人生、
家族との人生、
そして好きな人との毎日が
輝き続いていくはず。


既婚者だからといって、
女性たちが、
自分の物語と人生の喪失感を
抱える必要なんて
どこにもないし、

独身が
自分を見失うような恋に
頑張り続ける必要だってない。
それは、もちろん男性だって。

「I am I」
                     安室奈美恵/KOSE CMより

ふとそんな言葉が頭に浮かんだ。
この言葉を残して表舞台から消えたあの人を思わずにはいられなかった。

〝安室奈美恵〟はこの言葉を残し、私たちの前から姿を消した。
なんてことない非常にシンプルな言葉だが、いまだに心に鋭く
刺さる。

私は私の人生を歩みたい。
誰かの何かなんて目指したくないし、演じたくもない。

「自分がなりたいもの」に、
「自分がやりたいこと」を、
精いっぱいやり遂げたい。

だって、一度きりの人生、
人生の主人公はいつだって
私自身なのだから。

私が私の人生を歩けるようにならなければ、
きっと誰からも愛されない。
ほしいものは手に入らないのだ、一生。

僕が僕であるために
走り続けなきゃならない

尾崎豊/「僕が僕であるために」

週末の尾崎豊がそう叫んでる。


読んでいただきありがとうございました。 これからもぽつりほつりと書いていきたいと思っています。 お付き合いいただければ嬉しいです。 よかったらポチっとしていただければ励みになります。