ゴミを拾うこと、すれすなわち落ちている幸運それとも・・・

 先日記事載せた「悦で自分をいたわろう」で、読了した
『自分を喜ばせる習慣 今日からうまくいくシンプルな77のこと』を紹介したが、その中でも興味深いことが書かれていた。

 それは「10 落ちている幸運を拾おう」(『自分を喜ばせる習慣 今日からうまくいくシンプルな77のこと』田中克成著 すばる社 P48-P49)
というもので、著者の田中克成氏は、道端でゴミを見かけると「幸運みっけ!」と心で叫び、そのゴミを拾って、ゴミ箱に捨てると、ゴミ1つにつき、1幸運ゲットといったルールを設けているとのこと。

 さらに極真空手の塚本徳臣氏のことも書かれていた。
塚本氏は、道でゴミを見かけると
「これはいままで、自分が素行が悪く捨ててきた運だ」と思い、自宅から道場までの道のりを歩いてゴミ拾いをする。
 普段だったら歩いて15分の道のりだが、ゴミを拾いながらだと2時間もかかったという。
 それを1年間も続けたのだから素晴らしいことと思う。
その1年間で拾ってきた運でなのか、37才にして史上最年長の世界チャンピオンに輝くことになるわけで、それもそれで、すごいことだと思ってしまう。

 確かにゴミを見かけると、「誰かが捨てるからいいか。」「自分が捨てた訳じゃないからいいか」的な感じで素通りしてしまうのが殆どだと思う。
でも、道や周りににゴミがあると気分を害されるのも確か。
 私も、元来の奇麗好きなのか、道や自宅、職場でゴミが落ちていると勝手に体が反応して、拾ってゴミ箱に捨てることにしている。

 ただ、自分の場合は、
「今まで自分が素行が悪かったから、そのせいでおっちている業(悪行)だ」と思ってその浄化のためにゴミ箱に捨てている。
 その際に心の中で「さようなら、私の業(悪行)、迷わず浄化されて下さい」と言ってゴミ箱に捨てている。

 確かに田中氏と塚本氏のゴミを捨てるごとに幸運ゲットという発想は面白いし、何よりも前向きで、ポジティブな感じがしてしまう。
 その反面、自分のは一見ネガティブな感じ、赦しの為にやっている邪な感じなどがしてしまうが・・・
 発想が異なるが、ゴミを拾って捨てるという点に関してはやや相通ずるものがあるのではないかといった感じで、なんだか興味を惹かれてしまった。
 それでも、そんな自分を良いことをしてより良い自分に変えていきたいと思い行動に移しているわけであるし、何よりも道、部屋などに落ちているゴミを拾って捨てるという行為は、身の回りが奇麗になるし、何よりも自分も気分がいいのには変わらない。
 これからもゴミを拾ってゴミ箱に捨てていきたいと思う。

 その際は、明日からは、自分も業(悪行)浄化ではなくて、幸運ゲットという発想で、ゴミを拾って、捨ててみようかと思う。

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