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風の吹くまま、気の向くままに 6 (飛ぶ教室74「10編の超短編」から)

 昨年7月発行の児童文学雑誌『飛ぶ教室74号』(光村図書出版)に掲載の超短編を読みました。10篇ともそれぞれ味わいがあり、大変参考になり、創作するためのヒントを得たような気がしました。

 私なりの考えですが、物語を書くためには、まずは作者が何を表現したいかがあると思います。それは哲学的なものから通俗、娯楽的なものまで多種多様ですが、主題がが決まれば、あとは表現の仕方が大事です。物語の構成を考え、細部の組み立てを工夫します。主題を顕わにする適切な情景を吟味して、言葉という部品で形作ります。

 前記の雑誌から、二つの短編について感想を述べたいと思います。十篇とも味わいのある作品と感じますが、そのうちから私の趣向で二篇を選びました。私の主張に適うのではないかということです。

 最初は、奥山淳志作『百の命』です。これは深い森の中に住む親子二人の山男の物語です。森には人間も住んでおり、人間からは、山男たちは動物と人間の間に位置する生き物とみられています。山男たちの生活の主な糧は狩猟で、獲物は仲間の皆で分け合って食べます。ただし火は使わないので生のままです。
 
 不思議なことに山男たちは各人が百の命と姿を持っており、それぞれが一頭の獲物を狩るごとに一つ命を減らし、百頭になると、あの世に旅立つというのです。このようにして親子は二人とも命を全うしました。山男たちはこの運命に小さく泣くこともあったが、疑ったことはありません。

 作者は何を言いたいのでしょうか。このことに直接は触れていませんが、私には自然の摂理を説いているように思えました。火を使う人間の文明はとどまることを知らず、地球のすべてを破壊します。何という無駄なことでしょうか、動物も植物も殺戮伐採され、それが当たり前になっている現実に目を向ける必要があるといっているような気がしました。

 次に、桑原亮子作『胸の小鳥』を取り上げます。これは、洋服の仕立て屋の女子店員と売れない歌手の男性客との縁結びの話です。縁を結んだのは不思議なことに男性のコートの胸ポケットにに入っている小鳥です。この小鳥は人の言葉が自由に話せるのです。

 ある日、男性が女子店員に小鳥が入れる大きな胸ポケットのついたシャツをオーダーしたのですが、その寸法を測っているとき、面白いことに小鳥があれこれと焼きもちを焼きます。

 一週間後に、自らの天国ゆきを悟っていた小鳥が飛んできて、女子店員に男性の恋心を伝えます。店のガラスに体を当ててノックしたといい、あたしがいなくなると男性はまた一人ぼっちになるから、誰かを探してあげたかったと告白するのです。

 現実にはあり得ない話ですが、小鳥の切ない気持ちが伝わってきて哀れです。昔は普通だった仲人の役割を小鳥が演じたということでしょうか。いずれにしても小鳥がキューピットになったという話です。

 二作品とも現実的リアリズムとは相いれないと思いますが、児童文学という範疇で子供たちを楽しませ、興味を抱かせ、想像力を掻き立てるものなのでしょう。現実を明らかにする比喩ともいえるのでしょうか。最も子供たちに現実と非現実の違いが分かるかどうかは不明です。子供時代を思い起こせば、森の中には魔物や妖怪がいるように思っていましたから。

 読者に伝えたい物語の意図は、時として独り歩きをすることがあります。読み手が受け取る言葉の意味は、それぞれの価値観の違いから必ずしも作者と同一とは限りません。本によっては幾通りもの解釈が生まれることがあります。時代によっても変わります。作者としては、できる限り長く読まれる本を書きたいと普遍性を求めるのではないでしょうか。

 自分の思いを文章で相手に伝達するその熟度は、その媒介としての言葉力によっても左右されると思います。いかにたくさんの語彙を身に付けているかどうかです。そのことに思いをはせ、これからもできるだけ活字には親しみたいと思っています。

 

 

 



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