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下書き。

下書きって1番綺麗だと思うんですよね。
だけど理由があって見せられないものだから大好きな人たちの目には触れないところでインターネットの大海に流したい。どうか言葉になったことを悔やまない言葉でありますように。

遠く向こうに投げさったはずの青春なんかを美しい儚いものだと勘違いして今を棄ててまで追いかける姿が醜くて可愛い愚かで綺麗。

22年11月末
青春の意味を考えた日。

ふと見た自分の姿が可愛くて好きだった

22年夏
部活後に同期と美味しいものを食べた日。

こいっていうならあいにきてよ

22年春
大好きだった人と遠距離で苦しかった頃。

愛されることを望むことすら我儘だっていうならわがままでありたい。

23年1月
そばにいることが当たり前じゃないと分かった日。

愛が何か知りたい

23年1月
愛されてるかわからないって言われた日。

横にいたはずの存在ではないものを好きだったはずなのに手放してから未練を断ち切れなくなったのは恋だったのか執着なのか。はたまた愛されてたことへの懐古なのか。

22年初秋
冬の訪れを感じた日。

結局愛されたいだけなのかな。愛が何かも知らないくせに。

22年秋
友人と恋人について話した日。

好きな人の笑顔がこの世で1番好き

22年初夏
好きな人がいた頃。

好意を無邪気な暴力とか言ってごめん。

22年冬
過剰な好意を一身で受け止められなかった頃。
愛されることが怖かった季節。

自分の生きている世界が綺麗じゃないなら生きてないんだから自分の正義を正しいものだって勘違いするのは自然じゃない?

23年1月
自治と正義を考えた日。

いつもは可愛くないのに会いたい人に会えない日に限って可愛いの、なに?

23年1月
メイクが上手にできた日。

性の部分を求めないでほしい。押し付けないでほしい。

22年12月
強い男性性を見せつけられた日。

好きになってくれないなら軽率にそばにこないでほしい。横にいてくれるって勘違いしちゃうから。

22年冬
寂しさを冬のせいにしていた頃。

どうか好きでいてほしいって祈ってばかり。

22年冬
周りの人間が怖かった日。


どうかこの言葉たちが生まれてきてよかったって思ってくれていますように。


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