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顔。

わたしは自分の顔が嫌い。
どう形容しようが「かわいい」にも「きれい」にもなれないこの顔が。
親は悪くなくて、兄弟の顔も両親の顔もぴったり「きれい」に当てはまるものだからきっとわたしが悪い。

周りの人には恵まれている。
どれだけわたしが私を卑下しようと「かわいい」だとか「そのままが好き」だとかみんな必死に肯定してくれる。
「あなたの思うあなたの欠点は卑下するほどのものじゃない」
大好きな先輩に言われた言葉。
ほんとはもう少し肯定してあげてもいいのかもしれない。
そのほうがわたしは綺麗な人生を歩めるのかもしれない。
それでも自分を殺しては生きてることを自覚する。

顔面至上主義者。
わたしはこれにぴったりな人だと思う。
人を見るときに一番気になるのは顔。
服だとか性格だとか声だとか。
よっぽど不快なもの以外はどうだっていい。
だけど顔だけはどうしても気になってしまう。
いい意味でも悪い意味でも顔を抜きにした人間関係は築けない。
いい意味なんてあるのかわからないけれど。
といってもその人の顔を評価するわけではない。
自分の顔と比較して優れてるところを見出して自分の顔の不完全さを自覚して、また傍にはいられないなと思いながら「ともだち」として呼吸をする。

愛されてる友人を見て顔を見て納得して
ちやほやされるインスタグラマーをみて顔を見て負けを知って
どうか自分も愛されたいと思いながら今日も鏡の向こうを触る。
わたしを「好き」だといってくれるひとがいないわけではないくせに自分のことを好きになれないからまわりまわってわたしを殺す。
完璧な理想の顔だったらもう少し自分を愛せたのかな。

気持ちがいっぱいなまま書いた文章だから最後にわたしが疑似的な救いを感じられる曲を一つだけ添えて。



横にいてくれた人の些細な一言でこのことがすごく気になって一番横にいる人ではなくなった日に書き始めた文章です。
根本の思想はそんなことで揺らぎはしないけれど。
また誰かの一番になった日にでも考え直せたらいいな。

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