結局、母に「それでいい」と言ってもらえるように生きてきたということ?
傾聴カウンセラーのながやまかおりです。
私がなぜ傾聴カウンセリングを始めることになったのか?
以前に投稿させていただいたこの2つの記事。
ちょっとお時間が経ってしまいましたが、続きを書きたいと思います。
子供のころ、
母からよく言われていた言葉。
「誰のおかげで毎日、生活できているんだ」
「誰のおかげで学校に行かせてもらえるんだ」
「こんな点数で、何を考えているんだ!」
「何一つ、自分では生きていけないくせに」
「口答えをするな」
「それならもう、出ていけ」
「今に大きなバチが当たるから見てろ」
「あんたのため思って」
「あんたの幸せのために」
「親でなかったら誰が言ってくれるんや」
「ありがたいと思え」
わあ、思い出すといくらでも出てきますけど、このくらいにします(笑)
当時は
将来の私の幸せを思い、良かれと思い母が一生懸命言っている。
怒りが激しいのは、それだけ真剣に私のことを思ってくれているから。
だから私がもっといい人間になるよう努力しないといけない。
私がだめだから、母がこんなにしんどい思いをしているんだ。
本当にごめんさない。
なんかもう、
私の存在そのものが申し訳ない気持ちでしたね。
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だけど、45歳の時に手に取った本がきっかけで、
「あんたのためを思って」は、本当にそれだけだったの?
と、私の心の中に母への冷ややかな気づきが生まれました。
子供の成績で近所の母親仲間に負けたくない不安や、
母自身が育った家庭で心に受けた傷による苦しみ
自分が憧れる女性としての生き方を子供の人生で実現したい欲望とか
母のストレス、イライラのはけ口でもあったんじゃないか?
こんな、いろいろ混ぜ混ぜの感情も加わったからあんなに怒鳴られたり、
母の期待に沿うようにコントロールされていたんじゃないか。
そんな風に思えてきたのです。
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もし、母の言う通りじゃなくて、私がしたいようにしてよかったら
私、何をしていたんだろう。
何がしたかったんだろう。
じゃあ、あれは?
じゃあ、あの時のあのことは?
いろんな場面を想像するとますます、愕然としてしまう。
もう、時間を巻き戻すことはできない。
子供の頃には戻れない。
思春期はやり直せない。
進学も就職も結婚もみんな、人生の大きな出来事はみんな選択済み。
その上に成り立っている自分の今の毎日・・・・。
それまでの人生45年間は、母のために生きてきた人生??
今頃気が付いたって、私の人生、半分終わっているじゃない・・・。
世の中の時間の動きから自分だけ取り残されたような、深い穴の底に落ちたようなそんな感覚でした。
長くなったので、今日はここまでにします。
最後までお読みいただいてどうもありがとうございます。
ながやまかおり