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ライブの魔法

みなさんが最後にライブに行ったのはいつですか?
私は2月、ギリギリでした…もう少し開催が遅かったらそのライブも無かったかもしれません。
最近は無観客ライブ、配信ライブとして今までとは違った形で私たちの元に”ライブ”というものが届けられるようになりました。
そこに尽力してくださっているミュージシャンの皆さんはもちろんのこと、協力してくださっているスタッフの皆さん、すべての人に頭が上がりません。
楽しい時間をどうもありがとうございます。

さてタイトルにも書いた通り、私はライブは魔法だと思っています。

ライブの日程が発表になったときから、胸のときめきは抑えられません。
チケット販売の日程が出た時、無駄に自分の中で決まっているおまじない(私には期限ギリギリに申し込むというルールがある)をしたりとか、まだ当選してもいないのに、そのライブに行けるかどうかもわからないのに、セトリはどうなるんだろう、どんな演出なんだろう、ホテル押さえなきゃ、とか。
地方に遠征するときはどこに観光しようかとか、ごはんはあそこで食べようとか、仕事中も頭ん中はそればっかりです(ダメ社会人であります…)。

チケットが当たった時の喜び、天にも昇るような気持ちになります。
外れた時の悲しみ、この世の終わりです、無駄に強がってみてもやっぱり落ち込みます。
当たった人を妬みます、その時ばかりは最悪な人間に成り下がります。

チケットを得た時からカウントダウンが始まります。
あと20日…あと19日…と手帳に書いたライブの文字が近づいてくるのをにやにやと眺める時間が増えます。
その間どんなに嫌なことがあっても、どんなにくじけそうになっても「あと何日でライブや…!」って思えたらへっちゃらです。
人間偏差値がある意味高くなり、ある意味非常に低くなります。
前日はもう遠足に行く前の小学生の時のような純真無垢な気持ちに戻ります、そわそわしてよく眠れません、ワクワクが止まりません。

迎えた当日。
高鳴るテンションは最高峰まで達します、なんだか世界が光り輝いて見える、なんでも楽しい。
飯はうまい、夏の暑さも冬の寒さもトラブルさえもすべてが思い出になるのですべて楽しい、エモいとなるので、この時私はちょっとおバカな人間になっています。
普段なかなか会えない人にあったり、買わないと心に決めたのに気づいたら手には溢れんばかりのグッズ、怖いなぁ…怖いなぁ…と稲川淳二もしたり顔です。
この入場する前の時間もとてもとても楽しい。
非常に頭の悪い文章が続いていて申し訳ない、でも多分みんなそう、みんなそうだよね?
多分わかってくれるはず。

さぁ、いよいよ入場の時間です。
ドーム会場なんかは軽食が食べられたりします、小腹を満たし再度妄想に耽り今日のライブがどんなものになるのか表情には出さずに胸の中でにやにやしながらその時までまったりと過ごします。
SEが流れる会場、組まれたセット、興奮を抑えられない観客の遠吠え(これはあんまり好きじゃないんですけどね…)、その時を自分の位置で今か今かと待ちます。

フッと会場の照明が落ちた時、それがライブの始まりの合図です。
不思議なもので、自分の頭の中で組み立てるライブというのは予算度外視、なんでもありの最高最強のセットリストのはずなのに、それを軽々と越えてくるんですよね…泣いて笑って飛んで跳ねて声出して、真夏でもひんやりと冷たい会場が人間の熱気だけでここまで熱くなるのかと感動するぐらいの熱狂の渦に身を任せ、耳にびりびり来るような、腹の底をノックされるような大音量に包み込まれて、色とりどりの照明に彩られたステージに立つミュージシャンに声援を送り、光陰矢の如しとはこのことであっという間に本編終了。
すでに満腹なはずなのに、腹十二分目まで満たしたい欲深い観客は声を枯らしてアンコールと叫ぶ。
暗転したステージにスポットが付いたとき、すでに振り切れそうなボルテージは限界を突破しこれまた音速光速、宇宙の原理を超えたスピードでライブはフィナーレに向かいます。

腹十二分目どころか腹十五分目まで満たし、動けなくなった体で聴く全編終了のアナウンスが流れてこの時やっとライブが終わったのだと私は実感するのです。
人混みをかき分けて会場を後にし、腹ごしらえと飯屋に入って飲むビールのうまさったらもう、格別です。
一人の時は静かに、でも胸の中は熱いままにライブの余韻に浸る。
みんなで行ったときは大いに語らい、感想を交換し、終電ギリギリまで飲み明かす。
家や宿泊先について、寝る支度を整えるも興奮した脳内のエンジンは冷えることを知らず、自然と眠気が来るまで最後の一杯を飲みながらただただ楽しかった思い出を反芻する、私はこの時間がとても好きです。
翌日が仕事だったとしてもこのかけがえのない時間はだれにも邪魔できません。

ライブの魔法はまだ続きます。
翌日からはいつもと変わらぬ日常が続きます、仕事で失敗することもあるでしょうし、私生活でうまくいかないこともあるでしょう。
でも、あの日のライブの残り火が冷えて動かなくなりそうな心を静かに温めてくれる。
また行こう、絶対にまた行こうという未来への羨望が鈍重になる体を支えてくれる。
こうして私は日常を積み重ねていくのです。

私はライブは魔法であると思います。
そしてそれは最近までミュージシャンから私たちに対しての一方通行なものだとも考えていました。
でもある一曲に出会って、ライブはミュージシャンにとっても魔法なんだと思うようになりました。
その曲は最近好きでよく聴いているハンブレッダーズというバンドの「銀河高速」でした。

一番冒頭で歌われるワンフレーズ”何処までも行けると思った夜だった”。
またこの曲の大サビで歌われるワンフレーズ”何処までも行けると思う夜だった”。
夢を見て、歌を紡ぎ、届けている数多くのミュージシャンたち。
最初から成功なんて恐らくみんなしなくて、学校に行って卒業して就職して働いてという所謂”普通”のレールから外れて夢を追いかけることの恐怖や不安は私には想像できません。
でも歌を作って歌って届いたと思える夜、私はその夜というのがライブのことだと思っています。
私たちが届ける声は彼らにとっても少なからず歌を歌い続ける原動力になっているのだとしたら、ライブという空間はミュージシャンにとっても魔法なのだと考えるようになりました。
ライブという魔法に私たちは演者と観客という違う立場ではあるけれど、そこに集う同志なんじゃないかと、おこがましいかもしれませんが、そう思えた時とても嬉しくなりました。

無観客ライブは昨今の情勢を考えての策であり、そこから派生して配信ライブは会場のキャパという制約を超えてたくさんの人に声を届けることができるとてもとても素晴らしいものだと思います。
私たちの声の届け方はこうした文章に認める事、SNSに投稿したりと目につく形でいくつか存在します。
それでも我儘な私はこの声で、大好きなミュージシャンに声を届けたいと思うのです。
とても悲しいことにその届ける場である会場は今普通に使うことができないし、何より観客を入れてライブを開催することのリスクは考慮しなければならないし、それは避けては通れない大きな壁となっています。
また、本当に悲しいことに廃業、閉鎖していく会場もあります。
最近では少しづつ状況を考慮した形で実施しているところもあるようですが、なかなか思うようにはまだ行かない状況だと思います。

私は魔法にかかりたい、そして魔法をかけたい。
またいつか、そんな場が帰ってきますようにと、切に願っております。
それまでは私の日常を懸命に生きます、たまに愚痴をこぼしたり、酒を飲んでみたり、挫けそうなときはあの日の魔法の残り火を胸に。

以上ふぁむでした、サヨナラの代わりにこの曲を。
またお会いできたら。


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