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故愛犬ユキ皮膚型リンパ腫闘病メモ2+序文

時系列が入れ替わりますが、ここで、ユキの亡くなる1日半ほど前に書いた安らかな心地の文章を序文として掲載致します。この半日前に、リンパ腫の合併症として血栓症(DIC)を起こしている旨宣告されました。

その後、メモ1としてnoteに昨日載せたものの続き、メモ2を掲載します。亡くなる直前の1週間については詳細すぎる部分もありますので、ちょっと長いです。


序文(と題打って当時テキストに書いてあった文章)

2017/10/12 10:36
 穏やかな朝だ。秋にしては強い陽射しをレースのカーテンでやわらげて、居間はひととき安らぎで満ちていた。先刻愛犬ユキが少し吐くような動作をして、あてがったシートにくすんだ血だろうか、茶色いものが少しばかり付き不安になった。一時泳いでいたユキの目だが、そうっと撫でて静かに声を掛けているうちに落ち着いたようだ。
 今朝がた起きたばかりの、寝ぼけまなこのの木漏れ日に優しく包まれた穏やかな寝息と、そのくつろいだ顔つきに私たち家族はとても安堵した。昨晩を越せるかどうか、わからない状態だった。母が夜通し付き添ってくれて、なにかあれば起こしてもらうことにして私と姉とは今日以降のために先に睡眠をとらせてもらった。私たちは三人と愛犬ユキとの家族だ。ユキが中心で、支え合って生きている。
 昨晩はほんとうに、もう今すぐにでも呼吸が止まるのではないかと心配で、ただただ皆でびゃーびゃーと泣きながら、ずっとユキを撫で続け、伝えたいことばを幾度も幾度も、繰り返した。言い漏らしはないか、触り残しているところはないか。もう最後の夜だと思っていた。ユキが眠りにつきそうなのが、とにかく怖かった。けれど、そのまま眠りながら息を引き取ってくれても、それはそれでいいと思った。ただどこかで、次の朝になればまたけろっと、起きていてくれるのではないかと期待を、抱くことを捨てなかった。ユキは、それに応えてくれた。今朝という日を穏やかに迎えられたことを、心からうれしく思う。私は昨夜、ユキに少しでも付き添っていたくて、シャワーを浴びることもしなかった。それが今朝はすっかりと安心した心地で、姉に付き添いを任せてバスルームへと入ることができた。自然、鼻唄などもこぼれていた。
 私たちは、昨晩も今日も、泣きながらでも栄養をとった。ユキのお見舞いに来てくださった母のよき友人Cさんからの差し入れの果物。その糖分が、とてもよく体に染み渡り、元気をもらえる。Cさんもユキと種類こそ違えど同じ悪性リンパ腫の愛犬を長期闘病の末に看取っている。その経験からの、気遣いがとても励みになる。二日間に渡り来てくださり、そのやさしく心強い応援はとても、ユキの励みにもなっている。
 それから。私の、ユキの闘病の記録をかたちにしたいという気持ちをぐっと後押ししてくれた、Aさんのお言葉がある。Aさんはご近所のかたで、数年前に引っ越してきたばかりの我々が三人でコーギーであるユキとともに歩いているところに興味を持って、話しかけてきてくださった。それからずっと、ユキを中心にした我々家族に、とてもよくしてくださっている。そのAさんはいつもユキにやさしくよく通る声で話しかけて下さり、昨日一昨日と、日に何度か様子を見に来て下さったほどだ。これまでにもたびたび、Aさんのお宅までの散歩が難しくなったユキに、Aさんのほうから我が家へと会いにいらしてくださった。特にこの二日間は、Aさんが足しげく通って下さるたびにユキが力付いていくのが目に見えて、うれしかった。
 Aさんはユキに、時折こうおっしゃった。
「あなたは、とても大きな役割を果たしているのよ」
 ああ、そうだなと、いつも心から思う。今回のお見舞いでも、そのお言葉を掛けてくださっていた。私は、思った。
 ユキの闘病の記録をまとめたいとは病名告知の当初から思っていたけれども、まる二年が経過してそれは、とても手に負えない情報量になってしまっていた。自分にまとめることができるだろうか。ほとんどくじけそうになっていた。それでも、Aさんのお言葉を聞いて、改めて強く思ったのだ。ユキの歩みをまとめたら、それは、もしかしたらどなたかの、お役に立てるかもしれない。ユキが私たちにくれたたくさんのものを、形に残したいというだけではなく。それがなにかになるのならば、ひととそれからほかのどうぶつさんたちと関わることの大好きなユキにとっても、うれしいことなのではないか。
 大役を、果たすことが私にできるだろうか。このとてもよく頑張り続けたユキの歩みを記すという、大役を。その気持ちは、まだある。けれども。それでも私は、挑戦してみようと、思ったのだった。
2017/10/12 11:17

***
メモ2(1の続き)


二度目の手術後、再開した抗ガン剤治療は延期がちに

 2016年1月25日、抜糸。抗ガン剤治療を再開できる状態だったためそのまま病院に預けて再スタート。これまで通り週1回の予定だったため、翌週も病院へ行く。ところが、抗ガン剤治療の前には必ず行なわれる血液検査の結果、白血球数が実施基準より少なく、この週は行なわず延期となった。というのも、以前に強い副作用(白血球減少による腸炎、嘔吐下痢)が出ていることと、現在腫瘍の部位が新たに発見されておらず、治療目的は他への転移を防ぐことなので、あまりリスクを負ってまで抗ガン剤治療をするほどの切迫した状況ではないからとのことだ。
 更に次の週は治療を実施できた。ところが、翌日2月9日の夜から、徐々に下痢を起こし、水便に粘液や血が混じる状態に至る。夜から10日の朝方にかけてずっと、何度も下した。病院の診療開始時間を待ちすぐ診てもらう。点滴と注射を受けた。その後も少し下していたが、10日に食事を抜いたため出きったのか、翌日11日には排便なし。ふやかしたフードを食べる。12日には普通便。ところが13日未明にまた下痢を起こし、粘液と血が混じる。病院にかかって点滴を受け、整腸剤が処方される。翌14日からは普通便に戻るが、15日に予定されていた抗ガン剤治療は腸の調子を整えるために延期。幸い、このときも腫瘍の新たな部位などは見られない。
 22日、治療実施。副作用は出なかったが、1週間後の治療予定日、再び血液検査で白血球数低値により治療ができない。無理に治療を行なうと白血球数が更に下がり感染症のリスクがあるとのこと。このとき、獣医さんから、抗ガン剤の量を減らすことを視野に入れているとの打診。また、転移抑制のための抗ガン剤治療は前回の手術後3か月程度を目途に切り上げることができるのではないかとのことだった。(知人宅のどうぶつさんのガン闘病のお話で、抗ガン剤治療をしていなかった期間があることは聞いていた。そのお宅では何か月かして新たな病変が発見されて再開したとのことだった)
 3月7日、治療実施。14日にまた白血球数低値により延期。治療方針変更。抗ガン剤の量は変えずに、2週に1回を予定とすることになった。
 散歩などは、副作用の出たとき以外にはとても元気よく歩いている。


新たなしこり、3度目の手術

 3月22日、抗ガン剤治療。26日にユキの喉元、右側に膨らみがあり、大きくなったのが気になって、翌27日に急きょ受診する。細胞診をしてもらう。簡易検査では10月のいちばん最初のとき(左首元のしこり)と同じ細胞が見られるとのこと。詳細な結果が出るのは翌日だが、この時点で31日に切除手術の予定が組まれる。
 翌日、電話にて詳細な結果を聞く。1月に切除した口唇部と同じ細胞が出ているとのこと。部位が限局されているので、外科的切除により取る。その後、傷口が落ち着いたらまた抗ガン剤治療を再開する方針。
 3月31日、右顎下リンパ節摘出手術。摘出した細胞は病理検査に出す。麻酔からの目覚めは今回も良好で、夕方の面会時には元気よくケージ内ではしゃぎ回っていて安堵した。翌日には退院。傷口も問題ないとのこと。
 散歩や食事も平常通りできるので、次の受診までの間、花見がてら公園に散歩に出かけたりなどもした。
 4月8日経過観察のため受診。傷口の経過は良好。摘出細胞の病理検査の結果が出ていた。やはりリンパ腫で、今回の部位も周りには浸潤しておらず取り切れたとのこと。今回、抗ガン剤治療(それも、当初は3種類を順に投与する治療だったものが、1月の手術後はそのなかで最も効果がよく見られた種類に絞って投与していたにもかかわらず)を続けているなかでの再発であったため、治療法を変えることになる。
 15日、抜糸。18日と19日との連日から、新しい治療法開始。今度のものは、背中に朝晩2回の注射を2日連続で行ない、7日空けてまた同じ治療をするというものだ。1日目の夜入院するかたちと、迎えに行き一旦連れて帰って翌朝また通院する方法と、都合次第で選ぶことが出来た。決まった曜日での治療ではなくなるが、我が家の場合は後者でも都合がついたため、後者で行なっていくことを選択する。ユキは病院も大好きだが、それでも性格上、家に帰れるほうがうれしいだろうと思ったからだ。また、私たちもユキがいない夜は最小限にしたかった。ただ、これは本当に我が家がたまたま可能であっただけであるため、入院による実施も選択肢にあることは、より多くのかたがこの治療を受けられる可能性となると思う。
 抗ガン剤の治療時は、全身の循環をアップさせる点滴を流しながらの投与となる。これは抗ガン剤の効きをよくするためである。今までは1日で終了する投与だったため、ユキが帰ってくるときには点滴は外された状態で、ガーゼが当てられるなどしていた。ところが、今度のものは2日連日での治療だ。最初の夜、点滴のソフトな針を刺した状態で、くっつくテープ状の包帯でぐるぐる巻いて固定と保護をしてあるユキを受け取って、少なからずびっくりした。エリザベスカラーも巻いた状態での受け取りだ。そのまま散歩しても平気とのことで、翌朝ヒヤヒヤしながら散歩をし、また通院したものだ。少し歩きにくそうではあったが適応している様子に、ほっとした。以後、この治療の1日目の夜から2日目の朝にかけては、ユキの足にはテープ包帯が巻かれていることになる。これは私たちにとってよく見慣れたものになった。そして、1年半後、いちばん最後のとき、亡くなった直後。そのときに初めて、包帯の中身、どんな針がどんなふうに刺さっているのかを、見ることになる。今までこの子はこんなふうに治療をしてきたんだ、と、しみじみほろりと涙したものだ。

新たな治療は好相性で、長く続いたが障害もあった

 順調に治療が続き、4回目のとき、5月16日。背中の注射痕に血の固まりがあり、周りの皮膚も赤くなっていることが気になる。22日、血の固まりが乾いたかさぶた状となっているが、なかなか浮いて来ず、シャンプーの予定を延期する。このころ、寝ている際に時折呼吸が荒いのが気にかかる。徐々にその頻度が上がっていった。治療の折りに相談したところ、ステロイド剤の影響で筋力が低下し、呼吸する力も低下しているのではとのことだった。肺の音には異常がなく、熱も平熱。それでも気になったため、その翌週再び相談し、レントゲンを撮ることになる。肺には異常は見られず、やはりステロイドの影響ではないかとのことだった。このとき、骨の影が薄くなっており、これもステロイドの影響でカルシウムが溶け出しているとのこと。この時点で影響は出ていないが、骨折に注意し、無理な運動はさせないようにとのこと。疲れやすい様子もあるが、これも筋力低下などが原因とのことだった。
 6月末から7月頭にかけて、注射痕が赤紫となり、その辺りでまとまった毛束での抜け毛が生じ、その範囲が拡大する。表面は乾いてはいる。
 7月11日、新しい治療10回目のころ。ユキの腹部(内臓)のラインが下がって膨らんで見えるのが気になり相談。ステロイドによる筋力低下で、内臓を支える力が低下していることによるとのこと。水がたまっているなどの所見はないとのこと。後ろ足の筋力も低下しており、これは滑りにくいもの(ヨガマット等)を敷くなど、足に優しい工夫をとのことだった。ユキの場合元々股関節形成不全があり、足腰が丈夫ではなく、足腰の疾病を患うリスクもあった。そのため、日頃から段差の移動は控えさせたり、敷物のない床は歩かせないなど気を付けていたが、それまで以上に留意するようになった。この治療のころ、病院での待ち時間に左目のまぶたが下がり瞳が少々小さく見えることが気にかかった。
 14日、左目のまぶたの下垂が気になり受診。瞳孔が縮瞳しており、ブドウ膜炎ではとのことだった。角膜に傷はなく、水が溜まるなどの症状もないよう。目薬を処方され、日に2回点眼して2日後に再受診。少し良くなっているが、点眼回数を日に3回に増やし、また2日後に受診することになる。このころ、散歩時の左後ろ足の運びが少々曲がっているのが気になり出す。
 18日受診。目薬の回数を増やしてもあまり改善はされず、ホルネル症候群ではないかとのことで検査を受ける。犬の場合50%は原因が特定できないが、神経を障害するような部位、あるいは目の奥に腫瘍ができて発症することもあるため、リンパ腫と無関係のものではない。ただ、厳密な検査には全身麻酔によるMRIが必要であり、これは麻酔から醒めない可能性というリスクがある。大抵の場合は6週間程で自然治癒することが多いので、6週間様子を見て検査が必要か否か判断するとのこと。ホルネル症候群の症状は縮瞳、眼瞼下垂、眼球陥奥、第三眼膜露出(目頭のあたりにある膜が目を開けている状態でも見える)、の4つで、ユキの場合は全部あるとのこと。これらは交感神経の障害により起こり、その障害がある部位によって3つに分けられる。胸部、頸部、眼・耳だ。これらの判別は検査用の薬を点してから瞳孔が開くまでの反射の所要時間で行ない、眼から遠いほど反射に時間がかかる。ユキの場合、すぐに反射が起きたので可能性があるのは眼や耳とのことだ。(このとき、6月22日に撮っていたレントゲンをチェックし、胸部にも異常がないことを確認。)このときのユキには耳に目に見える症状がなく、かゆがったり首を傾げるなどの様子もないので内耳にも問題はないと思われ、症状は目のみとのことだった。前述の通り自然治癒することが多く、痛みはなく反射だけのことなので、安心してよいとのこと。またいつも通りの生活で大丈夫とのこと。
 このときの眼の症状は、当初炎症(ブドウ膜炎)が疑われたため目薬を処方されたのだが、これは、突発性のものもあるが体内の炎症(リンパ腫を含む)が原因のこともあり、悪化すると眼圧上昇で緑内障などを引き起こす可能性がある。これもリンパ腫と関係のある症状だ。ユキの場合、目薬で顕著な改善が見られなかったため神経性のものを考え検査したとのこと。また、眼圧も問題ないとのことだった。
 19日、第三眼膜の露出が多くなり赤みが強く見える。左顎下にしこりが生じており、少々大きくなった気がする。次の抗ガン剤治療の際に計測してもらい、経過を見ることになる。治療のあとはやはり注射痕に血が固まるため、帰宅後温水で洗浄した。
 25日。シャンプー中に突然左後ろ足に力が入らなくなり、かくんと崩れ落ちる。シャンプーが付いたままではどうにもならないので、おなかを支えてなんとかシャンプーを終えた。すぐに受診する。そのときにはもう足の感じは戻っていたが、念のため次回の治療まで散歩はせず安静をとることになった。
 次とその次の治療は問題なく行なえたが、治療の翌日8月7日には、左首元(顎下とは別)のしこりが少し大きくなった気がして気になった。このしこりは長らく様子を見ることになる。
 8月12日、おりもののような分泌物が気になるが、このときは一時的なものだった。
 23日、シャンプー時、やはり後ろ足がかくかくと揺らぐ。滑り止めにとタオルを敷くと少し安定して立っていられ、シャンプーを無事終える。これは後に、100円均一で売っているような滑り止めのムチムチしたマットを敷くことにし、そうするとより安定した。シャンプーやリンスのときと乾燥のときとで濡れたマットから乾いたものに入れ替えられると乾燥がスムーズなので、2枚用意するようになった。
 25日、抗ガン剤治療。肝機能の値が少しだけ高いとのこと。薬の影響でもあるらしい。それでも治療に支障はなかったので、問題なく実施できた。
 30日、左前足の点滴痕を激しく舐めるため、皮膚が赤くなる。ただれとまでは行っていないが、念のため包帯を巻いてガードした。
 次の治療時、肝機能の値は正常範囲。左前足の赤みも診てもらったが、炎症を起こすような菌は見られないとのこと。塗り薬を処方することもできるとのことだったが、断った。このときの点滴は右前足(いつも同じところから血管をとるわけではなく、適宜前後左右の足からとっている)。2日目の点滴後、傷跡周辺が紫色に変色していて痛々しかった。しばらく包帯を巻いて過ごす。
 9月5日。背中の注射痕のところが小さくハゲており、少し膨らんでいる。水を持っている感じがする。
 7日、左右の前足は乾いており、ただれたりはしていない。
 9日。左口唇内側に赤い湿疹のようなぽちんとしたものを見つける。噛んでしまっただけなのか、新たなできものなのか、様子を見ることに。背中の注射痕は乾きつつあったが、定期的に行なっている防ノミ・ダニ薬(肩胛骨の間あたりに点し、皮膚全体に行き渡るというもの)は前回の薬がまだ効いている期限内だったため少し延期する。
 12・13日で抗ガン剤治療。新たに見つけた口唇のぽちんとしたものは、要経過観察。首元のしこりは2.5cm。
 15日、右肩部分に強い赤みが出た。また、口唇のぽちんがやや大きくなった。そのため翌16日受診。赤みは注射への反応が強めに出た感じで、様子を見ることに。ぽちんは細胞診を実施。今のところガン細胞は見られず、炎症細胞が見られるとのこと。抗ガン剤治療を始めてから常時抗生物質を飲んでいるため、しばらく様子を見て、急激に大きくなるようであれば再検査をすることになった。18日、肩の赤みが引き、背中の注射痕もきれいになったので防ノミ・ダニ薬を点す。シャンプーなども元々は皮膚炎を起こしやすいアレルギー体質なので2週に1回行なっていたが、抗ガン剤治療を始めてからは皮膚の様子を見ながらで月に1回程度になっていた。抗ガン剤治療をしていると、こういった今までの日常的なケアをするのにも折を見る必要があるため、難しいところだなと思った。
 25日。シャンプー時、また注射痕の部分からごっそり毛束が抜ける。皮膚は乾いてはいるが赤紫色がくっきり。日を追うごとに、焦げ茶色になり白い皮ができている部分も生じたり、周りの皮の剥けている部分が赤くなり拡大する。このころ、左首元のしこりが大きく見える。
 29日、今の治療法での治療19セット目の初日。前足の血管が細くなり点滴を取れず、後ろ足から取ったとのこと。歩きにくそう。また、このままいつか血管が取れなくなって点滴ができなくなるのではないかという不安に駆られる。
 30日。便の表面に血が混じっていたため診てもらう。鮮血で、指で直腸を検査したところ特に問題はなく、熱もないとのこと。出血が頻繁になるようであれば改めて受診することに。
 背中の注射痕は赤みから汁が出ているのか、毛が束になって固まるなどする。乾いてはいるが徐々にただれてきている感じがする。かさぶた状のものが厚くなってきている。
 10月3日。背中の注射痕から血膿が出たため受診。患部が乾燥しやすいように周辺の毛を剃り、細胞診。消毒もしてもらう。炎症反応が見られるため、日頃服用している抗生剤の種類が変わる。翌日には患部の腫れが小さくなり、徐々によくなる。
 8日。背中の注射痕は肉芽腫(ユキの場合注射への反応でこういったしこりになりやすい)になっており、背中への注射の数を減らすために、治療の日は注射で投与していた抗生剤とステロイド剤を飲み薬でとることに。治療の日は朝食なしの状態で連れて行っていたが、薬を飲んでもらうために少量のフードを使用してもいいとのこと。
 背中のかさぶたはまだ厚いが付近の赤みが減り、きれいになってきている。少しずつ浮いてきて、厚いままごそっと取れる。
 12日夕方、気が付くと突然ユキの全身に大量のダニが付いていた。防ダニ薬の効果期間内なのでびっくりする。お出かけで思い出づくりを、と思って自然のあるところに行ったときがきっかけかもしれない。13日受診。真ダニの子どもとのこと。成虫が大量に付くと貧血を起こすこともあるそうで様子に注意することに。今後も生じるようであればダニ取り専用のシャンプーやトリミングなども対策としてあるとのこと。
 17日、今の治療21セット目の初日。背中の傷が安定したので、日頃使用していた背中で留めるハーネスに戻してよいとのこと(ひどくなってきたあたりから一時的に首輪にしていた)。左顎下のしこりがパンパンになり固くなっているので、治療法を変更する可能性があるとのこと。翌日、いつもの抗ガン剤ではないものを使うレスキュー療法をとる。そのためL-アスパラギナーゼ(速効性があるらしい)に変更。しこりの経過を見る。次の治療はこれまでと同じものの予定。
 翌日、目を覚ましてからやけに落ち着かない様子で、体位をすぐ変える。散歩に連れ出すもしゃがんで歩かず。呼吸が荒く心拍数も高い。病院に電話で相談。前日の治療の後遺症である嘔吐下痢の前触れかもしれないとのこと。注意深く観察する。獣医さんは心拍数が高いことを気にされ、ステロイドの影響も考えられ特に治療する段階ではないが、少し様子を見て変化があったらすぐ受診するようにとのこと(その場合採血やレントゲンを実施する)。
 そわそわと動いていたのが夜半から落ち着き、翌日には見られなくなる。落ち着いて眠っている様子。日中も落ち着いている。呼吸や心拍数も穏やか。しこりはかなり小さくなり、ぷにぷにに柔らかくなった。翌日翌々日と、しこりが更に小さくなりほとんどわからない程度にまで縮小。次の治療の際、しこりが小さくなっていることを確認してもらう。今までと同じ治療を実施。
 31日、しこりが少し大きく(厚く)なった気がする。散歩などの様子は変わらず元気よく、回覧板を持つ母を小走りで追いかけたり、お気に入りのわんこさんのいるお宅の前までダッシュしたり、河川敷に行ったときには遊歩道を楽しそうに歩き時折小走りも見せる。足腰が弱ってきてはいるが日常に近い様子を見せてくれて嬉しい。日中横になっていることも多い(元々でもあるので闘病によるものかは判別が難しい)が、散歩には喜んで出かけている。
 11月21日、体重が徐々に増えてきており、しばらくハーネス込みで9kg程で推移していたのが9.3~4kgまで増えたので、食事量を少量(1日合計150gから5gを)減らして体重の様子を見る。(ユキの場合、先天的に腰が弱いので9kg前半を維持するように言われている)
 24日、治療。このときも前足から点滴が取れず後ろ足から取ったとのこと。針の痕が紫色になっている。大変だったねがんばったねと、ほろりとくる。
 このころ、ユキがどうも回覧板を持つ母を好んで追いかけることに気が付き、至急のものでないときはなるべく散歩に合わせて持っていくことにする。板の種類がいくつかあり、その中でも特に緑のものがお気に入りのようだ。闘病生活の途中で回覧板を置きに行くお宅が近くなったときには、ユキは、もっと先(それまで回していたお宅)まで行かないの?ときょとんとした様子でぴょんぴょんし、進みたがるなどしたが、すぐに慣れて、今度は回覧板を持っていないときでもいつも回しに行く先のお宅の前でちらっとこちらを見てくるようになった。そんなときには、「今日は回覧板はないんだよ~」と声を掛けていた。落ち葉は昔から好きで、この時期落ち葉の溜まっているところを気持ちよさそうに踏んで歩く。
 28日、朝、股を気にしてずっと舐めており、付近の毛に乾いた汚れがある。膿が出ているかもしれないので気を付けて様子を見る。夜、左首のしこりのすぐ下に小さなしこりのようなものがあることに気付く。
 29日。体重が9.4kgから減らない(治療の日は朝食なしなので一時的に減るが1週間のうちに戻る)ので、食事量を更に5g減らす。
 12月12日。体重変わらず。更に1日当たり10g減らす。やはりこの時期は枯れ葉の上を歩くのが気持ちよさそうでよく踏み踏みして歩く。
 21日、治療日。左顎下のしこりが少し大きくなっている。22日、治療2日目。朝病院に預ける際に久々に切なそうにきゅうきゅうと鼻を鳴らしていたので、うるっと来た。
 25日、しこりが少し肉厚になっているような気がする。
 30日、治療。前足の先端から点滴を取っている(これまでにも時折ある)のでテープ包帯でぐるぐる巻きだが、朝、通院前の散歩では小走りもしていた。
 2017年1月1日。散歩からの帰宅時、左後ろ足(いちばん弱っていて歩くときに癖がついてきている足)の爪のうち1本の先の皮が剥け、中身が2mm程突出し、ぽたぽたと出血した。消毒する。翌日には突出部分は爪の中に引っ込み、しばらく(3月1日まで)散歩も支障なく歩き、帰宅時出血もなし。
 6日、抗ガン剤治療はL-アスパラギナーゼ。投与直後、1回嘔吐したとのことで、その前に自分の便を食べてしまったことによるのではないかとも考えられるが念のため翌朝まで絶食絶水。また、ユキを迎えに行き受け取った直後、待合室で会計を待っているあいだに顔から首にかけてが急激にむくんで来て、すぐに診てもらう。体にも赤み。熱はないとのことで、アレルギー反応への対応としてステロイド剤を打ってもらい、1時間程でむくみが落ち着く。夜もフードと水は欲しがったが諦めて寝入る。落ち着いた様子で眠っていた。
 翌7日、朝、水のお皿を出すとごくごく飲み、また寝入る。昼頃、吐く様子はなかったので、ふやかしたフードを通常の3分の1量差し出す(獣医さんからの指示で、朝水をあげて大丈夫そうであればこの程度の量のふやかしフードから再開することになっていた)。ぺろりと完食。その後も吐き気はなくふつうに過ごす。散歩も問題なし。夕方に通院。獣医さんから、今回のL-アスパラギナーゼがどの程度効くのか(だんだん耐性が出来て効かなくなることもあるので)、それによって今後治療を変更することもあるとのお話。この週の経過を見たいとのこと。
 普段の抗ガン剤は増殖しやすい細胞全般を攻撃するものだが、L-アスパラギナーゼはガン細胞の栄養源を断つというもので、これは土壌菌から取るため、アナフィラキシーショックなどの拒絶反応を起こすリスクがあるそうだ(特に回数を重ねると)。また、回数を重ねると耐性が出来て効かなく、あるいは全く効かなくなることもあるそう。そのため、あまり頻繁には使えない切り札とのことだ。このときユキはアレルギー反応を起こしているので、今後はなるべく使用を避けたいと思った。
 翌日からしこりが大幅に縮小。11日が最小。13・14日で今までと同じ2連日の治療の30セット目。しこりは2.5cm。問題なく治療できた。
 18日、足先の毛をカットしていた際に左前足の指の間にできものを発見。翌日急きょ受診、細胞診。角質の組織で、リンパ球は見られないとのこと。経過観察。急に大きくなるようであれば再度検査。このとき、後ろ足の筋力低下についても相談。つま先がくるんとひっくり返った状態になることがあるためだ。足先の神経反射を見てもらった(つま先をくるんと曲げて元に戻るか見る)ところ、反射はちゃんとあるとのことだが、食事中などほかに集中している時に足先に気が回らず反転したままになってしまうのではとのことだった。食事の際足が滑りにくいようこれまで以上に注意することに。
 20日、シャンプー。滑り止めのマットは敷いているのだが、台の上で後ろ足がぐにゃんぐにゃん揺らぐので、体を支えながら進行する。
 23日、抗ガン剤治療。口角内側のぽちんとしたものが気になったので診てもらったが、噛む場所でもあるし、固くなっている様子もないので経過観察に。点滴後にあてがわれている脱脂綿を留めたテープを剥がすときはいつも毛がなるべく抜けないようになど気を付けているのだが、このときは毛がかなり引っ張られてしまい、皮膚が赤くて痛々しかった。翌日夜には赤みは落ち着いてほっとする。
 体重が9.0~9.2kgで安定してきているので、食事量はこの時点のもの(朝夕55g、昼20g)でしばらく維持。5月頭の手術まで食事量を変えずに済んだ。
 2月1日、抗ガン剤治療。点滴の血管がなかなか取れずあちこち剃ってあった。2日目には後ろ足がぐるぐる巻きで歩きづらいだろうに、うまく歩いていた。次の治療まで7日間ぴったりの空きだと診療時間との折り合いが付かないとき(日曜か祝日は診療終了が早いので、どちらかが被ると朝夕2回注射する今の治療はしづらい)には前後にずらすのだが、このときはユキの体への負担を考慮し後にずらすことになった。これまでは前にずらして6日間後にやっていたので、少し動揺する。間に10日空くことになるので、抗ガン剤治療の副作用が出ないのを見守ってから少し遠出して梅園などを見てきた。
 2日の治療のとき、ついでに年に1度の歯科検診を受け、毎年ながら歯の状態が良いと褒められる。ユキの場合歯の健康と食欲の維持が闘病を長くできた理由として大きいと思われるので、歯の健康は大事だ。
 10日、しこりが少しずつ固くなって(厚みが増して)いる気がする。
 11日、散歩中、通り道の日陰にあった少しだけ積もった雪を嬉しそうに踏みに行く。わずかだけ降ったときで、家では車のフロントガラス下端にごくわずか積もったが地面には残らなかった。ユキは雪が大好きで、躍り食いするほどなのだが(ユキという名は『アルプスの少女ハイジ』のヤギのユキちゃんに因んでいるので偶然だ)、私たちの住むまちの標高の高くないエリアでは、雪は何年かおきにしか降らない。そのため雪が積もると市民は大わらわだ。それでもユキが発病してから亡くなるまでにどうか一度だけ少しでいいから積もってくれないだろうかと、私は勝手なことを願ってしまった。(奇しくもこれを打っている2018年1月22日現在、久しぶりに窓の外で雪がちらついている。大寒波だ。日本中が豪雪や積雪で大変なことになるのを見るのはとてもつらい。それでも、降った雪をユキに見せたくて、私は遺影を持って窓の前に立った。)
 闘病中の話に戻る。2017年2月13日。抗ガン剤治療の日。獣医さんに診て頂いてもやはりしこりは大きく肉厚になってきており、この回の治療後の変化を観察したいとのこと。帰宅後は少しやわらかくなったような気がしたが翌朝には戻っていた。更に翌日には、また少々やわらかくなった気がする。
 足は弱ってきているが元気よく散歩に出ていて、いろいろなかたに声を掛けて頂きとてもうれしそうにしているユキを見ると私たちも嬉しい。ユキはほんとうに人が好きだ。後ろ足の動きが時折大変そうに見えるけれども、小走りすることもある。
 3月1日。左足の爪、1月1日に出血したのと同じところからまた散歩後にぽたぽたと血が出る。消毒をしたり、毛に絡まないようにしながら絆創膏を当て包帯を巻いたりいろいろと方法を模索し、最終的に母の手作りで改良を重ねた靴下風足カバー(つま先に衣類用の接着芯というものを入れて頑丈に作ったもので、それでも歩けば傷んでしまうのでたくさん作ってくれた。足の裏はユキへの当たりがソフトになるように包帯を当てて縫い込んである)を当該の足にだけ履かせて、布地部分をガーゼ用テープでくるくると巻いて固定するに至った。これは、包帯を巻いて歩いていたら公園で声を掛けてきてくださったかたからの助言を参考にした。そのかたのお宅のわんこさんも足を覆う必要があったそうで、「子ども用の靴下を履かせて上をテープで留めると良いですよ」と教えてくださったのだ。ただ、導入したのはもっと後になってからなので、このころは出血が一旦落ち着いたのを見て、またカバーなしで散歩に出るようになってしまった。
 5日、抗ガン剤治療の翌日だがしこりの厚みが増している。その翌々日も厚く固い感じ。それでも遠くの公園にまで車で出かけていって散歩を楽しんだりした。
 11日、散歩中に左後ろ足が内側に寄りがちなのが気にかかる。がんばって歩いているが、足の運びが不安定なときがある。これに関しては、ほんとうに、もっと早めに対処してあげるべきだったと未だに後悔している。ユキの場合、後ろ足が一人で立てなくなってから四肢を支える補助ハーネスと出会い、散歩の際に非常に助かったのだが、補助ハーネスの導入をこの時点で視野に入れるべきだったと思う。偏った歩き癖がついて体に負担がかかってしまう前に。
 13日、治療の際に左後ろ足を診てもらう。つま先をひっくり返しても戻りにくく、神経反射がにぶってきているとのこと。
 14日も治療。しこりが少し大きくなってきているが、速効性のあるL-アスパラギナーゼはユキの場合もう前回副作用(アレルギー反応)が出てしまっているので、獣医さんとしても使用したくないとのこと。ユキの場合現在の2連日の治療がいちばん副作用が少ないので、もう少しこの治療で様子をみたいとのことだった。私たち家族もそう思う。
 16日、爪の先の出血は止まっているが、歩くときにつま先がひっくり返りがちで、爪をアスファルトでこするように引きずってしまう。それでも散歩に出るのを楽しみにして、喜んで歩いている。やはり、時折回覧板があるときには、はしゃぎぶりが格段に違う。
 19日。散歩中、左後ろ足先からかなりの出血。ティッシュで押さえながら帰宅し、すぐ病院にかかる。そのとき既に血は止まっており、詳しく診てもらったところ、爪の根元ではなく先端からで、折れたりなどはしていないとのこと。病院では洗浄して止血剤を塗布してくれた。また、出血した際の止血の方法を教わる。1週間ほど散歩を控えめにすることに。帰宅後、ガーゼやハンカチ、くっつくテープ包帯など、足先をカバーできて歩行に支障のないものを模索するが、この時点では決め手が見つからなかった(子ども用の靴下というアドバイスは頭にあったのだが、後ろ足がかなり細いのでサイズが合うものがあるだろうか、今度ダメ元で見に行ってみよう、という話になっていた)。このときは、私の使用していたテーピング用テープで、剥がす際に粘着が残らないものを、細く切って爪の先端に貼ることにした。
 21日、爪の先の出血が止まっていたので一旦テープを外すが、ユキが自分の足先を舐めてしまいまた出血。テープでカバーしたまま過ごすことにする。
 27日、このころ、母がユキの足カバーとして包帯を手縫いして靴下のかたちにしてくれたので、テーピングをした上でそれを履かせて外に出る。歩くのにさほど支障はなさそうで安心した。
 29日、布地で靴下を作成。このときは中に補強の芯を入れていなかったのですぐに爪先に穴が開いてしまい、4月4日に補強策を考えてその日のうちに改良品を作成。ユキの爪先の擦れはガン治療の副作用による足の筋力低下により、歩きかたに偏りが生じたり足先を引きずるようになって起きたことなので、これもガン闘病の一環である。
 少し戻って4月1日、治療日。目の白濁を相談。加齢による白内障で、それほど心配は要らない段階だが、急に進んだり白目が充血したりしないか気をつけてみていくことに。
 このころのノートを見ていると、散歩中に序文で触れた(※別のメモ)ご近所のAさんのお宅に大はしゃぎで掛けていったり、ゆっくり歩いていたのにAさんがお車で通りかかるとダッシュしてお宅まで向かったり、旦那さんにも時折散歩中の道でお会いしてかわいがって頂いたりと、いろいろと支えていただいていたなぁとしみじみ感慨深くなる。
 5日、首筋の腫れに気づき、気になって翌日受診。丁寧に診てもらったが、問題ない様子。また、この日から、トイレシートは厚手の超吸収タイプも併用するようになった(それまでは普通の厚さのみ)。ステロイドの影響で飲水量が増え、尿量も増えているので、寝起きいちばんや治療帰りのときのオシッコ量が多く、普通の厚さのシートだと吸収が追いつかずお尻の毛が濡れてしまい、たびたび家のシャワーで洗っていたからだ。
 7日、新しい足カバーで軽快に歩いている。時折、散歩中にたくさんのわんこさんと会えることがあり、ユキも私たちも大喜び。
 12日、桜満開の公園へ出かける。自然が豊かなところが好きなユキは嬉しそうにとてもよく歩いていた。
 14日、この日もよく歩くが、急ぎ足や小走りになると左後ろ足をつくのが斜めになるので曲がっていってしまう。
 (そんなことを打っているうちに、一旦は雨になった雪が気がつけば庭に積もり始めていてびっくりした2018年1月22日現在。ユキの遺影に改めて雪を見せる)
 19日、治療日。鼻筋の黒い部分の皮膚の質感がざらざらに変化したように思うことを相談する。毛の短いところなのでステロイドの影響が目立ちやすいとのこと。呼吸の荒さ(パンティング)についても相談。肺の音はきれいで肝臓等が腫れている様子もなく、やはりステロイドの影響によるものとのこと。
 21日、散歩中、ある程度まではそれほど足が傾がないのだが、途中から斜めになってしまいがち。また、このころには、散歩でぐんぐん先に行きたがるのだが途中で疲れてしまい抱っこで帰ってくるということがしばしば生じるようになった。筋力低下や呼吸力低下で疲れやすかったり、歩くのは大変だが、外は好きで散歩に出たい。回覧板があるとダッシュまでする。そんな状態が、闘病のほんとうに最後のほうまで保たれたことは、傍で見ている私たちにとって励みになった。食欲があることも同様だ。この子はがんばってつらいガン治療をして生きて楽しいだろうかと、何度も自問した。それでもユキは食べることもお外も植物も大好きだ。散歩中に声を掛けてくださるかたたちのことももちろん。それからきっと私たち家族のことも、大好きでいてくれたように思える。だからきっと、生きる日数を重ねることは、ユキにとって、たのしい体験を積み重ねることになる。治療がつらいばかりの期間ではない。いや、生きることが楽しいからこそこの子は、つらい治療もがんばってくれているのだ。そう信じてともに歩んだ。
 また、同21日、ユキは家族が帰宅したときなどにひと吠えふた吠えするのだが、その声が低くなってきたのが気にかかる。寝ているときの呼吸音も、大きくなって、呼吸しづらそうだ。
 27日、治療。声の変化と呼吸しづらそうなことを相談。ユキのしこりは外側に向けて出っ張っているので気道を圧迫している様子はないが、病院に預けている間様子を見てくれることに。特に問題はなかったそうだ。
 28日、治療2日目。しこりの後ろに腫れがあり、左右で大きさが違うので、腫瘍ではないかと心配になり相談。細胞診。
 29日。このころ、後ろ足の弱まりで排泄体勢をとるのに少し苦労するようになる。また、細胞診の結果を電話で聞く。しこりとは違った細胞が見られ、組織球肉腫(ユキの犬種であるコーギーがかかりやすい)とのことで、首の辺りだけなのか、レントゲンや超音波で全身を精査したいとのこと。
 30日、検査。レントゲンと超音波では首元以外に腫瘍は見られず、首元が原発と思われるので、外科手術で切除することを打診され、お願いする。ステロイド剤の服用を手術まで中止することに(血が止まりにくくなるなどするため)。首元なので大きい血管や神経なども多く、リスクがやや高めとのことで、緊張のまま手術を待つ。
 5月1日、やはり寝息が大きい。2日、右側のしこりから後ろが腫れているようだ。夕方から入院、翌日3日に手術の予定。手術前に面会したとき、大はしゃぎで元気そうにしていた。術前のCT検査により手術が可能であることが確認されたので、手術実施。少し長引いたが、無事終了し麻酔からの覚醒も良好との電話を受け安堵する。
 翌4日、面会の際に、主治医の先生から手術がどうであったかの説明を受ける。CT写真付き。かなり大きめのしこりが首の両サイドに計3つあり、頸動脈を圧迫していたので剥がすのに少し時間がかかったが、血管を傷つけることなく、準備していた輸血も使わずに済んだとのこと。大がかりな手術だったのだな、としみじみ思った。切除した部位を簡易検査で見た限りではこれまでのリンパ腫と同じようだが、詳細は病理検査の結果を待つ。これまでのものと同じならばまだ治療にも選択肢があるが、細胞診で出たように新しいものの場合もあるとのことで、どきどきする。このときは大きく切ったのでむくみも大きく、食事は飲み込みづらいが食べたがるとのこと。相変わらず食欲が保たれているという話を聞き心底安堵した。入院中はふやかしフードやペーストの缶詰で対応してくださるとのこと。数日は注意深く様子を見守る必要があるとのことで、毎日面会に訪れる予定の私たちも少し緊張する。抜糸までは抗ガン剤治療もステロイド剤の服用も行なえないとのこと。この日の面会時は、ユキは首のむくみで呼吸がしづらそうで、呼吸音が大きく鳴っていた。エリザベスカラーの側面に傷口が当たるのか、据わりが悪い様子で、伏せていて首を寝かそうとしては持ち上げて、というのを繰り返していた。
 このときに思った。ユキの場合、あまり吠えないが家族が帰宅したときには声を出すので変化に気付けた。あまり多く吠えないように育てることはもちろん大事なのだが、声や寝息もひとつの体長変化の指針になるのだな、と思うと、まったくなんにも声を出さないというのも善し悪しを一概に言い切れないものだな…と、どうぶつとの付き合いかたの難しさを改めて実感した。ことばを喋れないぶん、余計に。もちろん、だからと言って吠え放題にさせている状態を肯定するつもりはない。ともあれ、今回の手術でユキの呼吸が少しでも楽になってくれるといいなと思った。
 5日、面会。前日は顔の左側が腫れて(むくんで)いたが、この日は右側もひどく腫れていたのでびっくりした。てっきり前日よりよくなっているものだと、すっきりしていると思って面会に向かったので。院長先生によると、リンパ液の流れが首の辺りで滞っているため、むくみが引くまで時間が掛かるとのことだった。だが、前日より少し元気そうで、顔を上げていることが多かった。朝少し吐いたとのこと。看護師さんから、おやつとしてペーストとふやかしフードを混ぜたたものを、ちょうど面会に来たので家族の手からあげてあげてほしいと渡され、あげてみる。(ユキの場合看護師さんからもよく食べるようなのだが、なるべく家族との触れ合いを多く、優先するようにしてくださっているのだと思う。)スプーンからは食べ慣れていないので食べづらそうで、少量ずつ手に乗せてあげると嬉しそうによく食べた。ただ、ペーストはよいがフードは噛むのが大変なようで、1粒のみなんとか食べたあとはよけていた。私たちは、ユキがご飯を食べられることがとても嬉しかった。ご飯が食べられなくなることが病状の悪化のターニングポイントになるという話をよく聞いていたからだ。
 6日午後、面会。顔のむくみがだいぶとれ、表情も普段のユキに戻る。首の辺りはまだ腫れているが、目がキラキラしており、生気を感じた。食事は缶詰ペーストとふやかしフードとを混ぜたものをしっかり食べているそうだ。この日も夕飯としてまた家族の手からあげた。院長先生から病理検査の結果の説明がある。今回切除したものはすべて今までのリンパ腫と同じだったとのことで、ひとつ安堵した。取りきれず周りに浸潤している部分もあるが、かなりガン細胞の容積を減らせたので、呼吸も飲み込みも楽になるでしょうとのことでよかった。
 7日、面会。顔から首まですっきりして、最もむくんでいたときには低く見えた鼻も高く見える。腫れが引いたため、今まで埋もれていた手術痕がもろに見える。傷の大きさに、また改めて、大きな手術をよく無事にがんばってくれた、と思った。朝に便がゆるかったそうで、一旦食事なしで水のみになっており、切なげな表情をしていた。術後の経過には特に問題ないそう。
 8日、面会。経過良好で、翌日には退院できるとのこと!
 9日、退院。経過順調。便もまとまっており、普通食でよいとのこと(緩くなるようならば受診することに)。安静にしていた分筋力が落ちているので、滑らないように気を付けながら歩く練習をし、後ろ足の筋力を取り戻していくことに。次の受診は1週間後の予定となった。ガン治療をしていると手術は時に避けられないものである。ステロイドで落ちた筋力が入院でさらに落ちる。ガン闘病には体力・筋力の維持も課題になってくると思った。
 (ここで本日の入力を切り上げ、居間から、2階にある自室に戻る。自室にも置いてあるユキの遺影に「ユキー、雪だねぇ。雪だよ」などと話しかけながら、外に降り積もっていく雪をともに見下ろしていて、なんだか急にどかんと悲しくなって泣きそうになっている。雪がやんだら、積もったものを少しすくってきてユキの仏壇にお供えしようと思っている。楽しそうに雪にかわいい足跡をたくさん付けてまわったときを、思い返しながら。)

弱りつつある足、それでも散歩を好む姿に励まされた

 2017年5月9日の退院後、首周りや顔を拭いたり、おしりの周り、後ろ足などをシャワーで洗う。筋力が落ち立ち上がる際や排泄時に腰を持ち上げて補助する必要が生じた。入院中、かねてから探していた段差の少ないトイレトレーを見つけた(高さ2cmのもので、シリコンでトイレシーツが貼り付く)ので購入してあった。退院後すぐに試してみたところ、元々のトイレスペースと配置を変えていなかったこともあってか、うまくトイレをしてくれた。この新しいトレーは最期まで活躍してくれることになる。また、トイレの声掛けをするとしてくれる習慣が身に付いていたことも助けになった。いろいろと済まして、ユキ、落ち着きよく寝入る。寝息が小さくなっていて安堵した。
 10日。この日から、散歩時に腰元を支えて補助することになる。支えると嬉しそうによく歩いてくれた。
 11日。便が少し軟らかくなってきているので病院にかかる。整腸剤を処方された。傷口の様子は問題ないとのこと。翌日、便の軟らかさが少し落ち着いたので安心する。
 13日。新しいトイレトレーでの排泄に慣れてくれている。夜、おなかが赤く発疹ができていることに気づき、通院。皮膚検査でマラセチアが出ているとのこと。専用の抗菌シャンプーが最も効果的なのだが、今は傷口がありシャンプー不可能なので、飲み薬が処方される。また、傷口の乾いた膿が気になり、併せて診てもらう。ほとんどのかさぶたをとってもらった。肉芽が出来つつあり、自然と傷口が埋まるとのこと。
 14日。便が普通便に戻った。散歩は腰を支えればペース良く歩いてくれている。好んで歩きたがる。
 16日、途中まで補助なしで自分で歩けた(左後ろ足は曲がり気味だが)。病院にて抜糸。しばらくマラセチアの発疹の治療と傷口の治癒を優先しながら、今後の治療方針について相談していくことに。
 17日、補助なしで散歩ルートを1周回って歩くことができ、回復力に驚かされた。
 18日、後ろ足の動きが少し硬く、少々歩きづらそうだった。散歩の途中でユキの足のストレッチをしてみる。
 19日。おなかと、今回の首元の手術で毛を剃った部分とにまだ少々赤みがある。縫い傷のかさぶたが一部とれた。
 20日。傷口の生々しさが減っている。このころには昼間道路が熱くなってしまうことがある時期に差し掛かったので、この日は夕方に回覧板とともに散歩、よく歩く。途中でご近所さんのAさんとお会いし、ユキを交えておしゃべりしながら一緒に散歩をさせて頂いた。楽しかった。
 21日。ユキお気に入りのわんこさんのお宅まで急ぎ足で進んでいく。満足そう。
 22日、散歩中にAさんがお庭のお手入れをされているところが見え、お庭に寄らせてもらう。かわいがってもらったり、いろいろな花を見た。
 23日、受診。マラセチアの発疹が飲み薬だけでは改善されなかったので、専用のシャンプーで全身を洗い様子を見ることに。夕方、シャンプー実施。
 23日の受診の際、獣医さんから、治療方針についてお話があった。腫瘍でとても高名な専門医のかたにユキの経過をまとめたものを見てもらい、今後の治療についてなど相談しアドバイスを受けたとのこと。ユキの場合予後不良と言われるT細胞型のリンパ腫ではあるが、局所型で、1か所に集中しており、他の臓器などには広がっていない。そのため、大きくなったときには切除手術も可能。ユキの場合ステロイドの効きが良く、手術前に2、3日服用を中止したところ急にしこりが大きくなったほど。こういった今までの経過を踏まえて、副作用の少ないこれまでの治療法(2連日で行なっているもの)でまだしばらくは大丈夫なのではないかとのことだった。最後の手段として残っている、3週に1度の治療もあるのだが、リスクが大きく(副作用があることと、他の症状が出ても3週間治療が出来ないためかえって弱ってしまうこともあること)、本当に最後の手段としてとっておきたいとのこと。
 24日。おなかの赤みはまだ残っているが、ユキ自身はあまり気にしていない様子。
 25日、久しぶりに抗ガン剤治療。今までと同じ、2連日のもの。ユキ、ここしばらく通院はしていたが、朝病院に預けられるのは久しぶりなので、少し「あれっ?」というようなきょとん顔をしていた。採血の結果問題なく、治療を実施できる。首元右側に残っているしこりが小さく(やわらかく)なった気がする。おなかの赤みが1回のシャンプーでは改善されきらなかったので、週2回程度の部分洗いを勧められ、実施することに。
 26日も抗ガン剤治療。首元の毛の剃ってある部分の赤みが気になり、皮膚検査をしてもらう。菌や炎症細胞などは出ていないとのこと。帰宅後よく寝入る。右首のしこりがぺったんこに。右耳のフチに少し皮の剥けている部分(小さな皮膚片が浮いて毛束ごとぽろっと取れる)がある。左耳も皮膚が少し浮いてきた。
 27日、足の動きがよく、スムーズに歩けた。おなかの部分洗いをする。
 29日、右足の膝が曲げにくく、大変そう。膝の動きが硬くなっている。
 30日、補助なしで歩き始めたが途中から補助が必要に。Aさん宅でお花を見たり、足のマッサージを教えて頂く。
 31日。日陰の多い公園に出かける。コケの上を気持ちよさそうに歩いていた。途中から補助が必要になった。
 6月1日。足取りがよい。右耳のフチだけではなく内側(外耳部分)にも脱毛が生じる。
 2日、治療。耳の脱毛を相談。ステロイドの影響とのこと。皮膚病ではないようでほっとする。右のしこりが小さくなり、ステロイドも効いているそうだ。
 4日。朝、回覧板とともに散歩。急ぎ足でしゃかしゃかと歩いた。ユキは本当に回覧板が好きだ。
 7日、補助なしでも歩いてはいるが、曲がっていったり、傾いだ角度で足をつくので心配。このころ、補助用にベルトを作成しようとしていたのだが、なかなかうまくいかない。左目が少々小さくなり、瞬膜が見えるようになる。
 9日。夕飯後の歯磨きの際、左下の歯茎に小指の先くらいの大きさのできものがあることに気づく。歯磨きは1日おきくらいにしているのでびっくりした。
 10日、病院で細胞診。11日、結果を電話で聞く。炎症反応で、肉芽のようだ。大きくなるようなら再度検査し切除も考えるが、この時点では腫瘍ではなく、経過観察とのこと。
 12日、予定通り抗ガン剤治療。問題なく実施できた。
 13日、治療2日目。迎えの際、獣医さんに、ユキの足の動きが硬いのだがマッサージやツボ押しなどをしても大丈夫か尋ねる。血流やリンパ液の動きがよくなることで腫瘍に悪影響が出ないか心配だったからだ。行なって大丈夫とのことで、日常に取り入れる。また、ヘルニアの子など足腰に効くツボを教えて頂く。後ろ足の肉球のいちばん大きいところ(メインパッドと言うそうだ)。また、後ろ足をかばうと前足が凝りやすいので、前足の凝りもほぐしてあげるとよいと教えてもらい、そこまで思い至らなかったので勉強になった。
 16日、どうぶつ保険会社で行なっている腸内環境検査のために便を採取する。後日結果を見たところ、治療の一環で服用している抗生物質の影響があったりした。
 このころ、散歩はマッサージも取り入れながら途中まで補助なしで歩けている。今思うと、姿勢を整えながら筋力を付ける意味ではきちんとした補助ハーネスを(その存在を知っていれば)この時点で取り入れていたほうがよかったのだろうなと思う。補助なしで自力で歩くほうが筋力を復活させる意味では効果は高いのかもしれないが、歪んだ歩き癖が付いてしまうので。これに関しては判断が難しく、誤ったかもしれないと振り返れば思う。この当時は、じきに補助が必要なくなると思っていて、ユキが少しでも自力で歩けることが嬉しくて、なるべく自力で歩くようにしたほうがいいと思っていたのだ。
 21日、抗ガン剤治療。ユキの左目のホルネル症候群のような症状がまた少し増したので相談。レントゲン撮影。特に気になる腫瘍は見られないとのこと。様子を見る。
 22日、治療2日目。左下歯茎の腫れ、次回大きくなっているようであれば再度細胞診をしたいとのこと。
 23日、散歩中、Aさんのお庭に寄らせて頂く。お庭のイチゴのこのシーズン最後のひとつを頂戴した。ユキの好きなもののひとつで、以前にも幾度かごちそうになっている。本当に嬉しそうにむしゃむしゃする。
 30日、治療。歯茎の上にも赤いものができているがそれは炎症とのこと。左下のものと、顎下のしこりを細胞診。7月1日、結果を聞く。顎下は組織球肉腫の細胞が見られるが、今回の治療から1週間経って小さくなるようであれば問題ないとのこと。大きくなるようならば早めに切除する。その場合の選択肢として、この時点では局所麻酔と全身麻酔とが挙げられる(それぞれにメリットとデメリットがある)。また、大きさに変化がなかった場合に治療方針をどうするのかは、家族で相談しておくことになった。
 7月2日。室内を移動している際に腰をついていることが多かった。散歩も早めに切り上げる。この日、顎下のしこりが丸から扁平になり、くびれが生じたのを感じる。そのため、翌日受診。変形は問題ないとのこと。大きさもあまり治療時と変わらないが、この時点で念のため手術の日程を組むことに。顎下を見ようとすると動いてなかなか見せたがらないため、局所麻酔での手術は無理で、手術を行なうならば全身麻酔ですることに。
 8日、足腰は補助していてもかなりふらつくが、本人はよく歩きたがる。9日は調子がよく、途中まで補助なしで歩けた。足腰の調子には日によってかなりムラがある。
 10日、抗ガン剤治療。顎下のしこりはやや小さくなってきているとのことで、手術を実施するか否かは予定日の前日の計測結果により判断することに。
 13日、顎下のしこり、大きさにあまり変化なし。
 16日、散歩時、早足で歩いて足がもつれそうになるほどだった。
 17日、手術予定の前日のため、病院へ。しこりはやや小さくなり、手術を先に延ばすこともできるとのことだったが、希望を伝え、予定通り行なってもらい病理検査に出してもらうことにする。しこりは小さいので全摘出になるとのこと。血が止まりにくくないか、内臓の状態は大丈夫かなど、術前の検査をしてもらう。
 18日、手術前に面会。手術前の面会の時はいつも、これが最期になるのではないかと、ドキドキする。ケージ内で元気よく動いているのだがそれでも。面会時に、獣医さんから、術前検査の結果手術は行なえるとのお話。また、帰宅して待機していると、午後、手術前に獣医さんから電話が来る。顎下のしこりのほかに、左下歯茎の赤い腫れとその下のぽちんとしたものも病理検査に出したいとのことで、是非お願いする。ぽちんは全摘出、赤い腫れは一部切除になるとのこと。
 手術は1時間ほどで無事終了し、麻酔からの目覚めも良好。夜、迎えに行く。抜糸は10日ほど後を予定しており、今回傷口が小さいのでステロイドの服用は継続することに。ただし、傷口の状態が悪くなるようであれば受診する。
 19日。両目の下部、黒い部分が増えて、まるでクマのようにげっそりとして見えるようになる。鼻筋の黒い部分と質感が似て見える。
 20日。室内の移動は左足をカーペットについたままのことが多い。散歩では補助によってなんとか歩いている。
 21日。日中も足のマッサージやストレッチを何回か行なうが、嫌がる様子はない。
 23日、補助していても足運びが大変そう。傷口は特に問題なく見える。
 27日、通院。抜糸。病理検査の結果を聞く。今回切除した部位もいずれも今までと同じリンパ腫とのこと。顎下と歯茎の下のほうのものは取り切れている。歯茎の赤いほうは今後の経過を見る。ひどく大きくなるようであれば切除するが、その場合、大がかりな手術になるとのこと。歯茎だけを取ることはできず、左下の顎の骨(すなわち顎全体の骨の4分の1)ごと取ることになると聞いて、びっくりしてかなり動揺する。不安で不安で仕方がなくなった。咀嚼には支障はないとのことだが、想像して泣いてしまった。また、後ろ足はやはり弱ってきているので、家でのリハビリが重要とのこと。このころ、食事の際ユキの腰を支えて、立った姿勢を維持させるようにしていたのだが、それは起立姿勢保持と言って、リハビリとして有効とのことで、継続することに。そのほか、後ろ足を自転車こぎのようにゆっくりぐるぐると回して関節を動かして硬くなっている動きをほぐすことを教わった。
 この受診のとき、ユキの右後ろ足の内側が移動の際に擦れて赤くなっていることを相談。ただれになるようであれば消毒が必要で、靴下を使用してカバーするなども有効であるとのこと。ユキが身動きをしたがるそぶりがあるときにはなるべくすぐに近寄って腰を支え、室内を歩く際も補助することにする。
 29日、リハビリをがんばっている。調子よく立ち上がれるときもある。
 31日、自転車こぎもマッサージもがんばっている。食事中、支えられしっかりと立っている。
 8月4日、5日、抗ガン剤治療。手術痕の赤みの様子など大丈夫とのことで安心する。
 9日。このとき初めて、きちんとした歩行補助ハーネスを試す。(この少し前に動物病院内に置かれていた冊子で存在を知って、サイズを確認し、通信販売で購入した。)この日は室内での試着のみだが、四肢を支えるためこれまでのように腰元だけ支えているときとはバランスが違うようで、ユキの後ろ足にあまり力が入らず、バランスを取るのが難しそうだった。本来はここまで腰が弱る前に導入すべきものだったと思い、自分たちの至らなさが悔しく、ユキに申し訳なかった。
 10日、新しいハーネスで散歩に出る。最初は歩きにくそうだったが、ユキ自身もハーネスを持つ側(これは私が担うことがほとんどだった)も少しずつコツを掴み、歩けた。
 12日、うまく家の近くを1周回ってこられた。小走りをするときもあって、感激した。
 14日、抗ガン剤治療の予定だったが、左わき腹の硬くなっている部分が気になり相談したところ、すぐ超音波で診てくれ、脾臓に問題があると判明。手術に備えてこの日の抗ガン剤治療は中止し、レントゲンなど検査をする。
 14日夕方、預けていたユキを迎えに行った際、説明を受ける。脾臓は舌のような薄っぺらい臓器で、外から触診で触れられる臓器のひとつ。機能としては免疫を司り、リンパ系の仲間のようなものであるほか、血液の貯蔵もする。ユキの場合、今のしこりのサイズで外から触れて違和感を感じることができたのは、ステロイドの影響で腹筋が薄くなっているためとのこと。本当に深刻な腫れの場合は外側にせり出して脾臓の形が大きく変わるほどだが、ユキはまだそこまでは行っておらず、脾臓の内部に腫れがとどまっている状態。ただ、超音波(余談。打っていてまた雪が降ってきたが一瞬だけだった2018/01/30 16:03)で診ると黒く抜けている部分があり、それは水分が多く、血が溜まっているということ。そこに細胞診のために針を刺すと腹腔内出血のリスクがある(元々脾臓は血流の豊富な臓器でもある)。今回は手術を決定しているので細胞診は省略してリスクをひとつ減らす。
 脾臓にしこりのようなものができるケースは、過形成(加齢による良性のしこり)、悪性の腫瘍、その他脂肪が貯まったり髄外造血というものが行なわれている場合などがある。過形成と悪性腫瘍の場合、化学療法(抗ガン剤治療)で小さくできるケースもあり、その場合は細胞診でしこりの種類の情報を得ることも有用だが、脾臓にしこりを抱えていると外部からの刺激で出血する(はぜる)危険性があるため、様子を見ることにもリスクが伴う。
 脾臓の場合、全摘出も治療の選択肢として挙げられる。脾臓を取った場合のリスクは、人間の場合は免疫機能低下などがあるが、犬の場合、実施例は多いが特に報告例がないとのこと。取ってもあまり支障がないと考えられている臓器。手術は通常1時間ほどで終わり、術後の入院は合併症がなければ通常1週間ほどとのこと。ただ、手術時に他との癒着(脾臓からじわじわと出血したのを自身の血液凝固機能で固めていくと起こる)がある場合摘出が大変だったりするため、手術を行なう場合は早いほうがよいこともある。また、摘出は脾臓に入る各血管を、シーリングと呼ばれる方法で止めて行ない、摘出後には行き止まりになった血管が残る。これが興奮などではぜるリスクもあるため、安易に摘出手術が最適とは言えないとのこと。手術時のリスクとしてはほかに、血液の多い臓器なので出血があれば輸血が必要になる可能性もあることが挙げられる。これは首元の手術と近いリスクとのこと。
 脾臓には、中心に細い血管がたくさん入っており、摘出はこれらをすべて止めて行なう。猫の場合は糸を使用するが、犬の場合は体内に糸を残さないほうがよいと言われているそうなので、シーリングをする。ただ、ユキの場合は1本だけ5~6mmほどの血管があるため、それのみ糸になるか、シーリングでいけるか、実際に手術を行なっている際に判断するとのこと。
 術後の入院時には安静が必須となるため、ユキの場合は既に弱っている後ろ足が更に弱るというリスクもある。これは退院後にリハビリを地道に行なっていく。手術日まで自宅で気を付けることは、おなか一点に力が掛かるような抱きかたはしないこと。骨盤を支えたり肋骨でカバーされている部分やおしりは抱えて大丈夫とのこと。使用している補助ハーネスは肋骨と骨盤とで四肢を支えるものなので、使用して散歩して大丈夫とのこと。
 説明を受けた翌日15日、手術日程を確定させる電話があり、手術が16日に決まる。そのため15日の夕方に病院に預けることになった。散歩と夕飯を済ませ、病院へ。
 15日夕方、病院にユキを預ける際、右口元のヒダの部分のぽちんとしたものと、右の尻元の赤い湿疹のようなものが気になり相談。口元の細胞診は麻酔のかかったときにして、リンパ細胞が出たら切除して一緒に病理検査に出してくれるとのこと。尻の細胞診はこの日のうちに実施。結果が出るのは翌日だが、結果により必要があれば、手術時にともに切除することが可能ならば切除することに。いずれも、今回の最優先事項は脾臓摘出なので、麻酔が安定していたら行なえるとのことだ。このとき、術前検査(凝固系などに問題がないか)を行ない、帰宅後の夜、手術が問題なく行なえるとの連絡があった。
 ステロイドは手術前までは継続するが、今回は大きな手術なので抜糸まではお休みすることになる。抗ガン剤治療もしばらくはお休みだ。
 16日朝、術前の面会に行くととてもうれしそうにしていた。後ろ足もしっかりと立っていた。ほっとする。
 手術が無事終了し、麻酔からも醒め、翌日17日朝にまた面会に。ユキの表情がすっきりとしていて、元気いっぱいで、心底ほっとした。手術後の夜からごはんも食べており食欲旺盛とのことでひと安心。面会時に、手術がどうだったか説明を受ける。摘出した脾臓の写真を見せてもらった。ユキの脾臓を取ってみたところ、薄い膜の内側で小さい出血を繰り返していた痕跡があり、ボコボコと小さな変形が見られ、今回早めに取れてよかったとのこと。(仮に良性だったとしても出血のリスクが高いので。)また、口元と尻とはともにリンパの細胞が出ていたので切除したとのこと。口元はふた針ほどだが、尻は少し大きめに切ってある。
 18日も面会。良い表情で、ケージの中で立ち上がりジャンプするような動きで方向転換をしていて良い意味でびっくりした。エリザベスカラーを巻いたままで上手に水を飲んでいた(家だと飲めないので水を飲みたがる気配があったら水のお皿をカラーと口との間に差し込んでいる)。
 19日、朝面会。右の尻の手術痕がこのとき初めて見えた。かなり細かく縫ってあり傷口がきれい。夕方姉が面会に行った際に、獣医さんからおなかの手術痕もきれいで経過に問題ないとの説明があったとのこと。
 20日、面会。おなかの傷に内出血があるが、自然と引くようなら問題ないとのこと。食欲は旺盛でしっかりと食べているらしい。
 21日、面会。普段は診察室の奥の処置室の更に奥、ケージが壁面に並んだところにいるのだが、このときはほかに面会のかたが多かったようで、可動式のケージに入ったユキがころころと診察室まで運ばれてきてそこで対面した。ユキ、少し不思議そうだった。獣医さんから病理検査の結果の説明を受ける。いずれも悪性リンパ腫だったとのこと。これまで局所型で首と頭部に集中していたのが、今回あちこちに転移しているので、今後の治療方針をまた腫瘍の高名な専門医のかたに相談して検討したいとのこと。また、もともとあった左歯茎のしこりが大きくなっているので、ステロイドを再開したいとのこと。この面会時に右の口端にも白いぽちんがあることに気付いた。
 22日、退院。翌日からステロイドを半量で再開するとのこと(この日は注射で投与してある)。補助ハーネスがおなかを覆う形状をしているので、現物を病院に持参しておなかの傷に障らないか見てもらったところ、傷口の状態がよいので使用しての散歩も大丈夫とのこと。帰宅後、右首元のしこりが大きくなっていることに気付く。鼻筋右側の黒いぽちんもやや大きくなっており気になる。
 23日、早朝、首元のしこりが更にパンパンに張っている感じがして不安になるが、夕方や夜にはふにゃりと小さくなった感じがして少し安心した。左歯茎の腫れもあまりパンパンなかんじはしない。ステロイドがよく効いているようで感動する。この日、朝さっそく補助ハーネスで散歩に出た。しっかり立って歩き始めてくれて、ほっとした。足の運びもよく、つま先がひっくり返ったままになる(ナックリング)ということもなかった。
 24日、早朝に散歩。前日よりはやや後ろ足がふにゃふにゃしており、左と、時折右足もナックリングしていた。だがたくさん歩きたがった。左右ともに後ろ足が少し擦れているのでテーピングテープを貼る。
 25日、庭に出すと、ほんの一瞬、補助なしで自分で立つときもあった。
 26日。左右ともに後ろ足を裏返して引きずりながら、もつれるように歩く。前日に私の体調があまりよくなく散歩にしっかりと出てあげられなかったからだろうか、と思ってつらかった。ユキ自身はそれでも歩きたがった。途中で疲れて、抱っこして!という雰囲気を出してきたので抱っこで帰宅。
 27日、後ろ足は左右ともに少し引きずるが前日よりは歩けた。途中で帰りたがったので抱っこで帰宅。
 28日、前日より更にしっかりめの足取り。少しふにゃりとはするが。ほんとうに、日々のわずかな積み重ねが大きく影響してくるので、気を抜けないと同時に、がんばり甲斐もある。歩きたがったがこの日も途中で抱っこして!となったので抱っこで帰宅。
 29日、姉と私とで散歩に出たところ、最初なかなか気分が乗らなかったようで、足取りが重かったが、母が途中で合流するととたんに大はしゃぎで小走りした。途中、走ることもあった。ユキがとても嬉しそうで、私たちも嬉しい。帰宅中にAさんとお会いしてユキは瞳をキラキラと輝かせていた。
 この日、通院して抜糸。今後の話になる。このころ足のリンパ節などもふくらんでいるのが気になっていたのだが、ステロイドを元の量に戻せるとのことで、それで変化を見ることに。また、抗ガン剤は変更する。今までの2連日で7日間隔のものはユキには副作用が少なく、47セットと、長く続いていたのだが、転移が生じたので変更になった。副作用が出ないか不安になる。新しいものはまず1週間に1回を1か月行ない、次に2週間おきを1か月、そしてどんどん間隔を空けていくというものらしい。切り札と呼んでいる3週間に1回のものはまだ残して、まずはこれを試したいとのこと。
 30日、散歩の足取りはやや良いが早めに抱っこして欲しがったので切り上げて帰宅。31日は足取りが重そうだったが途中までよく歩く。このころ、立てている状態で「抱っこで連れて帰って」という雰囲気を出してくることが多くなっており、元気がないのか、なにか異変があるのか、とても気にかかる。散歩自体は嫌がらず、家での様子を見る限りでは元気は変わりない様子なのだが…。
 9月1日。この日は足取りがやや良い。母が合流してウハウハで小走り。よく歩いた。歩幅が広めで、しっかりと歩けている様子。(足取りが重いと歩幅も狭く、やっとのことで歩いている様子なので。)
 また、ユキの散歩に補助が必要になってから、通行人のかたに「大変そうだね、がんばってるね」と声を掛けて頂く機会が増え、特に補助ハーネスを使用するようになってからはなおさらで、ユキは声を掛けてもらえて嬉しそう。私たち自身も、家族だけで閉じこもることにならず、とても救われたし嬉しかった。励みになった。ユキはもともと人に構って欲しがる犬なので、よく声を掛けて頂いたり、撫でたりなどしてもらえていたのだが。
 2日、足取りしっかり。この日は母なしの散歩だったがそれでも小走り気味。立たせてもへにゃりとならず、足が少ししっかりしてきた感じがする。この日はお出かけで、以前ご近所同士だったがお互いに今は少し遠くに住んでいる、Bさんのお宅に伺う。Bさんのお宅にもユキと同じ犬種(コーギー)のわんこさんがいるので、引っ越す前も引っ越してからも、とてもよくして頂いていた。姉中心に親しくお付き合いさせて頂いており、以前は一緒におでかけなどしたり、お互いの家に上がって過ごすこともあったほどだ。ご近所同士だったときには、Bさん宅のコーギーさんが家の前に来るとユキはいつもベランダに出たがった。2階のベランダから道路のコーギーさんと会う姿がまるでロミオとジュリエットのようだと言われていた。
 ユキはそのBさんもBさん宅のコーギーさんも大好きでとてもよくなついており、Bさん宅のコーギーさんもユキのことが大好きだ。久しぶりに会えて、お互いとても嬉しそうだった。私たちも、会えて嬉しかった。長居させてもらい、楽しい時間を過ごす。
 3日の散歩は、歩き始めは足がふにゃっとしていたが段々調子が良くなり、小走り。がんばって歩いた。
 4日、新しい抗ガン剤治療のために通院。8月29日の受診からこの日までの間、あちこちの腫れなどの様子を注意深く見ていたが、鼻周りのほか顎下にもぽちんとしたものが生じ、足のリンパ節の腫れはステロイドの量が増えてすぐには一旦サイズダウンしたが、再び大きくなった。また、9月2日におなかの傷跡の周りが赤くなっていることに気づき、マラセチア用のシャンプーで部分洗いした。翌日には赤みが一旦引いたが、また赤くなり、ぽつぽつとした湿疹が見られる。5日には赤みが引いた。9月3日には歯茎の右側に膨らみが生じ、4日の朝更に大きくなっていた。これらを相談したところ、新治療の全身への効きを見ていきたいとのこと。このときにはもう、全身のあちこちに少しずつ出てしまっているので、ひとつひとつを取ることが厳しくなってしまったとのことだった。病状のステージが進んだことに少し気持ちが沈む。
 新しい治療の副作用は、出るとしたら骨髄と消化器系とのことだった。治療から2~3日目に出るので様子を見る。また、左歯茎の腫れが大きくなっていて歯が当たりそうだったので相談したところ、もし歯が当たり出血した場合にはガーゼを当てて止血すれば大丈夫とのことだった。ただ、派手に血が出る可能性があるとのことで、ドキドキする。
 治療の回数が変更になったので、ごはんの量を治療の1サイクルごとの日数で割って均し、加減した。体重の様子を見る。
 4日は治療の前に散歩に出たが、足取り軽やかでとてもよく歩いた。大きく1周歩ききった。時折小走り気味ですらあった。
 5日、歩き始めは大変そうだったが、調子がよくなり軽やかに歩く。Aさんのお宅まで歩けたので寄らせて頂いた。また、この日の朝、首のしこりのフチがほんの少しだがぐにゃりとした印象だった。足のリンパ節の腫れはあまり変化がない様子。
 右の後ろ足が少し太くなってきたというか、筋力が戻ってきた感じがする。(筋力が落ちてからは元々細いのにほんとうにほっそりとしていて骨だけのようだった…。)左もわずかに。毎日、自転車こぎ体操やマッサージを行なっているが、そのときの足の反発も強くなってきている。成果が出ていてうれしい。
 6日、早朝の散歩は爆睡していたところを起こしてだった(この時期はアスファルトがすぐに熱くなってしまうので、早朝に出ないと少し遠い日陰の多い公園まで車で行く必要があるのだ)ので、足取りがやや重め。すぐに止まって、抱っこを拒まなかったので切り上げた。午後に近所の日陰をたどりながら2回目の散歩に出た。家から連れ出そうとしたときにはあまり気乗りしていなかったが、母と一緒なので嬉しいらしく、3、4回小走りを見せた。通りすがりのかたに、「がんばれ~~」と声を掛けてもらう。
 7日、連れ出すと最初は足がへにゃりとしていた。足取りが重いがよく歩いた。調子のよく見える部分もあった。歩きの様子は一進一退で、日によってむらがある。左下歯茎のしこりが丸く膨らみ、大きくなったのが気になる。
 8日、左後ろ足は散歩の間、始終裏返しで引きずり気味だったが、ほぼ1周歩けた。小走りも見せた。後ろ足がかなり大変そうだった。左歯茎の腫れが増している。また、体重がわずかに減ってきているので、食事量をこの翌日2g増やしたが、家族で話し合った結果このときの筋力ではその体重でいいのではないかという判断になり、更に翌日には量を戻した。
 9日、左後ろ足を引きずり通しなこともあり心配。なんとか調子を掴んで、がんばって歩いたが、途中で自分で引き返した。右足が突っ張るように硬い。
 この日、右首元のしこりがパンパンになってしまったので急きょ通院。ステロイドを注射してもらい、翌朝また受診することになった。
 翌10日受診、首のしこり計測。前日よりやや小さくなっているとのこと。手で触った感じもそうだ。この日もステロイドを増量して注射してもらい、ふつうに過ごす。
 翌日、新しい抗ガン剤治療2回目の日。通院前、散歩に全く出たがらず、家にいて抱っこしようとしても手を差し込ませようとしない。何とか外に出てもらったところ、最初は歩き出さなかったが、少しだけ歩いてくれた。左後ろ足は裏返ったまま引きずり気味。体がつらいのだろうか、心配だ。治療で預ける際に相談したところ、散歩に出たがらない様子が続くようであれば全身検査も必要ではないかとのことだった。このころがターニングポイントのひとつだった。もっと早く検査していればなにか違っただろうか、ユキはずっとつらかったんだろうなと、今でも後悔する。
 12日、連れ出すが全く歩かず、雨も降ってきてしまったので散歩をやめて帰宅。家の中は歩くので、ステロイドが増えたことで筋力や呼吸がいっそう大変になったのだろうか、と思う。ただ、ステロイドのおかげで首のしこりはかなり小さくなっている。右首のしこりも小さい。しこりはさておいて、首の外周がとても細くなっている気がして心細くなる。後ろ足のリンパ節は大きくなっているような気がする。午後再び散歩に連れ出すと、へにゃっとしてなかなか歩き出せなかったが、何とか励ました。歩き出すと調子が出て、少し回って来られた。
 このころは、とにかく筋力の低下を食いとどめるために、少しでも多く歩いてもらう必要があるという考えに囚われていた。そのため、歩いてもらうためにあれこれ策を練った。それが結果として良かったのか悪かったのか、ユキにとっては幸せだったのかつらいだけだったのか、わからない。
 13日。この日も歩きたがらなかったが、策を練ると少し歩いてくれた。左後ろ足はやはり裏返ったまま引きずり気味。右首のしこりは更に小さくなっている。しこりの周りがふにゃふにゃ。左歯茎の腫れも少しだけ小さくなったように見えるような気がした。また、散歩に連れ出してから2時間ほどあとに自分から外に出たがったので連れ出したところ、ひなたぼっこをしたかったようで、ご満悦。家に入る?と訊いても微動だにしない。何度か自分で姿勢を直していた。この日、シャンプーをしたが、ひと回り小さくなっているユキを見て悲しくなった。夜、右首のしこりがやや大きくなっている気がした。
 14日。朝、首のしこりが今まででいちばん小さい! 家の前からは歩きたがらなかったが、抱っこで少し先まで連れていくとそこから先に進んでくれた。それでも少し行ったら引き返したがったので、歩いて帰宅。この日は、散歩用にハーネスを付ける際、自分で前足を立たせてくれて、散歩に気乗りしていると思ったのだが。
 立たせたときの腰のたわみと、地面に下ろした際のへたりこみとが、一時よくなったように見えたのだがこのころはまた目立っている。
 15日。朝はやはり首のしこりがぐんにゃりと小さく感じられる(この前日も夜はこりっとしていた)。家の前からは歩きたがらなかったが、少し先まで抱っこで連れていったら乗り気になってくれ、よく歩いた。坂はきついようで息が上がってしまうので、途中で抱っこで引き返し、平らな道をまた歩いて帰ってきた。
 16日、抱っこで先から少し歩いたが止まり、雨も降ってきたので帰宅。いつも回覧板を持っていくお宅の前で「回覧板は?」という顔で立ち止まるのがかわいい。夕方、首のしこりが更に非常に小さくなって、びっくりした。朝は少し硬く、前日より大きくなったように感じたのだが。
 17日、台風なので、雨間に少し外の空気を吸うだけにした。首のしこりはまた大きくなったように感じたが、昼過ぎには小さく感じた。
 18日、抱っこで先に連れていくと少し歩いた。足取りや立った感じはなかなかしっかりしている。病院にて抗ガン剤治療。ここのところステロイドの量を増やしていたが、肝臓の値が上がってきているので、隔週で今までの量と増量した量とを交互に使用する予定になった。治療日は、飲み薬よりも効果が高いので注射にて投与。
 ここのところ、前足だけで進もうとする力が落ちているように感じていたのだが、前足を握ったときに感じるたくましさがなくなっている…。一時とても太かったのが、今は筋力が落ちているようだ。
 19日。久々に家の前から歩き出す。すぐ止まったので抱っこで先まで連れていくと少し歩いた。すぐに息が上がり帰りたがったので、抱っこと歩きとを繰り返しながら帰宅。首のしこりは前日より小さい。久しぶりに、家の中で自分で前足で前にぐいぐい進もうとしてくれて、支えるために駆け寄りながら少し安心した。このころあまり歩かないので、たまにはご無沙汰だった公園などに出かけてみたら張り切って歩いてくれるだろうか、などと相談する。
 20日。久々に家族全員揃っての散歩、回覧板付き。家の前に下ろすと少ししぶっていたがよく歩いた。やや小走り気味のこともあった。久々に楽しそうに歩いてくれて嬉しかった。ここのところ、無理に歩かせているようでつらく、自分たちのしていることがユキにとっていいことなのかわからなくなっているので。また、夕方も気分転換で少し外に出る。道路に寝そべったり、少々歩く。午前には首のしこりはかなり小さかったが、夜にはまた少しだけ硬く大きさも増して感じられた。
 21日。抱っこで先へ。少し歩いた。足はふにゃふにゃで、左後ろ足はひっくり返って引きずったままのことが多かった。また、最近、尿の出始めに分泌物の固まりのようなものが多いことが気になる。首のしこりは朝は硬かった(それでも前日の夜よりは小さかった)。夜にはやや柔らかくなった。
 22日。少し遠い公園に出かける。よく歩いたが後ろ両足を裏返ったまま引きずっていることが多かった。ふつうに足を運べていることもあった。帰宅後、足や尻、股を洗う。後ろ足の付け根部分(そけい部)に左右ともに少し手にコリコリと当たるものがあることに気付く。また、左耳の付け根あたりにもぽこっとしたものがあることに少し前に気付いて気になっていたのだが、それが大きくなっている。黄色のおりものが多いため病院へ。軽い膣炎を起こしているのではないかとのことだった。これは抗ガン剤治療で免疫力が低下しており感染症などを起こしやすいことによる模様。鼻炎の増える子もいるようで、ユキも鼻炎のような症状が多い。抗生剤が追加された。
 23日、家族全員で散歩に出たが、家の前からは歩きたがらず、少し先まで抱っこ。そこからはよく歩いた。大きな坂もほぼ登りきった! 抱っこで引き返したが、平らなところをもう少し歩きたがったので歩く。左後ろ足は返ったまま引きずることもあった。右も時々。この日も黄色いおりものがべったり付着。右の首のしこりがふたつになっている。そけい部のしこりは左足側は二つあるように感じる。
 24日。やはり家の前からは歩かず、抱っこで先に下ろしても最初足取りが重かったが、比較的調子良く軽やかに歩いた。右首の二つ目のしこりが少しわかりにくくなった。引っ込んだりしているようだ。おりものは落ち着いたよう。
 25日。歩き始めは気が乗らない様子だったが、よく歩き1周した。途中、足腰の怪我でリハビリ中のかたから声を掛けて頂き、一緒にがんばりましょうと言ってもらった。ほかにも顔見知りのかたに声を掛けていただく。
 この日、抗ガン剤治療。あちこちの腫れを相談。そけい部や耳のしこりも、リンパ節とのことだった。朝預けた時点では、この週はステロイドを増量する予定だったためそれと抗ガン剤とで各リンパの腫れがどうなるか様子を見るとのことだったのだが、血液検査をしたところ肝臓の値が高くなってきていたため、ステロイドの量は多くすることができず、この週も以前の量で、肝臓のサプリメントが処方された。カルテにしこりの部位を記録するために捺してあった犬の四肢を広げた全身像のスタンプの絵面が少しおもしろくて和んでしまった。だが、全身のしこりが急激に大きくなるようならば最後の手段として残している治療法も検討するとの言葉を聞き、かなりがつんと打ちひしがれた。キツかった。首のしこりは小さくなった。
 26日、ややしぶっていたが途中で家族が揃うと嬉しそうだった。やはり「回覧板を置きに行かないの?」という顔をする。前日にお会いしたリハビリ中のかたにまた声を掛けて頂く。ユキ、足を引きずるときと足取りが軽やかなときと、むらがある。おりものは透明なものが少しある。首のしこりが小さく、そけい部もふにゃりとしている。夜には首のしこりがどこにあるのか一瞬わからなくなるくらいとても小さかった。この日、姉がユキのとてもいい表情の写真を撮ってくれた。ユキの10歳最後の日だ。これがのちに遺影となる。
 27日、ユキの11歳の誕生日。外には出たがったが足はふにゃんふにゃん(ごはん中に支えていてもぐらぐらしていた)。抱っこでどれだけ先に行っても歩きたがらず、後ろ両足を手で持って足運びの手伝いをしたところ調子が出て少し歩いた。家の庭でひなたぼっこ。そけい部のしこりはやや大きく感じる。左後ろ足のリンパ節の腫れも。首のしこりも前日よりは大きい。一方、耳のしこりは前日も小さくなっていたのだが更に小さくなだらかになっていた。この日、声が少し低めなのが気になる。この前日からだったかもしれない。
 28日。朝ごはんのとき比較的よく立てていたり、散歩の支度をし始めると久々にソワソワしていたのでこの日は歩けるかなと思ったのだが、やはりどれだけ抱っこして先に連れていってもほとんど歩かなかった。つらい。前足の付け根(脇の下)のリンパ節もこりっと手に触れるようになった。
 29日。家の前から歩いた! 家族が揃っているので嬉しそう。目も輝いていた。1周回って歩いて来られた。後ろ足の運びはやや重いこともあったが、足運びをサポートするととても軽やかによく歩いた。積極的だった。嬉しかった。
 30日。少し歩いた。歩きたい気持ちはあるようで、後ろ足を動かすのを手伝うと前足がよく進むこともあったが、後ろ足は返ったままで引きずるか全く動かないかのどちらかだった。
 10月1日。少しだが歩いた。足はふにゃふにゃで引きずり気味。このころ前足がたわんでいるというか、立つ際に傾いでいることが気にかかる(真っ直ぐつけておらず、後ろに引きずられるように傾いている)。
 この日、こなしてお湯でペースト状にしたフードで包んだ肝臓のサプリメントをペッと口から出した(ガン闘病が始まってからはいつもこの形式で手からフード包みの薬を飲んでもらっていた)ため、久しぶりに直接口の中に入れて飲んでもらう。その後、いつも通りドライフードをあげようとしたが、手に乗ったフードに薬が混じっていないか警戒してしまったのか、1粒ずつ手であげようとしても(このころ、ごはんの時間は立つリハビリの時間でもあったのでゆっくり食べるようにこうしていた)一旦落としてから噛み砕き、またペッと口から出して食べない。そのため、手から食べてもらうことを諦めてお皿から直接食べてもらう。いつも、獣医さんも病院で会うほかの闘病中のどうぶつさんの飼い主さんも知人も、「食欲があるなら大丈夫ですね」と口々に言っており、実際ユキは食欲があり続けるからこそここまで元気に保ってきてくれていると思っていた。それでもこのときはまだ、薬を警戒して食べなかっただけだと思った。
 また、昼食時はドライのままのフードを食べるのが急に大変そうになり、食べたいのに食べられない感じ。歯茎のしこりが大きくなってきたからだろうかと思った。そのため夕方には普段の量で全量ふやかし。ふやかしの間起立姿勢保持のリハビリ。一気にがっつり食べてくれてよかった。トイレ時のごほうび(これは一日の食事量のうちから何粒か取っておいてあげていた)も、ドライフードだと食べたいけど無理…という顔をする。時折あげていたおからビスケットを小さく割ってあげると、それならばガリガリと噛むことができたのでよかった。昼食時は歯磨きロープも食べられた。今後ごほうびはビスケットにすることにする。たくさん細かく割って準備した。
 2日、家の前からよく歩いた。足は少し引きずり気味のこともある。複数のかたに声を掛けて頂き、口々に、「(ユキは)病気だがいい目をしている、力強い」と言って頂けて、私たちは元気が出た。そうだ、ユキはまだまだ元気だ、と思った。ユキも声を掛けてもらえて嬉しそう。
 この日、抗ガン剤治療。朝預ける際、食べるのが大変そうということなどいろいろと伝えたが、本人に食欲自体はあるのでそれほど深刻な状況ではない様子だった。迎え時、肝臓の値が上昇しているため肝臓のサプリメントの種類を変更し、ステロイドも減量するとのこと。しこりはじわじわとだが大きくなっているところや、新たにできているところもあるのだが、ひとまず肝臓を保護したいとのこと。肝臓が限界になると治療が不可能になるからだ。今の抗ガン剤でも肝臓の値が上昇していて、最終手段として考えているものも肝臓にかなり負担がかかるため、とにかく肝臓を守りたいとのこと。肝臓の値で治療ができなくなるという話は聞いていたが、そういうことか、と、このとき初めて実感として理解した心地で、がつんと打ちひしがれた。キツい。だが、ユキに食欲はあるので、やはりそれほど深刻な状況ではない様子だった(朝と迎え時は別々の獣医さんだったがともに)。
 夜ごはんは、治療の日はいつも帰宅後すぐに40gと、少し時間をおいて20gとをあげていたので、その量でふやかしであげることに。この日は前者のときはふやけるのを待つ間支えられながら居間をじたばた歩いていたが、後者のときには少し疲れた様子で、少し歩いたが休んでいた。前足だけ立った状態で座っているのだが、前足の力も弱ってきているらしくすべってしまうので前足を支えた。つらい。そうしているうちに、ユキ、動いて待つことを諦めて完全に横になってしまったり。だが待ち時間終了のタイマーが鳴ると、これまでにタイマーを使ってきたときと同じように反応して、じたばた歩くのを再開した。
 3日、歩けない日のよう。外には出たがり、散歩の支度にも反応したのだが。1周抱っこで連れ回しながらあちこち置いてみたが歩けなかった。だが、家に帰る手前で少し歩きたそうな気配を出したのでもう一度置いてみたところ少し歩いた。切なそうな顔をしている…。首と耳のしこりは小さめで、そけい部もふにゃり気味。
 4日。家族が揃っていたが歩けない日だった。姉が後ろ両足を持って足運びの手伝いをすると少し歩くこともあった。このころ、ユキが歩けないのはむらがあるためで、たまたま歩けない日だっただけだ、と思っていた。実際、二日おきくらいには少し歩けていたのだ。それでも不安はあった。また、この日も黄色いおりものが出た。右そけい部、右後ろ足リンパ節は朝はふにゃり気味。首のしこりは前日よりやや大きいがそれでも小さい。脇は前日前々日ごろから手にしこりを感じなくなった。左歯茎のしこりが口腔の内側にまでかなり大きくせり出していて、口腔が狭くなっており、これはなるほど食べづらいだろうな、という感じ。後ろ足のリンパ節は夜にはまた大きくなっていた。この日、呼吸がガフガフというかんじで、しづらそう。散歩の抱っこのときにも、腕に胸のガフガフを動きで感じた。いやな予感がしたが、ステロイドの影響だろうと、思ってしまった。思い込みを悔いる。
 5日。黄色いおりもの。少し遠くまで抱っこで連れていくと意欲的に歩いた。足の運びが少しつらそうだったので時折手で持ってお手伝い。最初立たせたときは比較的しっかり立てていたのだが、途中、やはり足がふにゃりとした。
 この日、午後にトイレをしたがった際、急に下痢をして、液状便とぷるぷるゼリー状の粘液とが出たため急きょ病院へ。少し寒そうに、ぷるぷると震えた様子があるので心配。ユキ、しょんぼりとして元気がない。点滴をしてもらい抗生剤が追加で処方される。抗生剤は日頃から飲んでいるので、感染症の心配はあまりしなくてもよいと思われ、また、家の中を動き回る元気と食欲があるので、検査よりも点滴で別のタイプの抗生剤と、消化器官の働きを和らげるものとを投与する対症療法をとるとのことだった。体温はやや低めだが大丈夫とのこと。夜は食事なしで夕方水のみから再開。夜、全くごはんをほしがるそぶりを見せず、眠っている。悟りの様子に、切なくなる…。
 6日朝、便の様子が落ち着いているので、飲み薬とふやかした少量のフードをあげようとする。飲み薬は最初ペッと口から出し、2回目で何とか飲んでくれた。ごはんは何回か口にはするものの口から出す。そのため、ふやけたフードを1粒ずつ全部4つ割にしてみると、少し食べた。ごはんから逃げるのでとても心配になる。しばらく、布団で休んでいた。時間をおくと、顔を上げたので朝ごはんの残りをひとかけ手に乗せてあげてみたところ、手から十かけほど食べ、小皿を差し出すと八割ほど平らげてくれた。一時間後に残りも食べきってくれた。
 この日、夜は4つ割にしたフードをふやかしてあげようとするが、やはりごはんから逃げる。ふやかしにお湯を足してスープ部分を増やしたり、おからビスケットを粉末状に砕いてふりかけたりしたところ少量だけ食べてくれた。この時点で、ペーストの缶詰の在庫が病院にあるか、電話で確認(ユキはアレルギー療法食を食べているので病院でごはんを買っていた)。あるとのことだったのだが、この時点で診療終了時間が近かったため、翌朝買いに行くことにして取り置きをお願いする。この日の夜は、とりあえず何か食べてもらおうと思い豆腐をあげてみた。150gのものをぺろりとおいしそうに平らげて、もっと欲しそうにしていた。なお、豆腐をあげる前に、凝固剤のミネラルなどが悪影響にならないか、フードの成分表示と見比べたりしたが、フードよりミネラルが少ないくらいだったのであげることにした。ユキの場合食物アレルギーが多いため、こういったときにあげられるものの選択肢が少ない。普段のドライフードもアレルギー療法食だ。この日の夜は、食欲自体はあり、ごはんを用意する物音にも反応するのだが、食べられないという様子だった。
 7日、朝も夜も黄色いおりものが少しべったりついていた(夜は2回)。あまり歩きたがらなかったが、おなかと後ろ足を支えてあげると少し歩いた。朝、薬はフードには包まず直接飲んでもらう。ふやかした4つ割のフードをあげようとすると、置いた皿に興味はありそうにして、首を先にせり出してくるのだが、食べず、皿を手に持つとやはり逃げる。お昼ごろ、缶詰ペーストとふやかしフードとを混ぜるとなんとか朝のぶんを食べきってくれた。昼食は食べやすそうな豆腐にする。150gをぺろりと食べた。
 この日の夜、ふやかしたフードと缶詰と、おいしい豚肉を、しゃぶしゃぶにして1枚あげる。シュガーレディという宅配サービスで取っているシュガーポークで、これはユキの食い付きが断然違うのだ。これまで、ごくたまに、少量ちぎってしかあげていなかったが、この際食べてくれれば何でもいいと思い、1枚あげることにした(それでもまだ栄養バランスやカロリーを気にして、摂取カロリーがオーバーしないように缶詰の量を減らした。まだ、普段の栄養バランスの取れたフードをなるべく多く食べてほしいと思っていたのだ)。最初、ふやかしフードとペースト缶詰を混ぜたものに少し細かい肉を散らしたものを8割ほどまで食べたところで止まってしまったのだが、残りの豚肉をあげようとするととても食べたがり、ちぎった豚肉にフードと缶詰のミックスをくっつけると意欲的によく食べ、ぺろりと完食してくれた。ユキが食べてくれたことに安堵して、泣いてしまった。やっぱりシュガーポークは違うね、などと言っていた。結果として、これが最後の晩餐になった。(それをきっと喜びで彩ってくれたであろう感謝の意を表し、あえて明記することを許されたい。ダイレクトマーケティングではないです…)
 このときのシュガーポークへの食いつきは本当にすごく、がつがつと、せいせいと本当に意欲的に食べてくれる姿がとにかく嬉しくて、あげながらぼろぼろと泣いてしまった。ちぎるのがユキの食べたい気持ちに追いつかず、ぱくっぱくっと、私がまだ肉を構えていないところでユキの顎が空振りするほどだった。待って待って、と泣き笑いしながら一生懸命肉をちぎった。ユキのその姿は一時の和みを与えてくれた。(ユキの亡くなったあとでも、家でしゃぶしゃぶをする際は仏壇にシュガーポークをお供えしている。ユキに食べる楽しみを、食べたいという気持ちを最後に与えてくれたシュガーポークには、本当に感謝している。)
 また、この7日の日、ユキの喉のところと左肩に大きなしこりが急に現れる。今までのしこりの中でもかなり大きいほうで、喉元のものは皮下で右肩の上まで動く。怖い。呼吸が浅く苦しそう。かなり気になったため、8日に病院にかかるつもりでいたところ、8日の朝に嘔吐下痢を起こす。そのため8日朝に受診。吐き気止めと普段朝飲んでいる薬とを注射にて投与してもらう。細胞診も実施。
 また、獣医さんがユキの呼吸の速さをとても気にして、念入りに音を聞いたり超音波で診てくれたが、水は溜まっていないとのことだった。やはりステロイドの影響だろうかという話になる。
 そして、午後。突然、吐きそうなそぶりをしたのを引き金に、急にガタガタと大きなけいれんを起こす。瞳孔がかっ開かれており、舌はべろんと伸び、舌も歯茎も真っ白。40秒から1分ほど続いただろうか。どうしたらいいのかわからずおろおろうろたえ、電話、病院に電話!、この語呂合わせって番号何番!?と、覚えているはずのものにも頭が回らない始末だった。急いで再び受診。強縮性発作と言うそうだ。脳や中枢にまで腫瘍が転移している可能性があり、そのために起きたけいれんの発作ではないかとのことだった。
 血圧の低下(吐くときにもこれが起こるので引き金になる)で起き、けいれんを起こしている間は脳細胞がどんどん死滅していくとのお話。その言葉に衝撃を受けた。座薬と飲み薬とが対応策として挙げられるが、けいれん止めの座薬を処方してもらい帰宅。発作がもし頻繁に起きるようであれば血液検査やレントゲンを実施したほうがいいとのことだった。
 肝臓のサプリメントを飲ませる予定だったのだが、夕飯も少しあげてみることになり、強めの吐き気止めの注射(大脳から吐き気をシャットアウトするものだ)を打ってもらった。翌朝は抗ガン剤治療の予定日だったため朝ごはんなしなので、ごはんに興味を示すかどうかだけチェックすることに。
 だが、その日の夜、ユキはぐったり寝ており、食べ物の名前をいくら言っても全く反応を示さなかった。それどころか、言葉を掛けても耳がほとんど動かない。ウェットフードとりんごのにおいは少しかいでくれたが、寝そべったまま物憂げで、目もうつろ。トイレの声を掛けても、抱っこをしようとしても、動かない。前足をみじんも立たせようとしない。ユキの反応が薄いのが、とにかく怖かった。食事は本人が全く食べたがっていないので諦めた。ユキがごはんを食べなくなるなんて、と、打ちひしがれた。それでもまだ、このときですら、吐くのが怖くて一時的にいやになっているだけなのではないかと、淡い期待を抱いていた。ユキにとってはそれはきっと、もう固形物は口にしないという、決心だったのかもしれない。
 また、病院から帰宅したあと、肝臓のサプリメントを飲ませた際に、また吐きそうなそぶりからけいれんになった。このときのユキの目と、サプリメントの真っ青な色とが、今でも目に焼き付いて離れない。すぐに座薬を使用。家に調理等用の使い捨てのタイトなゴム手袋があったため、それをサッと装着して指先を手早く水で濡らしユキの尻に押し込む。これは、主に私の担当になった。必要な一式をすぐに使用できる場所にまとめて置いておく。最初の発作が、ふつうに過ごしていて突然起きたものだった。そのため、いつ発作が起きるか、わからない。心配で、警戒し常に気を張った状態がこの日から、続くことになる。
 夜中、ユキの呼吸がとても浅く弱々しいので、母が付き添っていた。0:50、下痢。私が自室からユキのいる1階リビングに下りてきた気配に反応して呼吸が荒いながらも戻る。私はリビングとひと続きの母の寝室で横になることにしたが、眠れなかった。ふっと、いやな予感がして4:00ごろベッドから下りふらっとリビングに向かうと、その瞬間ユキがまたけいれんを起こし始めた。虫の知らせだろうか、姉もたまたま起きた瞬間だった。すぐに座薬を使用。2分間ほど指を差し込んだままで座薬が溶け吸収されるのを待っていたが、下痢とともに出てきてしまった。それでもけいれんはおさまった。後発作という、けいれんの発作のあとのぜぇはあとした状態は続いた。姉が付き添いの番を交代。私も眠れなかったので5:30ごろ番を交代した。
 6:00前後、ユキがそわそわと顔を上げることが多く、私は一段階気を張りつめる。6:11、少しオエッと吐きたがるような動作をしたがこのときは何も起きなかった。7:00、姉が起きてくれて、ひとりでなくなり少しだけ安心する。支度して病院へ。

最期の1週間

 10月9日、月曜。抗ガン剤治療の予定だった日であるため、病院へ向かった。血液検査の結果、肝臓の値が高く、もう普通の抗ガン剤は使用できないとのことだった。絶望した。これまでに幾度か、ほかのどうぶつさんのお話で、肝臓の値が高くてもう治療ができない、というのは聞いていたが、こういうことなのか、とようやく実感として理解した。それでもガン細胞の栄養を断つタイプのものであれば使用できるとのことで、ただ、これはもう以前にアレルギーを起こしてしまっているので、実施するか否かの判断は私たち家族の意志に委ねられた。私たちは、リスクを考え悩んだ。それでもまだ、できる治療があるのであれば、お願いすることにした。そのため、実施。これは結果として正解だったようで、最期のユキのガンを大幅に減らすことができたようだった。
 この日、病院の待合室でユキは少し元気に見え、顔見知りの飼い主さんにも声を掛けて頂き、顔を上げていられたのだが、急に舌が真っ白になってきた。今までに発作の際口が真っ白になっていたので、発作の予兆かと警戒し慌ててスタッフさんに声を掛け、獣医さんに診てもらう。その結果、ユキの血液の酸素飽和濃度が通常の状態よりもぐんと低く、92%しかないということが判明した。酸欠に近い状態で頭がふらふらしていたとのこと。そんな状態になっていたなんて、と、またしてもびっくりして、大きく動揺した。病院の酸素室で血中酸素飽和濃度を97%、100%ほどまで上げてあげると少し落ち着いたそうだ。
 もう、肺にまで腫瘍が転移して、蝕まれていた。今まで呼吸がつらそうだったのも、最近あまり歩きたがらなかったのも、もしかしたらステロイドの影響ではなく肺への転移だったのだろうかと、このとき初めて知り、どうしてもっと早く気づいてあげられなかったんだろう、と、とても後悔し打ちひしがれた。
 実際のところはいつから肺が蝕まれていたのかわからない。最後の手術の際のレントゲン(8月14日)では肺には異常はなかった。だが、この日に撮ったレントゲンでは肺がぐじゃぐじゃに蝕まれていることがわかった。
 10月に入るか否かくらいのころだっただろうか、ユキを抱っこした際に腕に感じる、胸のところ、すなわち肺のぜぇはあとした動きが、いつもの呼吸の上がりかたと違うように感じて、あれ?と思ったことが、1回あったのだ。そのときの違和感をもっと重要視していれば、もっと早く、気づけたのだろうか。小さな違和感も見過ごしてはならないと強く後悔している。
 ユキの酸素飽和濃度は、獣医さんのお話によると、これまで徐々に下がってきたことにより、高地トレーニングのように、少しずつ低酸素の状態に慣れてきて、それでなんとか呼吸が荒くなる程度に留まって、通常の生活を送れていたのではないかとのことだった。
 この日、病院からの紹介のみでレンタルできる自宅用の酸素ハウスを借りる手続きをする。たまたま、この日のうちに自宅に届けてもらえるとのことだったので、病院の酸素室に預けていたユキを連れて帰ることができた。これが本当に大きく、ありがたいことだったと、今でも心から感謝している。
 この日の時点で一度、今のようにけいれんをたびたび起こしている血圧の状態では、体勢を変えた際の血流のちょっとした変化などで、場合によってはこの日のうちに亡くなってもおかしくない状態だと告げられた。一度目の、通告だ。急展開に、ただただびっくりしていた。それでもまだ、このときはあくまで、そういった可能性もあるという、可能性の話だ。覚悟はした。ぼろぼろ泣いた。闘病を始めてからずっとしていたつもりの覚悟が、いよいよ本番になったということを痛感しながら。それでも、それでも。ユキならきっとまだもう少し生きると、そう思った。信じたかった。
 血液検査の結果もガタガタで、臓器が、体が限界を訴え始めていた。ビリルビンを分解できていない肝臓。肝臓の機能はもう大幅に落ちていた。全体的に臓器機能が落ちており、今抗ガン剤治療をすると更に機能が低下してダメージになる可能性があるとのことだった。血中のたんぱく質も低く、これは血液中に水分を保つ力が落ちて胸や腹に水が溜まるリスクがあるとのことだった。たんぱく質低下を起こす原因は腫瘍のほかに貧血も挙げられるが、ほかの値が貧血の兆候を示していないため、腫瘍が栄養を持っていっていると考えられるとのこと。
 病院の酸素室にユキを預かってもらっている間、家族は可能であればそばにいてあげてほしいと言われ、それは私たちも希望することだったので、午前と午後の診療時間の間、酸素室の傍らにいた。最初、ユキはぐっすりと言ってよいのだろうか、よく寝入って休んでいる様子だった。
 付き添いながら、獣医さんからお話があった。ユキの今回の肺のレントゲンの白いゴチャゴチャは肺炎の可能性もあるにはあるのだが、やはり腫瘍の浸潤を考えるとのこと。臓器の状態から、もう最終手段として残していた抗ガン剤は使用できないということ。このときにステロイドの使用とレスキュー療法の実施を打診された。すごく悩んだが、もう腫瘍が中枢にまで来ていて、すぐに亡くなってもおかしくないと言われたので、それならば何もせずに看取るよりはリスクがあっても最後にもう一度治療をしてから、と思い決断した。ステロイドがアレルギーを抑えてくれるとのことだったので、ステロイドを投与してからレスキューを実施するとのこと。その間も、ずっと付き添っていた。このときユキは顔を少し上げて言葉に反応し、目でこちらの動きを追ってくれて、安心した。酸素室に入ってから少し眠って、元気になったように見えた。
 ステロイド後、レスキュー。少し呼吸が荒く見えるが、即座のアナフィラキシーショックは起きず、安心した。ほんとうに怖かった。
 病院の昼休みの時間、一旦帰宅する。午後にまた面会にきてあげてほしいと言われた。帰宅前、今後を相談。病院の酸素室にユキを預け続けることもできるとのことだったが、ここでレンタルの酸素ハウスで自宅に連れ帰るという手段を提示され、そちらでお願いする。昼休みの間にレンタルのための電話をした。
 午後、再び面会。ユキはぐっすり眠っていた。酸素が充分に吸えて快適なのだろうか。酸素室はケージ状で、前面がガラス扉になっている。ガラスには小窓が二つ付いていて、酸素濃度の表示が保たれている範囲でなら小窓を開けてユキに触ってもよいとのことだったので開けてみる。ユキはすぐに飛び起きた。顔に精気があり、ほんとうにうれしかったしほっとした。撫でると小窓から鼻先を出して、べたっと寝そべろうとしてとても甘えてくるので、酸素を吸えないと困ると思い鼻先はケージ内に収まるように戻して、逆の窓から触った。今後はなるべく家で過ごしたいが、ユキにとって動物病院に通うことが励み、楽しみになっていると思うので、機会があったら通いたいね、などと話していた。午後、ユキの様子が少し落ち着いて、調子がよくなったように見えたので、レスキューをして、酸素室に入れてもらってよかったと思った。
 だが、15:30、酸素室内のユキが伸びをするようにぐぐっと前足を突っ張り首を引きながら、急に目をかっ開き、ガクガクと震え始めたので、はっとする。またけいれんだ。すぐに獣医さんに声を掛けて、処置室で処置をしてもらった。じきに血圧は安定し、酸素飽和濃度も97%と安定。けいれんの処置で使用したものに麻酔のような効果があるため、酸素室に戻ったユキは少しとろんとした様子だった。けいれんの際に、少し便と尿が出た。
 獣医さんからまたいろいろとお話があったり、質問や相談などをする。ユキは血液検査結果上は黄疸が出ているとのことだが、値としては外観ではあまり分からない程度とのことだった。ただ、尿の黄色が濃く、これは黄疸の現れとのこと。また、朝のユキの便が緑だったのだが、それも肝機能の低下によるとのことだった。
 酸素室で充分な濃度の酸素を吸いながら、ユキは点滴を受けている。全身の血流が向上し、だるさなどが楽になるとのことだった。肝臓を保護するものなども入れられ、飲み薬を減らすことができるとのこと。静脈への点滴は病院でしかできないが、どうぶつさんの場合皮下点滴を自宅でするという選択肢もあり、ただその場合も初回はやりかたを獣医さんから実際に見せてもらいながら教わる必要があるとのこと。この時点では、この日ユキを実際に連れ帰ってみて、今の体力で病院と家との間の移動に耐えられるか否かで判断することに。点滴を流しながら酸素室に預け続けるという選択肢はユキの余生をなるべく家で過ごしたいのですぐに除外した。点滴に通うとなると、朝から夕方まで病院に預けて点滴を受け、その間は付き添いもでき、夜には家に連れ帰ることになる。これもあまり積極的には選択肢に入れなかった。治療効果としては病院での静脈点滴が最もよいことはわかるのだが、なるべく家で過ごすことがユキにとってよいと思ったのだ。そうなると家での皮下点滴だ。このやりかたを教わる場合、翌日ユキを連れて通院するか、往診(かかりつけの病院では基本的に重篤な患者さんのみが対象のようだ)に来てもらい自宅で教わるか。どうなるか、わからなかった。
 食事は、薬を飲ませるときのように強引に飲ませるのでなく、自然な飲み込みであれば吐き気からのけいれんは起きにくいのではないかとのことで、ユキが食べられるようであれば、もうアレルギーは気にせずに何でも、嗜好性の高いもの(ささみなど)をあげてよいとのこと。
 ユキの起こしているようなけいれんの発作の原因としては、腎機能や肝機能の低下、心臓病も考えられるが、ユキの場合この時点では血液検査や心電図でこれらが原因となっている兆候は見られないとのことだった。
(この前日から朝にかけてもおりものがべったりだった。感染に弱くなっているのだろうか、と思った。)
 この日、私は午前中、付き添いながら泣いてしまったが、午後には少し落ち着いた。レンタル酸素ハウスを自宅に届けてもらうために家族揃って一旦帰宅しながら、スーパーに寄ってユキが食べてくれそうなものを探して買って準備をした。嗜好性の高そうなウェットフード、茹でてあげられるささみやしゃぶしゃぶ用の豚肉。肉は家で茹でて冷まし、小分けして冷凍しておくことにした。「ユキ、これなら食べてくれるかな~!」と、そんなことを話しながら。このときは完全に、空元気と呼べるものだった。無理して、家族みんな、元気に楽しく明るい未来(さき)を見ていた。ユキを迎える準備をすっかり整え、酸素ハウスを設置してもらい、病院へユキを迎えに行った。
(2018年、メモ整理時点。このあたりから先のメモを見るとつらさがぐんと増して、なかなか筆を執れない。自分のメモと母の手帳とを見ながら書いているのだが、母の手帳の10月のページを見るとほんとうに一週間で急変して亡くなり葬儀をしたのだということが視覚的にがつんと頭を打ちつけてきてつらい。ああ、ユキはほんとうに亡くなったんだ、と。未だに不思議なその事実が、悲しい。とても長い一週間だったのに、ユキがあんなに長くがんばってくれたのに、カレンダーで見ると、一週間とはこんなにも短いのだ。その体感と実時間とのズレが、ユキがほんとうにがんばってよく闘ってくれたのだということを、思わせる。もうがんばらなくていいんだよと、何回も何回も言いながら泣いた。そう言いながら、ユキががんばってくれるのが、私たちともっと居たいと思ってくれていることが嬉しくもあり、それと同時につらいと感じることを、がんばっているユキに申し訳なく思った。ユキががんばっているのに私たちがつらいという勝手な理由で先に諦めてしまうわけにはいかない。そうユキに励まされ、自分たちを奮い立たせ、支え合った。)
 酸素ハウス(機械で高濃度に濃縮した酸素をケージ内にチューブで送り込み満たすというものだ)のレンタル業者のかたが、家に一式を運んできて設置してくださり、いろいろと教えてくださる。高濃度な酸素がチューブから常に出ている状態なので、ケージ内に満たすほか、ケージからどうぶつを出して鼻先にチューブをあてがってもOK(これは身動きをあまりしない前提だと思うが、これを教えていただけたことが最期のさいごの時間をかなり助けてくれた)、だとか、もしどうぶつが閉ざされたケージ内にいることがストレスになるようであれば、前後にある扉を少し開けた状態で酸素を送り込んでいてもOK、といったこと。チューブを鼻先にあてがっていればハウスの外で眠っていたり抱っこをしていてもOK。もちろんハウスの中のほうがよりよいけれども、それがストレスになるようであれば工夫してあげてよいとのことだった。ユキは酸素ハウスに入ってからたくさんお見舞いに来ていただけたので、扉を開けいてもよいということも、ユキがお見舞いのかたのお顔と声と手とに直接ふれ合うことができ、とてもうれしそうで、よかった。
 酸素ハウスの準備が済んでから、病院の酸素室で預かってもらっているユキを迎えに行った。顔を上げていて、意識のしっかりした様子。移動中は酸素を吸えないのだが(これはのちに登山などで使用するような携帯型の酸素ボンベを購入してみた)、病院で充分酸素を吸った状態なので、家ですぐ酸素ハウスに入れれば家までの移動時間ならばなんとか大丈夫とのことだったが、とてもドキドキした。また、移動中に発作が起きないかも心配で、座薬もすぐに使用できるように一式用意して携行していた。
 移動中、少しするとユキの呼吸が速くなってきて、焦ったが、なんとかその状態を維持してくれ、どんどんと速くなるということはなかったのでひとまずはほっとした。車内では寝そべっていたが、家が近くなるとそれが分かり、顔を上げてくれた。うれしかった。
 ユキのおしりからこの時点でペースト状の軟便が出ていたので、家に着くとすぐにユキの顔を酸素ハウスに入れた状態で、洗浄した。このペースト状の軟便が体の大きな異変、ガンの合併症のサインであることを、私たちは知らなかった。この直近で下痢をよく起こしていたので、その延長上のものだと思ったのだ。きっと苦しかっただろう。もっと早く重大視してあげられればと、悔やんでも悔やみきれない。
 酸素ハウスは前後に扉があるほかに上面が開くので、そこからなんとかユキをハウスに入れた。我が家は女手のみだが、姉が比較的パワフルなので非常に助かった。また、のちにハウスの覆い(ケージの壁面と天井とが一体になったもの。底面を残してまるごと持ち上げられた)が外せることに気づいたので、終盤にはユキを出し入れする際に覆いを外してユキを寝かせ、また覆いを被せるといったこともしていた。
 家の酸素ハウスに入れたユキは、ぐたっと寝ていた。少し酸素が不足してぼうっとしているだけかもしれないが、移動が大きな負担になったと思った。そのため、翌日に皮下点滴のやりかたを教わるためにユキを病院に連れていくことは不可能ではないかと思われた。翌日どの程度持ち直してくれるかによるが、往診をお願いする方向性で家族の意見はまとまっていた。
 19:00、酸素ハウスには温度計と湿度計が付いているのだが、湿度が70%になり少しこもっている様子だったので、扉を少し開けながらユキを撫でた。頭を動かしてくれた。ハウスの外から話しかけると、耳が少し動き、目でこちらを捉えて追っている! 安心した。酸素が充分に足り始めたのだろうか。
 戸を開けると顔を上げたりするほか、水も今まで使用していたお皿から自分で飲んでくれた。だが、それでも夕飯はやはり食べない…。獣医さんからは、もし酸素不足で食事に支障が出ていたのであれば酸素ハウスで解決するかもしれないが、臓器系に起因していれば解決しないかもしれない、と言われていた。水はとてもよく飲むのに、食べ物のたぐいは、香りをかぐだけで、食べようとはしない。酸素ハウスの設置のために一時帰宅した際、ユキはなに食べるかなー、これは嗜好性が高くていいんじゃない?、などと空元気で明るく話しながら、ささみやしゃぶしゃぶ肉を加熱して準備しておいたり、ペースト食も買ってあったのだが。希望は、打ち砕かれた。それでも自分で水を飲んでくれることはユキがまだまだ元気だと言っているようで嬉しかった。
 20:40、ユキの呼吸が荒くなり、おしっこ?と声を掛けるとその単語に反応するので、ケージから出してみる。トレーのトイレで、軟便とおしっこをした。普段トイレをする際にしている声掛けが有効で、よかった。私は早めに寝て、夜中に付き添いの番を交代することに。正直に言って、この日の夜にでも亡くなるのではないかという不安で、遅くまで付き添いたかったが、ユキならば夜を越してくれると信じて、床に就いた。
 21:40、けいれん。このときは舌が出ていなかった。軟便がまた出たので清拭。
 0:00、10日になった。目覚めて顔を上げ水を飲む。軟便を清拭。3:00ごろ、私が番を交代。ハウスの湿度が80%を超えていたので、慌てる。とりあえず戸を少し開けて、じきにまた閉めた。ユキは寝そべりながら、時折顔を上げて顔を置く場所を直している。
 4:55、ユキが顔を上げてもの言いたげだったので、水のお皿を用意したらぐびぐびと飲んでまたすやすや。飲んでいる途中や、飲み終えたときにうとうととお皿のフチに顎を乗せたまま寝そうになってかわいい。
 5:20、ユキの呼吸がはあはあと荒い。湿度は85%。酸素のチューブを鼻のそばにあてがった状態で、前後の扉をまた少しずつ開け、押し入れ用の除湿剤を二つハウスの中に置いてみる。わたわたとしながら必死で策を練った。5:35、湿度80%。一旦、上面の戸(半分だけ開く)を完全に開け放つ。5:43、79%。後ろ(おしり側)の戸を全開にする。5:50、78%。酸素の圧縮機の向きを変えたりいろいろとあがく。
 6:03、湿度が78%からなかなか下がらないので、前の扉も全開にする。チューブが鼻先に来るように保ちながら。部屋に洗濯物を干してあるのでこれは部屋自体の湿度が高いのではないか、と思い、もう少しして湿度が下がらなかったら戸を閉じることにした。6:13、変わらないのですべての戸を閉じる。
 6:25、また湿度が82%まで上がってしまったので前後の戸を開ける。また軟便が出ている。姉がちょうど起きてきて、洗ってくれた。けいれいんがいつ生じるか不安ななか、常夜灯だけを点けた薄暗い部屋でひとり付き添っていて(姉がすぐ目の前で眠ってはいたし母の寝室もひと続きなのだがそれでも緊張していた)、湿度にあわあわと翻弄されていたので、付き添いがひとりじゃなくなってほっとした。ハウスの湿度は80%。姉の湿度計で部屋の湿度を測ってみる。部屋は70%だった。病院の酸素室のほうが湿度も一定に保たれてユキにとって快適なのだろうかと、相談し合う。移動の負担の大きさと、酸素は保たれるが湿度までは維持できない自宅用のハウスにずっといることの負担と、どちらがプラスが大きいのか、マイナスが少ないのか、わからなかった。除湿剤のカバーを外して(あまり正しい使いかたではないと思うのだが)、少しでも除湿力が上がらないかあがく。
 6:48、湿度が76%まで下がった! 7:00、ハウスも部屋も74%で並んだのでハウスの戸を閉める。7:10、また軟便が少し出ている。ずっと、ねっとりとした液状のものだ。
 8:00、姉が、ご近所のAさんに、ユキが危ない状態だと伝えに行くことにした。ユキを中心に私たち家族全体にとてもよくしてくださっており、ユキがもしじきに亡くなるのだとしたら、最期に会ってあげてほしいという、ワガママだった。ここのところ散歩で遠くまで歩けなかったので、ユキも私たちもAさんにはしばらくお会いできずにいた。交流の深さを思うと、私たちだけでなくきっとAさんにとっても心残りになると思えるような、そういったお付き合いをさせて頂いていたのだ。姉の話を聞いてAさんはすぐに来てくださった。ユキの表情に少し力が戻る。Aさんを目で追い、お話にまばたきで反応してくれる。Aさんは一旦帰宅なさって、また来てくださるとのことだった。
 8:35、少し呼吸がぜぇはあしているが、顔つきは、苦しそうと言うよりもリラックスしている印象。これは母や姉も同意見だった。声を掛けると目を開け反応する。
 9:00ごろ、Aさんがお庭のお花を花束にして持っていらしてくれた。ユキの好きなお庭、近頃はなかなか足を運べなくなってしまっていたその愛情に満ちたお庭を、運んできてくれたのだ。とてもうれしかった。また、玄関を開けたときにぱあっと輝いて見えた花束を持ったAさんのお姿が、とてもすてきだった。ユキに花束の香りをかがせると、鼻がぴくぴくとよく動き、嬉しそうに反応する。このときには目に光が戻っていた。Aさんにたくさんお話して頂いている間、ユキは自分で首を動かしたり、体を起こしたがるほどだった。姉と協力してユキを伏せの体勢にする。Aさん、ユキがもし亡くなったらそのときに棺に入れられるように改めてお花を持ってきてくださるとのことで、魔除けのハーブとしてローズマリーも切ってきてくださるとのことで(この日もたっぷり頂いた! 我が家にも以前に頂いたものを挿し木で根付かせたものがある)そのお心遣いがうれしかった。私もハーブ、特にローズマリーは大好きだ。魔除けのハーブと言えばローズマリー。Aさんから、古代エジプトのミイラにも魔除けとして使われているといった話題が出て、私は古代エジプトが好きなので嬉しかった。また、ユキにマッサージもしてくださったところ、ユキが、以前にAさんから初めてマッサージを受けたときとそっくり同じような、「えっなにこれ知らない感覚だわ気持ちいい~~!!!」というようなびっくり瞳をしていた!
 Aさんは帰宅されて、そのあとのユキは、酸素室から連れて帰ってきたときのうつろな目ではなく、まるきり普段の、単に眠っているだけのときのユキの目になっていた。うれしかった。9:25ごろ、けいれんが起きそうに見えたので座薬を使用する。おしりに少し軟便がついていた。後発作のような荒い呼吸が少し続き、十分ほどで落ち着く。ユキは自分で首を動かしたり起こしたり、声に反応するなど、気力を感じさせる。Aさんが来てくださったことでユキに気力が戻ったと、そう強く感じ心から感謝した。
 協力して、伏せの姿勢から横倒しに姿勢を変えさせる。元の姿勢とは逆の向きにした。こういった姿勢転換を本当はもっと頻繁にやってあげたかったのだが、獣医さんから言われていた、ちょっとした体勢の変化で血圧が変わり亡くなってもおかしくないというお話が不安で、あまり動かしたくなかったのだった。このとき、元の姿勢では左歯茎のしこりがけいれん時に擦れていたことが分かった。ユキの下に敷いていた吸水シートに少し血が付いていたのだ。ごめんねユキ、と思った。
 姉がAさんに教わったユキの腕(脇)のリンパへのマッサージを試みるが、違うんだよね、という顔をしていた。
 母の友人Cさんにも、ユキが危ないのでもし可能であれば顔を見てやってもらえないかというメールをしてもらった。Cさんにもとてもよくかわいがってもらっており、また、愛犬のガン闘病経験者として、気に掛けて頂いていた部分もあるからだ。この翌日には用事でみえることになっていたのだが、この日の段階で、ユキが翌日までもつかはかなり不安だった。そのため、ワガママを言わせてもらった。
 11:15。私に少し用事があったので短時間家を出て、戻ってきたが、ユキが帰宅者に反応しない…。声を掛けても反応がない。前足は少しパタッと動いた。少し前かららしい。夢を見ているのだろうか。あんなに好きだった回覧板を一緒に置きに行くかと訊いても反応しない。でも散歩しながら置きに行く夢でも見ているのかな、そうだったらいいなと思った。少しして、前足、走っているかのようにとてもよく動いている。とても走っている。先ほど回覧板置きに行く?と訊いたからだろうか。それとも、Aさんのお庭へと駆けて行っているところだろうか。お庭、持ってきてもらったものね。ユキは病状が急変する少し前からなかなか歩けなくなっていたけれども、私はこのときユキが、自身の元気に歩き回っていたときの夢を見てくれていたらいいなと思った。ユキの足がよく動いていて嬉しかった。ユキはいまきっと楽しいはずだ、と思った。脳細胞がけいれんにより死滅して行っているはずだけれども、もし、つらいとか大変というものが減って、楽しいほうにぽわっとしあわせな心地になってくれていたら、と願った。不謹慎かもしれないが、それが素直な気持ちだ。もちろん、私たち家族のことがわからなくなるのではないかという不安もあったけれども。
 私は、ユキが歩けなくなり始めたころ、何度か、イアル野は救いにならない、と思って嘆いていた。イアル野とは古代エジプトの死後の楽園で、そこでは食物などには困らず、そしてなにより、古代エジプトの死生観では、ファラオ像などに見られるが、死後の世界での姿は生前のもっとも隆盛を誇っていたころのものだという。古代エジプトの王、ファラオの壁画がたいていの場合若く元気な姿で描かれるのはそのためだ。少し気持ちが沈んだときに、何度か思った。ユキも、もし亡くなったら、いちばん元気よく動き回れていたころの姿で、それでも思い出だけは全部持っていてくれて、楽園を自在に駆け回るのだろうか、と。それは私にとって、目の前にいる現在のユキがそういった自由に動き回れる姿ではないという事実をがつんと痛感させる皮肉でしかなかった。私は悲観した。死後の世界は、救いにはならない。そう思った。けれどもどうだろうか、この、最期のときには、私は自然と、ユキがきっと夢の中で自在に走り回っていると、そう思って心からとても嬉しくなっていたのだ。それが救いだと思った。楽園への夢想は、救いに、なるのだ。亡くなる前ですら。
 12:00ごろ、ユキ用に買ったお肉の残りをしゃぶしゃぶしていたときにユキが顔を動かしたので、外出る?と声を掛けたところじたばたした。ハウスから出し支えて体勢を整えてあげるとトイレトレーでおしっこをした。おなかの皮膚に黄疸が見えた。ハウスに戻す。このとき、食事を食べられそうか様子を見るが、舌が、つついても全然反応をせず、口を手で開けると舌も少し動くがだらんと垂れてしまう。水で濡らした指で湿らせてみても反応しない。けいれんによる脳細胞の死滅で、麻痺が生じているのだろうか。水も食事も、このときはあげることを断念した。ここのところ水を飲むときに舌をだらっと垂らし気味で、口のわきから水がこぼれていたのだが、少し前から既に舌を動かしにくくなっていたのだろうか…。
 13:40、ユキの手がすごく冷たい。おなかもひんやりしている。体温はふつう。
 14:18、ユキの口がむにゃむにゃしたので、水を飲むか声を掛けたら、じたばたした。伏せの体勢に起こしてあげると自分で首を保持して少し飲み、それから無理!という様子でバタンと元に戻ったので首を支えてお手伝いすると続きを飲んだ。そのあと、伏せの姿勢でいられる。
 16:00ごろ、Cさんが来てくださったのがわかり表情活き活き。自分で顔を首ごと動かす! 顔側の戸を開けてもらうと嬉しそうに自分で顔を左右に動かし、話しているひとを目で追いながら話をよく聞いている。見るからに、様子が活き活きとし活力に満ちている。撫でてもらう。よく動き反応する。耳もよく動いている。
 16:30、Cさん滞在中にAさんが再びみえて、ユキ、非常に嬉しそう。Aさん、昼に訪問してくださったあとに帰宅後旦那さんにユキが朝と比べて元気になっていたことを伝えてくださったそうで、旦那さんもよかった~と言ってくださっていたとのことで嬉しい。ユキの手があたたかくなっている。二人がお帰りになるころ姉が帰宅。ユキは張り切り疲れたのか、また横になって反応薄めだった…。最期の一週間のなかでこのときが最も活き活きと活力に満ち表情も輝いていた瞬間だったので、姉にもその姿を見てほしかった。Cさんは翌日もみえる予定だったので、そのときに再び同じ姿が見られると思ったのだが、そのときにはもう体力がこの日よりも落ちていた。
 19:00ごろ、ハウスの湿度がまた70%近くに(昼間は60以下だった)。CさんAさん訪問時の顔の輝きが失われ、また少し疲れた様子に戻って横になっている。
 往診の獣医さんがみえ、皮下点滴の仕方を実際にやりながら教えてくださる。このとき、酸素ハウスのすぐ上にちょうど、コーギーの月めくりカレンダー(コーギー川柳・辰巳出版様)を掛けているフックがあったのでそのフックを点滴掛けに使うことになった。コーギー川柳は例年購入しており、今までずっと週めくりで写真の枚数が多い卓上タイプだったのが、この年初めて、たまたま月めくりタイプを購入したので、本当にたまたまそこにフックを設けてあったのだった。なにがどういう巡り合わせになるかわからないものだと思った。また、ユキの体調が急変する直前、夏の終わりに水道をリフォームしたばかりで、それまでひねるタイプの蛇口だったのがレバーになったばかりだった。これが最期のユキの世話をするときに非常に役立った。あらゆることがユキのために巡り合っていたと、思った。
 点滴はこのとき夜だったが、朝には吸収されているので時間を気にせずに一日一回してOKとのこと。二回までは増やせるとのこと。
 点滴をしてもらったほか、注射もしてくださった。いろいろと質問をする。ハウス内の除湿剤については、必要だと思うのでOKとのこと。保冷剤を入れるのも有効とのことだった。体勢はなるべく伏せの状態がよく、横向きの場合は肺の片方にだけ負担が掛かるため、可能であれば伏せの時間を長く作れるようにするとよいとのこと。これを聞いて、横倒しのときの体勢転換はもう少し頻繁にすることにした。シリンジ(注射器の針がない状態のボディ部分)で液体などをあげることについては、口を少し湿らせてみて嚥下できそうな反応があったらあげてもよいが、無理なときは誤嚥のリスクがあるためやめたほうがよいとのこと。また、このときユキの足には静脈点滴用の針が9日からずっと固定されたままだったのだが、けいれんなどでもし通院する場合すぐ点滴に使用できるので、数日はそのまま保持して大丈夫とのことだった。
 日中Aさんとお話していて、ユキが食事は摂れないが水分は飲む状態が続いているので、水ではなく電解質の入ったスポーツドリンクなどをあげるほうがよいのではないか、と言われ、ミネラルバランスの崩れやエネルギー不足は私たちも危惧していたので、獣医さんに、あげても大丈夫か訊いた。ベビー用や動物用のものであれば薄いのであげても大丈夫で、吸収が速いのでよいとのことだった。これはあげることにして、獣医さんの帰宅後すぐ買いに行った。
 電解質水をシリンジであげても大丈夫とのことで、その場合もできれば伏せの状態が理想だそう。獣医さんが少し試してみてくださるが、歯の隙間から口に垂らしても嚥下反応がなく、このときはあげないほうがよいとの判断。ただ、一般に口が乾くことが多いので、湿らせる程度に口に含ませてあげるのは大丈夫とのことだった。以降、まめに口を湿らせるよう留意した。
 点滴にはカロリーは入っていないため、なるべく口からエネルギーのあるものを摂れるよう、ユキが大丈夫そうであれば試してみてほしいが無理はしないようにとのことだったため、以後、豆乳なども少し試したが、結局カロリーの少しある電解質水のみがエネルギー摂取源となった。往診の時点で獣医さんが、脂肪と筋肉からのエネルギーでどれだけもつかが頼み、といったことを言っていた。
 獣医さんはユキの主治医で、ガンになる前から、長くユキを診てくださっていた。顔のところの扉から、ユキをいいこいいこしてくださり、慈しむその様子に、ほろりと来た。これが結果として主治医さんにとってはユキとの最後の対面になったのだが(可能であればもう一度会えればよかったと少し心残りだ)、このとき先生なりにさいごになるかもしれないという覚悟で挨拶をしていってくれたのかな、と思っている。先生は、訪問時にユキの様子を見てすぐ、これは通院は負担が大きくて厳しいですね、という評価をされていたので。
 獣医さんが去る。程なくして、ユキ、顔を上げて身じろぎをする。水のお皿を浅めにして(これはAさんが私たちがユキに水をあげている様子を見て、今までのお皿の深さでは飲みにくいのではないか、浅くしたほうがいいのでは、とアドバイスしてくださったからだ)、あげてみるとよく飲んだ。だが、パウチフードのスープ部分を飲まないか差し出してみたが、それには口を付けなかった。指に付けて差し出したとき初めひと舐めだけ舐めたが、そのあとは興味を示さなかった。姉が電解質水を買いに行く。
 21:00ごろ、おしっこをさせようとしたらベビー用の電解質水をよく飲んだ! カロリーを少しでも摂れてよかった。私はまた早めに就寝し、夜中の途中まで付き添いを家族に任せる。
 23:30、ユキが目覚めて顔を上げる。電解質水と水とを自分でお皿から飲んだ。
 11日、1:00。軟便を清拭(気付き次第適宜行なっている。下にトイレシートを敷いて空の洗剤ケースに水を入れたものでぴゅーーっとウォシュレットのように掛けて洗う)。呼吸は落ち着いている。ハウスの室温24℃なので、獣医さんの帰宅後から入れていた大きな保冷剤(たぷたぷに溶けていた)をハウスから取り除く。
 私が付き添いを変わり、2:50。ユキが顔を上げたので電解質水をあげたところ、どんどんおかわりして、100cc前後を飲んでくれた。自分で前足を立てて顔を起こすことができ、支えるときにもユキの手に力が入っているのがわかる! 一回、自分で伏せもできた。やはりカロリーが少しでも摂れると違うのだろうか。エネルギーが入っていることがわかるのか、ほんのり果汁がおいしいのか、わからないが、食いつきがとてもいい。
 3:30ごろ、呼吸が穏やかになった気がして、常夜灯のみの暗がり(ユキが落ち着いて休めるように明かりは落としていた)では胸や腹の動きが目視できず、呼吸しているのか不安になって思わずおなかをさわってしまった。落ち着いているし、元気そうな顔でよかった。
 4:04、ガタッゴトッと音がしたので電気を急いで点けたが、寝る姿勢を変えただけのようだった。けいれん時のような泡を吹いた痕跡もなく、安心した。
 4:14、湿度80%だがハウス内に手を入れても不快感がないのでひとまずそのままで様子を見る。
 4:37、穏やかに寝ていたのがまたゴトゴトする。即座に電気を点けると震えていた。けいれんの座薬を使用。座薬を入れて指でふたをしている間、ユキはこちらを振り向き、意識がしっかりとあった。けいれんの時間は短かったが、このあとにまたすぐ発作が起きることを警戒したため予防で座薬を使用。先のガタゴトと群発性の発作か、ともとっさに思ったのだが、先のときはスウスウと穏やかな寝息が聞こえていて、このときは呼吸が荒くなって後発作の状態になっていたので、先のは発作ではなかったように思う。ユキが水を飲みたそうに顔を上げるのでまた電解質水をあげると75ccほどぐびぐび勢いよく飲んだ(舌の出しかたこそ小出し気味だが)。顎や頬の骨を支えて、伏せになるべく近い状態にしてやると飲みやすそう。みるみる元気になっていく気がする。
 軟便が増えていて、エネルギーの入ったものを摂って老廃物が増えたのかな、とこのときは思っていた。清拭。少し座薬が溶けきっていない状態で出てきてしまったので念のため入れ直したが、また出てきてしまった。押し出すように徐々に流れ出るようにペースト状の軟便が出てくる。尻を洗って、これまでの清拭で赤く腫れてきてしまっている肛門に保湿・修復になればとシアバターを塗ってみた。以後、これが少しは腫れのセーブになっていたと思うのだが、塗りすぎると座薬が滑って回転してしまい入らないので加減が大事である。
 6:30ごろ、湿度は65%になっていた。7:00、湿度が安定している。
 7:00すぎ、ユキの目が起きていたので、おしっこをさせようとハウスから出す。このころには姉も起きていた。軟便。尻周りの毛にも色素がついてしまっていたので、浴室に連れていき少しシャンプーで洗う。ハウスから出してケアするときは、時間が掛かる場合は酸素のチューブを鼻先にあてがうようにしていたので、このときも何とか機械とチューブとを限界まで伸ばして酸素を吸わせながら洗った(普段の清拭はハウスの近くで行なっている)。家が狭いので届いてよかった…。短時間ならば大丈夫とはいえ、なるべく酸素を常に吸っている状態にしてあげたいので。
 シアバターを尻に塗ることについて姉に事後承諾を得たが、よいと思うとのことだった。専門的な判断ではないが。
 7:15、電解質水に加えて、豆乳も少し飲んだ!! よかった! 前々から(固形物を摂らなくなってからすぐだと思う)豆乳をあげてみてはどうかとは提案していたのだが、このとき初めて、ようやく試したのだった。もっと早くあげていればよかっただろうかと、幾つ目ともしれない後悔をする。それとも、点滴と電解質水とである程度調子が上がってきた今だからこそ飲めたのだろうか。わからない。ただ、電解質水のほうが食いつきがよく、注ぎ足しているそばからぐびぐび飲むほど。ワイルドだ。ユキは水の飲みかたがワイルドだと言われたことがあるが(ひと月ほど前にBさんのお宅にお邪魔した際にも水をたくさん頂いてワイルドの形容を頂戴していた)、ユキらしさここに極まれり、というそのさま。
 伏せの体勢でいられたので、7:30点滴。皮下に一度コブ状に溜めたものを吸収させるので、コブができる。初めてやるので、なるほどこうなるのか、と思った。糖類の入った電解質水をあげているので、口がべたべたと気持ち悪くならないよう、適宜水もあげて口をすすいでいるが、このときは歯磨きもした。右の後ろ足が少しバタついた!
 7:45、湿度は72%まで落ちている。
 8:00前、姉に豆乳を何種類か買いに行ってもらおうとする。いちばんユキの食いつきがいいものを探したかった。出ようとしたときにちょうどAさんがまたお見舞いに来てくださったので、また少し姉と一緒にお話させて頂く。ユキ、大喜び。戸を閉じていると私たちの声にはなかなか反応しにくいのだが、Aさんの声にはよく反応をする。発声の仕方が違い、声がよく通るのだ。ユキがリラックスできるように入れてあげてと、ラベンダーを摘んで持ってきてくださった。ユキの鼻先に差し出してみると香りをよく嗅ぐ! これは根元に濡らしたティッシュをあてがって食品用ラップで巻き、ハウスの中、ユキの顔の近くに入れておくことにした。Aさんからマッサージもして頂き、ユキは気持ちよさそうに目を見開く。目が活き活きとしている。この前日の昼間にAさんがみえたときも、朝と比べてユキの目に、窓の明かりだけでない、自らの放つキラキラが出たと言っていただけたのだが、やはりAさんが会いに来てくださると目の輝きが違う。耳を撫でてもらい、もっともっとと甘えていた。首もよく動き安心させてくれる。


(※ここから先の手書きメモは打ち込んでいない部分が多く、今日は中略&簡略化します。テキストでとってあったメモのみ載せますが、これを補う手書きのメモがあります)

2017/10/12 10:36 ここで冒頭の序文へ。
この前夜、ほんとうに本当にいつ亡くなってもおかしくない宣告を改めて受けています。

以下、当時のテキストデータを羅列

2017/10/12 13:06
今にも息を引き取りそうでもう休んでいいよと声をかけながらなでると弱まった拍動やおなかのうごきも復活する。本人が、みんなといっしょにいたいとおもってがんばってくれている。
今朝はこういうときだからこそいつも通りを、とコーヒー豆をふつうに挽いてドリップした。いつも通りの生活はこれまでずっと心がけてきたことで、ユキも望んでおり、今なお取り戻そうと、保とうとしていること。

2017/10/12 13:51
昨夜病院では、まだほんの正味二日だなんてとても信じられないくらい長い時間を過ごしたと思ったが、それだけ濃い、体感時間として長いときを一緒に過ごせてよかった

2017/10/13 07:07
夜はひとを不安にさせるのだろう。諦めかけていても、またユキと朝を迎えることができた。ユキ自身がいきいきと落ち着いた表情で、交代で番をしていっとき眠っていた家族が起きてきて揃うと、なおさらにうれしそうな顔になる。いつもの家がこの子は大好きなのだ。

2017/10/13 07:18
それでもやはり、胸は不安に駆られるのだろう。カフェインを、嗜好飲料を普段は一杯しか飲まないところ、どうしても二種類、二杯ほしくなってしまう。
昨日はユキに付き添いながらユキの絵を描いてみた。以前からAさんにもユキの絵を描いてあげてみてと言われていたのだがどうしても手癖で描いてしまい挫折していた。ここの毛はこんな色のうごきをしていたのだなと、そんなことと改めて向き合って過ごす時間はとても穏やかで楽しく、心を和ませてくれた。なるべく活き活きと瞳を描きたい、濃縮酸素のエアーで乾くこともあるけれど負けずに自分の水分で湿っている鼻先のつやを出したい、と、この子の今がんばっている姿をどうしたらかたちにできるか、そんな姿勢が、気持ちが、自然とわいてきた。あともっふり感は最大限に出したい

2017/10/13 08:28
昨日の夕から夜はもうほんとに下血の量にボロボロ泣いてしまって、これだけつらくて痛くてしんどいはずなのに何故この子はこんなにもがんばって私たちといたいと強く思ってくれているのだろう、もうゆっくり休んでほしいと、そんなことを思った。一緒にいたいという私たちのわがままにこれだけの治療期間つきあってきてくれたのだから、もうがんばらなくていいんだよと。でも、本人の、心臓はしっかり動いている。ゆっくりになってきたときに、声を掛けると拍動が復活する。目がしっかりと私たちをみる。そこでようやく私は思った。もしかして、この子自身が私たちといたいと強く願ってくれているからこそ、このこはどれだけつらくてもがんばっているのだろうか、と。もしそうならば、みているのがつらいという理由で私のほうが先に諦めてしまうことこそわがままだ。このこががんばるつもりならとことん付き添わせてもらおうと、そんな腹を今一度くくった。


(14日になってすぐの夜中にユキ他界。まさしく眠るような最期でした。)

2017/10/16 06:21
起床。枕からすぐ目に入るところにいるユキの写真に薄暗がりで見えないけれども笑顔でおはようと声を掛けながら、晴れやかな気持ちで起きられた。一階でユキちゃんが待ってるから起きなきゃと、自然とそういう気持ちですっきり起き出せた。でもちょっと泣きたい。一階に下りてユキに満面の笑顔であいさつ。ユキにあいさつするときはいつもこうなってしまうのだ。お水のお皿をパセリ柄にしてあげるかちょっとなやむけどラディッシュのままで。洗って新鮮なお水をくんであげる、いつも通りの朝。Aさん宅へのご挨拶に行けたらみんなで散歩がてら行こう、と姉が昨日提案してくれて、夕方はとても無理だと思って夜はいややっぱりがんばろうというかんじだったのだが今はもっと自然にパワーが湧いてくる。がんばれそう。とりあえずおふろに入ります。ユキとふれあったからだでひとばんねむらせてもらったよ、クタクタだったし。

2017/10/16 06:28
姉がまだ居間で寝ているので(さっきおはように反応は返してくれた)電気をつけられず、ひとつづきのダイニングの入り口で玄関からの採光でくもりのなかなんとか打ってた。居間に置こうと戻ってごめんねユキ離れてぽちぽちしてて~~と声を掛けたときについ、昨日まで肉体の寝ていたあたまのところをいいこいいこしてしまう。それからお骨と遺影と。まだここにからだがあるようだ。今度こそ戻ります、ごめんユキ。でもあさごはんにしたらシャワーあびるよ。

2017/10/16 06:36
一瞬自室へ。いつもユキとちょっと離れていて再会するときとまったく同じにユ~~キ~~~~!!!ユキがおへやにもいてくれてうれしいよ~~!!!!とお写真をわしゃわしゃ。

2017/10/16 06:45
ひとつづきのダイニングを出るときはごめんねユキっ、一瞬だけ二階行くよ!といつも通り思うのだが、二階への階段のぼるとき、とてもワクワクすることに気づいた。二階にもユキがいるからだ。ワ~~~~、ユキが待ってる!!と小走り。やっぱり行き帰り二階と一階のユキそれぞれにわしゃわしゃしちゃうね、肉体があったところにもまだ。

2017/10/16 07:03
昨日夕飯の時に思ったんだけどやっぱ遺影みるとかなしいとかじゃなくてユキかわいいな……がいちばんにでてきて。隣のお骨をみるとちょっとかなしくせつなくなるけど、やっぱりユキはかわいい。これはみんなおなじみたい。

2017/10/16 07:19
ユキの遺影みるとほんっと笑顔になっちゃって、めちゃくちゃずっと笑顔。このみなぎるパワーすごい。いい写真。がんばろう、って自然に思える。
ユキなくなったとき自然と、これから(人生を)歩いて行かなきゃ、って思えたんだよね自然と。きのうちょっとしおしおしたけど、やっぱがんばろう。

2017/10/16 07:59
浅間大社のお守りにずっと守ってもらったからこそ二年もがんばれたと思うから、明日病院に伺う帰りにみんなでお礼参りに行けないか相談してみたい。

2017/10/16 08:22
遺品帳用の写真すった 自分のベストショット 40%だとちょっとちいさいか…つぎかえるときに調整しよう
お水のお皿やっぱイタパセ(イタリアンパセリ)にした まよけ!
ユキにいっぱい声かけてるとじぶんがやさしいきもちになれている錯覚 ほんと、これをいっぱい、そとにむけるんだ 住職さんもそうおっしゃってた

2017/10/16 09:40
水曜にもう本当に亡くなりそうと病院で告げられた際、病院内でこのお守りにお願いしてて、結果、土曜まで保ってくれたんだよな
土日のあいだに五組六人ものかたがたに弔問にきていただけてほんとうにありがたい
昔近所のわんこさんの弔問にうかがったときのこと思い出すなぁ

2017/10/16 10:27
Aさんにプチトマトをみんなでいただいた ユキのぶんも自然とカウントして用意してくださるのがうれしい
あさいちでAさんから借りている楽器をつま弾いてみる
なんかしんみりしちゃうなぁわたしのおとだと はやめにきりあげ
姉の音色はちからづよい
今日の私めっちゃいい顔つきだと思う 写真撮りたいくらい

2017/10/16 17:22
 家族みんな(自分も)ここ二、三日で急にぼうっとしているので心配
思えばユキが下痢したの五日で、いちばんさいごにふつうに近かったのって私の誕生日なんだよねぇ…ユキは誕生日を気にするドッグなんだなぁ(※逝去もほかの家族の誕生日を待ったように日付変わってすぐでした)

2017/10/17 15:08
病院へお礼と支払い・点滴用につけたままだった針などの返却に伺った。併せて浅間大社へのお礼参り(おさいせんは、やすらかにの82とありがとうの10を家族で分担)。ほかちょっとお買い物とお昼。たのしかった。
(※ここからちょっと現時点で公開していいのか微妙なメモなので簡略化。)
主治医の先生にひとことごあいさつできればラッキーぐらいのつもりでいて、後日お手紙を書かせていただくつもりだった(迷惑かな)ので、直接お礼を、伝えられてよかった。
ユキはほんとうにスタッフさんがすきだった、というのを実感した。
先生、最後充分な治療をしてあげられなくて申し訳なかったととても言って下さったけれども、先生に体位交換やむくみケアのことをお聞きしてユキの生活の質をなるべく保ちもともとのユキにちかい姿で送ってやることができてほんとうにうれしかった旨を目いっぱい伝えた。

2017/10/17 16:01
ちょっと前にAさんが見えて、ユキの写真をみながら描いて下さった絵の原本をくださった。コピーがほしいとのことだったので二階ですぐさせて頂いた。私の絵もコピーがほしいとのことなのでユキ部分のみだがお渡しさせていただいた。
Aさんの絵、クリアポケットに入れて、ユキのすぐ上、コーギー川柳のカレンダーに連結させて吊させていただいた。

2017/10/20 08:41
療法食を募集されている保護活動家さんに未開封のフードと缶、高栄養のドリンクを送ることに。隙間を同じく募集されているもので埋める。

ユキの遺影に話しかけることを最初からめっちゃしてたので2、3日前からもうその“遺影に”話しかけるということに慣れつつあることにびっくりする。でもやっぱユキがいないのはさびしくて、でもユキの姿がほんとに居間に見えるんだよね。あっ今姉の枕奪った、みたいな。

(※データに打ち込んであるのは以上です。その後、メモを整理したのが2018年1月半ばです。手書きメモが結構子細で入力するガッツがなく今に至りますが、この状態でひとまず公開させて頂きます)

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