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死ぬときの感覚

「今際の際で見てきたこと」という記事を書いてから時間が経って、さらにあの体験を噛み砕いて消化できた気がするので、前回書ききれなかったことも含めて書いてみようと思う。

人は自分の死期が近づくとわかる、ということは度々耳にする。

映画やドラマで瀕死の人が「俺はもうダメだ」と言うシーンは何度も観たことがある。

実際、私の父も昏睡状態に入ってから一度だけ、私が横にいる時に少し意識を取り戻したことがあり

「もうだめだ。(母)を頼むな。さよなら」

と、振り絞るように言い、また別の世界に引き戻されるように昏睡状態へ戻ってしまったことがある。そして数日後に他界した。

私たちは肉体的に苦しい時「死にそうだ」と口にする。きっとあなたも言ったことはあるはずだ。

私が息子を産んだ時は、後にその助産院で「伝説の難産」と呼ばれる4日間に及ぶ出産劇だった。

陣痛が始まり助産院で2日唸った後、破水していたため提携先の病院へ搬送され、そこからさらに2日かかり最終的に帝王切開での出産となったのである。

私も息子も周りの家族も、本当によく頑張ったと思う。

ただ、その苦しい最中、自分が死ぬ気はしなかったのだ。

それまでの人生の中で圧倒的に一番の苦しさだったことは間違いないのだが、今回コロナで今際の際に行ってみて思ったのは、あの難産は死にかけてすらいなかったんだな、ということだった。

死の概念とは「肉体的苦痛が極まった先にあるもの」だと思っていた。

今までの人生で一番苦しいから、皆「もうダメだ」と言うのだろうと。

ところが苦しさとは違うチャンネルで「わかる」のだと今回私は知ったのである。

その感覚は、どこかデジタルとアナログが混ざったような感覚で、人類が太古から太陽を崇拝してきたことも腑に落ちたし、逆に脳がスーパーコンピューターだと言われていることも深く理解できるものだった。

私が体験した死の感覚は、前回の記事にも書いたけど「これ以上肉体を肉体の形に維持できない」というものだったのだが、もっと詳しく書くならば

肉体が、実はトッポギ(韓国料理の棒状の餅)みたいなパーツを寄せ集めて形成されていて、生命活動が行われている間は繋ぎ目もなくひとかたまりの「人間」として在れるのだが、

死の感覚とは「人間」からまたトッポギみたいなパーツの寄せ集めに戻ってバラバラになってしまうようなものだった。

だからある意味、苦しくはなかったのだ。

そして、室内にいるにも関わらず頭上には大いなる光が見えた。

柔らかい黄色の光は、私を優しく包んでくれていたし懐かしさも覚えた。

パーツの集まりとなってバラバラになっていく「私だったもの」が、その光に吸い上げられて天に昇っていきそうになったのだ。

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「連れて行かれる」「お迎えが来た」そんな表現も聞き慣れているものだけど、本当にそんな感じだったのである。

懐かしい世界の木漏れ日のような光に包まれて、ああどうしよう、旅立ってしまう...

というところで夫に治療してもらい現世に留まることができたのだが、普段から他界された方や守護霊の通訳をやっている私の仕事を考えると、社会科見学のようなものだったのかもしれない、と今なら思う。

つまり何が言いたいのかというと、

「肉体がパーツの集まりみたいにバラバラになる感覚」がしなければ、どれだけ苦しくても死ぬことはない。ということだ。

そして肉体から抜けて迷子になることも、あの光の吸引力ならほとんどないのではないかとも思う。

三途の川が出てくる話は、すべて臨死体験を経て現世に戻ってこれた人が言っている話だから、死のコースとはちょっと違う、また別なオプションコースなのかもしれない。


ところで、私が旅立ちそうな瀬戸際で思ったのは、廊下のシミのことだった。

それはおそらく家族の誰かが垂らしたお茶か何かの水分が乾き、その上に少し汚れが乗っているようなもので、雑巾で拭けば簡単に落ちる汚れなのだが、コロナで発熱したりでそれどころじゃなくて放置していたものだった。

何度も通る場所にあって視界に入るものだったからか、あの小さな汚れを落とさずに旅立つのはものすごく悔やまれることだったのだ。

だから回復してからは本当に掃除が楽しくて仕方ないし、もしもの時に「あのこびりついた汚れを落としておけばよかった」なんて思わないで済むように生きることは新しい指針のように感じる。

だけどもしかしたら、そんな自分の至らない部分への「悔い」が、この世に繋ぎ止めてくれたのかもしれない、とも思うのだ。

きれいに掃除しておくべきか、やり残しを作っておくべきか...少々迷うところである。


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