見出し画像

「竹取物語」は預言の書なのか?


「どうして命が惜しかろう。かぐや姫がいなくなって、だれのために、生き長らえよう。何事も無用である。」と言って薬も飲まず、そのまま起き上がりもせず、病床に伏した。とある。翁たちは「何せんか命惜しからん。誰が為にか。何事も用なし。」とて、薬は食はず。やがて、起き上がらず病み臥せり。 一方、不死の薬の壺に かぐや姫のお手紙を添えて、中将は宮中に帰参し、お渡しする。帝は、大臣や上達部を呼び寄せ、「どの山が天に一番近いか」と尋ねる。
ある人は「駿河の国にあるという山が、この帝にも近く天にも近いうございます。」と言うと「逢う事も涙に浮かぶ我が身には死なぬ薬も何かはせん」かぐや姫に逢うこともないのに、わが身も浮かぶほども悲しみの涙を流している わたしにとって不死の薬など なんの役にも立たない。と言って歌を添え、さらに壺も一緒に御使いの者に渡した。
 「時間があるから生きるのではなく、愛するために生きるんだ。」と受け取らなかった。帝は 駿河の国にあるという 富士の山の頂上に持って行くように言った。月のいわさかという人を勅使として、兵士たちを大勢引き連れて山に登り、その山を「ふしの山」と名付けました。
そこで「不死の薬」を焼き捨てました。
竹取の翁たちにも帝にも大変愛されたかぐや姫です。
 一方「不死の薬」が日本にあると中国の皇帝は大勢の特使を日本へ派遣してきた歴史があります。
中国から日本に伝わった茶は当初薬として用いられました。
日本緑茶の祖、永谷宗円は、15年、研究開発し
創意工夫の新製法であみ出した製薬煎茶を江戸へ持ち込みました。
「竹取物語」の影響なのか
宇治から江戸への道すがら、富士山に登り 頂上まで達すると新製煎茶を
富士山の山神に献じ、「この茶を天下に広めさせたまえ」と祈りました。
そして日本橋の茶商 山本屋を訪れ、当主の山本嘉兵衛の目に留まり
「天下一」と名付け販売すると、爆発的な人気を呼びました。
「上から読んでも山本山、下から読んでも山本山」という広告で知られる
山本屋は旧名です。
 しかし「竹取物語」はけして、かぐや姫伝説のものではなかった。
物語の親である「竹取物語」は「今は昔、竹取の翁と言うもの有りけり。
野山にまじりて竹を取りつつ、万の事に使いけり。」とあるように、物語
の冒頭に「竹を取って、よろずのコトに使いなさい。」というメッセージが
込められているように思えます。
 光る竹筒から現れた小さな女の子は、竹のように3ヶ月で 筍がぐぐん
伸びて成長していくように、かぐや姫も成人の女性の背丈になった。
かぐや姫はわがままで、いつも難題を出して求婚者たちを困らせた。
というより難しい問題をつくり出しているのは、わたしたち現代人
「現代文明」の方がだという捉え方もできます。現代はプラスチック文明です。プラスチックは地球の異物であり、「地球はプラスチックを扱いきれない」状態にあり、「世界の海はプラスチックのごみだらけ」の状況という大変な問題をつくっています。「今は昔」から始まる、かぐや姫が出した問題が難しすぎる。と言っても、かぐや姫が無理難題をふっかけているというより、ややこしい難題を作っているのは、我々の方なのだ。「昔むかし」で始まる物語ではない。昔で完結する物語ではなく、「竹取物語」は予言の書ではないだろうか?
「竹取物語」は物語、つまり虚構の始まりとして重要な作品であると考えられてきた。源氏物語の絵巻物において「物語の出始めの親」であると評され日本におけるフィクションの始まりだと認識されてきました。
5人の貴公子の中に 大伴がいる。大伴氏といえば、代々武をもって朝廷に
近侍する豪族、それも名門である。その他、阿倍御主人 石上麻呂と三者
の実名を出しリアリティを醸し出している。
読者は、現実世界と虚像の世界を往ったり来たりする。
「竹取物語」は、「物語の出で来はじめの祖」として、レインボー
ブリッジの役割を果たしています。

かぐや姫、石作りの皇子には「仏の石の鉢という物があり。
それを取りて給へ」といふ。車持ちの皇子には、「東の海には蓬莱という山あるなり。それに銀を根とし、金を茎とし、白き玉を実として立てる木あり。それ一重おりて給はらん。」といふ。いま一人は「唐土にある火鼠の皮袋を給へ。」大友の大納言には、「竜の顎に五色に光る玉あり。それを取りて給へ。」といふ。翁「かたとき事どもにこそあめれ。この国に有る物にもあらず。かくかたきことをばいかに申さむ」といふ。かぐや姫「何か難からん」といへば、翁「とまれかくまれ申さむ」とて、出でて「かくなむ。聞くゆるやうに見給へ」といえば、息子たち上達部聞きて、「おいからに、あたりよだに、なありきとやは宣の給はぬ」と言ひて、皆帰りぬ。
ひろげて見れば、海山の道に心をつくし果てないしの鉢のなみだ流れき
 かぐや姫 「光やある」と見るに蛍ばかりの光だになし。
置く露の光をだにぞ宿さまし をぐら山にて何もとめけん とて返し出す
鉢を門に捨てて この歌の返しをす。
 「天竺(インド)に一つしかない鉢を、どんなに遠く百十万里行っても手に入れることができようか。」と思いて、石作皇子は、「今日なん天竺へ石の鉢取りまかる」言って、三年ほどして、大和画(奈良県)十市の郡にある山寺の、すすけた真黒い鉢に、手紙を入れ送った。
 仏の石の鉢なら、露ほどの光だけでもあるでしょうに、
黒いばかりのこの石、小倉山で何を探したのでしょうと、
かぐや姫は返した。
 小倉山は、百人一首で有名です。
月の都から来たかぐや姫。月が私たちの生活を映し出す鏡
だとしたら
 世俗世界に属する5人の貴公子たちは
 いい加減な仕事をして誤魔化したが
 かぐや姫の前で 横着 詐欺が見破られている。 
「ちょっと行ってくるわ。」といいながら、実は行ってない。
 かぐや姫の出身地、帰属する「月の都」に各国が宇宙飛行士を出した。
アメリカに続いて中国も嫦娥5号の月面着陸を成功させたという。
「2001年宇宙の旅」の監督スタインリー・キューブリック
(1968年公開)は翌年1969年、アメリカの月面着陸シーンをも撮影している。その後も、子供だましのようなCGが宇宙空間の様子を映し出している。かぐや姫が貴公子たちのインチキを見破ったように、嘘がばれたら
彼らはメンツ丸潰れであろう。つい最近では日本の宇宙スタートアップ 
アイスペースは月着陸船との通信が途切れ、月面着陸に失敗した。
「宮仕えはできません」と断るかぐや姫に、狩にかこつけて強引に会いにいった帝は光り輝くかぐや姫を連れ帰ろうとすると、パッと消えて影になってしまう。ここでも月の性質を表現しているのではないだろうか。
 かぐや姫は月の世界で罪を犯したので、しばらく地上に降ろされることに
なった。聖書の「我々はみな罪人である」地上での短い人生。
雲に乗った人々が、かぐや姫を迎えに来る。終わりの日には
キリストが雲に乗ってくる。という話とよく似ている。
 かぐや姫の十五夜の「昇天」は、キリスト教によく出てくる
言葉である。かぐや姫は天人が羽衣を着せようとすると
「もうすこしお待ちください」と言って、
不老不死の薬の壺を置き、帝に手紙を出した。
天人がいそいで羽衣を着せると、かぐや姫は空飛部車に
乗りました。(大日本図書) 現代も空飛ぶクルマが作られています。
竹取物語は日本最古のSF小説といわれますが、聖書も予言の書であり
SF小説みたいに聞こます。
天国は永遠で時間はない。老人はいないと言います。
復活の際 若い時の容姿に変わると言います。
太陽はなくなり、時間が消えると言われます。

 
 物語は古くからある芸術であって、近代的なツールによって
質を高めることができるという考え方があります。
ピカソが個人所有のフランスの洞窟
粘土製バイソン像で有名なピレネー山脈 マドレーヌ
文化のテック・ドッドゥベール洞窟であるを訪れ
 柔らかな光を天井にかざすと 石面を疾走している牛やトナカイ
 馬が露わになりました。
ピカソは古代の潮流が現代に押し寄せる「時間崩壊」に圧倒され、
「私たちは何ひとつ新しいものを発明していない。」
とつぶやきました。
  竹は古来から人々の暮らしの中に溶け込み、わたしたちはは
食卓にたけのこや、ザル、漁業に魚籠、釣り竿、建築資材に「竹小舞」など、竹をフルに活用してきた歴史があります。
 現在は安価で便利なプラスチックに比べて需要がないともいえるが
土に自然に帰る「竹」はタケで、さまざまな可能性を秘めています。

(参考文献)
       「竹取物語」全訳注 上坂 信男  講談社学術文庫



この記事が参加している募集

SDGsへの向き合い方

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?