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想像は外出を自粛しない。そんな想像を超えて、「体感」すらさせてくれる紀行文:『アラスカ 光と風』

本を愛してやまないからこそ、「おすすめの本は?」と聞かれると悩んでしまいます。

なんでもそうだろうけれど、goodかどうかよりも、大事なのはfitかどうか。「fitじゃないものは、果たしてgoodなのか」とすら思います。その人の性格、置かれている状況、いま求めるものによって、fitは変わってくる。だから、そういう色々を聞いてみないことには、「おすすめ」を答えることはなかなか難しいのです。

…...と、普段はそんなふうに頭でっかちに考えてしまいがちなのですが、ときどき、その人の性格とか状況とか、そんな面倒なあれこれは関係なく、多少強引にでも無条件に「読んでくれ!!」とすすめたくなってしまう本に出会うことがあります。

星野道夫著作集1 アラスカ 光と風 他』は、間違いなくそんな一冊でした。「問答無用、読んでくれ!!」な一冊です。


コロナ騒ぎで外出しづらくなり、家で何をしようか迷う人も多いだろうなか、これまで延べ700冊くらいのレビューを書いてきた読書体験がもしかしたら役に立つかもしれない。そう思い、僕にとって素晴らしい読書体験になった本を少しずつ紹介していこうと考えました(読んできた本を振り返って言葉にしたいという個人的な気持ちもあり)。

この本を最初に選んだ理由は、外出自粛をしながらでも、楽々とアラスカの大自然を旅し、長大な地球のリズムを感じられる本だと思ったからです。素晴らしい紀行文はどれも、現地でしか生まれないはずの五感を想像だけで立ち上げてくれます。そのなかでも特に、この本は途方もない気持ちにさせてくれ、何度も読み返している大切な一冊なのです。


アラスカの大自然に身を捧げた写真家・星野道夫さん(本書著者)の行動力は凄まじいです。

10代のときに神田の洋書店で、一冊のアラスカ写真集を見つけます。そこに載っていた一枚の空撮写真に写っていたのは、エスキモー[1]の小さな村「シシュマレフ」。

この写真に心奪われ、どうしても訪ねてみたいと思った星野青年は、村長に手紙を送ります。

仕事はなんでもしますので、どこかの家においてもらえないでしょうか。返事を待っています(p.11)

手紙が返ってきたのは、なんと半年後。それでもアラスカへの想いが途絶えていなかった星野青年は、「受け入れOK」と書かれたその手紙に導かれて念願のアラスカへと渡ります。当時18歳。

結局その後、星野さんはアラスカに居を構え、人生をこの地の探求に捧げることになるのです。


写真家の本でありながら、この全集には一切写真がありません。収録された各作品の元々の書籍には写真が載っていたそうですが、全集にはあえて収録されていません。

だからこそ、星野さんが文章家としても稀有な才能を持っていることに驚かされます。写真であろうと文章であろうと、アラスカの凄まじさをありありと伝えてしまう。それは「表現力」のすごさだけではなく、その手前にある、光景をとらえる「感性」の賜物なのではないかと感じます。

短文、短文のシンプルなリズムのなかで、星野さんは言葉を飾りません。ワクワクする予感に正直で、信じられないような行動力を持っている。危機感を、常に探究心が上回っている。文章は少年のような好奇心に満ちているから、ときどき旅の記録のなかにいる星野さんの年齢がわからなくなります。

かと思うと、突然プロのカメラマンの目線に移って、大自然や人間の本質を鋭く見抜いたりします。


そんな星野さんによって紡がれる言葉から浮かび上がるアラスカの大自然の迫力は、「読んでいる」のではなく「体感している」と言うにふさわしいとんでもなさです。

村人総勢で2時間かけて陸上に引き上げ、体を切り裂けば極寒の地に湯気が立ち上る鯨漁。
目の前で爆音を轟かせ、津波のように極北の海をうねらせる巨大氷河の崩壊。
体感温度マイナス100度の山中でカメラを構えて一ヶ月間待ち続け、闇夜のなかで恐怖を感じるほどの閃光を放つオーロラとの孤独な対峙。

凄まじい臨場感。人の力が一切敵わないようなダイナミックな世界が、いまこの瞬間も地球のどこかにあると思うと、自分がこの両目で見えている光景なんて砂つぶのように思えます。知っている世界はなんて狭いのだろう。常識どころか、理や法則すら違う世界があるんじゃないかと思わされます。


この本を読む前から、星野さんの最期のことは知っていました。だからこそ、ところどころに挟まれるグリズリー(熊)とのエピソードは、その後の星野さんの運命を暗示しているかのようで、映画のなかで現れる不気味な伏線を見ているようでした。

人間と熊が適切な距離(ナチュラル・ディスタンス)さえ保っていれば、無闇にライフルの引き金を引く必要はない。そんな信念から、星野さんは冒険のなかでほとんど銃を携行しなかったそうです。

最終的には銃で自分を守れるという気持ちが、自然の生活の中でいろいろなことを忘れさせていた。不安、恐れ、謙虚さ、そして自然に対する畏怖のようなものだ。(p.124)

けれど、まさにその熊によって最期を迎えることになるのです。享年43歳。

星野さんを襲った熊は、人間によって餌付けされ、人間との距離感を失っている個体だったそう。

あまりにも皮肉。同時に、不謹慎承知で言えば、ドラマティックであるとすら感じてしまいました。なんという人生を送ってきた方なんだろう。


この「ナチュラル・ディスタンス」をはじめ、人間の自然との向き合い方を考える上でも、この本はとても優れています。

第一に、日本での通常の暮らしのなかではまず知れない、長大な地球のリズムを感じさせてくれる点です。

以下、少し長いですが、僕が途方もない気持ちになった箇所を引用させてもらいます。グレイシャーベイという氷河の海をカヤックで旅する「氷の国へ」という章より。

三日後、旅の最後の目的地、ワチュセット湾にようやくはいった。湾といっても、細長く奥に深い入り江である。この三、四十年の間に急速に氷河が後退していった土地で、植物遷移(プラントサクセション)の過程をつぶさに見ることができる理想的な場所だった。つまり、氷河が後退したばかりの土地に、最初の植物である蘚類が現れ、長い時間と植物のサイクルを経ていつしか森に変わってゆく歴史を見ることができるのである。この湾の奥には、今もなお後退しつづけているプラトー氷河が隠れている。

(中略)

ハンノキが、いつしかチョウノスケソウにとって変わり、それもいつかトウヒの森に変わってゆく。つまりそれぞれの植物は、先駆者としての役割を果たし、次の植物のための土壌をつくってゆくわけだ。それには数百年という時間がかかるが、正確で狂いのない、大自然のプログラムなのだ。

(中略)

グレイシャーベイの旅はいよいよ終わりだ。バーレット湾が近づくにつれ、植相がすっかり変わってきた。ここでは、チョウノスケソウ、ハンノキの時代はすでに終わり、シトカトウヒの森が全盛である。しかし、この天空をつき刺すようなシトカトウヒの巨木も、みずからが落とす針葉によってその土地を最も棲息に不適当な酸性の土壌に変え、いつかは枯死する運命にある。そしていつの日か、植物遷移(プラントサクセション)のクライマックス、ツガの森にとってかわる。(p.90-92)

そして、またいつか地球が氷河期を迎えたときには、この長大なプログラムを一からスタートさせ直す......

静かなイメージを持っていた「森」という存在がこんなにも動的なものだと知り、驚きました。植物遷移の次のステージに進むために、自らの枯死を招く土壌変化を起こすシトカトウヒの話は、ナウシカの世界観すら感じさせます。このあまりにも大きなリズムのなかでは、人ひとりの人生は、星野さんが言うところの「泡沫のような人の一生」なのかもしれません。

この大自然のリズムが、その泡沫のような人間の介入によって崩されようとしているかもしれない。そのことに対する危惧が、野生動物管理学を学んでいた星野さんの視点から随所で綴られています。その点が、この本が自然との向き合い方を学ばせてくれる良書である第二のポイントです。

たとえば、現地人の重要な食糧であるムース(ヘラジカ)のポピュレーションを維持するために、ムースの外敵であるオオカミを小型機から撃ち殺すという、「間引き」プロジェクトへの懸念など。

他にも、紀行文とは一味違う、アラスカの油田開発と自然保護に関する調査レポートなども収録されています。主観的な旅の記録と、客観的な調査記録。これらが入り混じることで生まれる全体感は、全集ならではの味かもしれません。


家のなかにいることを忘れるほど没頭でき、これだけのスケールをありありと感じさせてくれる本はなかなかないと思います。想像は外出を自粛しません。

ただ、星野さんの強烈な「冒険に恋い焦がれる力」に触れると、もしかしたらこの自粛期間が余計に我慢できなくなってしまう懸念もあるかもしれません(笑)

そこはぜひ、一カ月半もの間、誰もいない大自然のなかに一人取り残されながらも、自身や自然との深い対話によって熟成していく星野さんの「豊かにこもる」姿を見習って、粘り強くじっくりと。この本は、そんな「一人の時間の豊かさ」を教えてくれる一冊でもあると思います。

凍結していた川も、いつかは動き出す。
この本で綴られるアラスカが教えてくれたことです。

全集で読むのは厳しいという場合は、『アラスカ 光と風』(福音館書店)だけでもぜひ。読後の教訓など必要なく、ただただアラスカの迫力に没頭できればいいと思います。

ただし、読むときはぜひ防寒を忘れずに。春のあたたかさが訪れているとはいえ、氷河の旅や24時間続くブリザードを耐え忍ぶなかで、極寒に襲われますので。

本と想像力を、あなどることなかれ。

[1] "エスキモー"は「生肉を食べる人」という蔑称であり、彼らの言葉で「人」を表す"イヌイット"と呼び直す動きもありますが、書籍のなかでは"エスキモー"で統一されていたのでそれに倣いました。


本の紹介記事は、こちらのマガジンにて更新していきます。これまで延べ約700冊の読書レビューを綴ってきたなかから、家ごもりの良きパートナーになってくれるであろう本を独断で紹介していきます。

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