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痛みに触れずに生きるよりも、痛みを伴ってでも深く関わる。

会社の期末は2月なので、今日は年度末(3月)以上に一区切りな感じがします。
明日からまた、新しい期が始まります。


今年に入ってから、自分の人生を出し惜しみなく全部使って向き合うべきことが降ってきています。
この2ヶ月は、それが自分の器の大きさをはみ出し、どうこの重さに耐えたらいいのかが見えず、もがくばかりでした。

3年前の3月は大きな転機で、長年の苦しみからようやく自分を取り戻していく旅路が本格的に始まったタイミングでした。
また区切りのタイミングがきたいま、向き合いたいものに対して逃げずにきちんと向き合い切れるように、一度余計なものを下ろして器をととのえたい。

そう思ったときにふと、「もう一度自分をオープンにしたい」という感覚が降ってきました。
1年半前に綴った記事ですが、「逃げも隠れもせんぞ」という意思表示も込めて、もう一度シェアさせてください。


この経験を「強さ」に変えなければと思っていたけれど、最近は少し変わりました。
あいかわらず弱いまま、傷つきやすいままでも、だからこそできる自分の役割があるんじゃないかと。

だからこそ、痛みも、苦しみも、葛藤も、もどかしさも、焦燥感も、無力感も、罪悪感も、なかったことになどせずに、必死にかき消そうとする対象にもせずに、全部、自分の大事な一部だと思って受け入れていきたい。
年始に「今年の一言」に決めた言葉をもう一度。

Better immersion and in pain than to live untouched.
Yet how will you sustain?
──Tillie Olsen

  痛みに触れずに生きるよりも、痛みを伴ってでも深く関わる。
  さあ、どうやって持ちこたえようか。

直訳ではなくアレンジしていますが、僕はそう捉えるようにしています。


降ってくる出来事は選べなくても、そこに対する応答はすべて自分の意志で選ぶ。
訪れる結果は選べなくても、それを受け入れて自分らしい態度を示す。

そういうresponsibility(責任)を引き受け、自分のresponse-ability(応答能力)を信じて、腹くくって生きる新年度に。

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