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"Passion"のふたつの意味。受難のさなかにあっても止められない情熱の物語。:『月と六ペンス』

"Passion"には、「情熱」とは別の意味がある。そのことを最初に知ったのは、あるクラシック音楽のタイトルからでした。

  マタイ受難曲 Matthäus-Passion

Passion──「情熱」と「受難」。このふたつの意味のリンクを考えると、不思議な納得感がありました。

その感覚がはっきりと腑に落ちたのは、『月と六ペンス』という物語を読み終えたときでした。"Passion"のふたつの意味を見事に表していて、その後何度も読み返すことになる、僕にとって手放すことのできない大切な小説です。友人にプレゼントした回数も、おそらく一番多い本です。

この受難の時代にあって、それでもなお情熱を失わずに奮闘している人。
現状が壊れることを恐れ、自身のなかにある情熱の予感に対して見て見ぬふりをしている人。

そんな人たちにとって大きな刺激になる一冊だと思い、今回選んでみました。


この物語のメインキャラクターはチャールズ・ストリックランド。後期印象派の画家、ポール・ゴーギャンをモデルにしたと言われている人物です。

ロンドンで妻と二人の子どもとともに暮らす物静かな株式仲介人であるストリックランドは、

「とてもおとなしい御主人」
「とても退屈な人」
「全く俗な人」

と形容されます。しかしある日、彼は突如家族を捨てて失踪。流れる噂は、「女とともにパリへ駆け落ち」。

しかし、ストリックランドがパリに渡った本当の理由は違いました。それは、止めることのできない「絵画」への情熱。

ここから、彼のとんでもない暴走劇が始まります。

家族を見捨てたことを意に介さず、彼を気遣う周囲の人たちをなぎ倒し、絵画への没頭は彼自身すらも破壊し、彼を壮絶な最期へと導いていきます。まるで、悪魔が憑りついているかのように。


凄まじい情熱に付随する破壊性。「そちらにいけば間違いなく破滅的な難が待っている」とわかっていても止められない衝動。

この物語の迫力は、そんな「情熱」と「受難」の同居が、形を変えながら、登場するあらゆる人物のなかに鮮やかに表れていることです。それがどんな形で表れているのかを語ってしまうと、読む楽しみが激減してしまうので書くことはできません(小説の紹介って難しいですね......)。

ただ一人だけ、中盤から登場するダーク・ストルーヴの存在にはぜひ注目して読んでほしいです。

彼は優れた絵画を見抜く能力がずば抜けています。死後になってようやく評価を得るストリックランドの才能を、当時彼だけが見抜いています。

残念なのは、ストルーヴ自身が描く絵は極めて凡庸であること。間抜けで周囲から馬鹿にされる存在です。けれど誰よりもお人好しで、おそらく読んだ人は彼のことが好きになると思います。

ところが、彼もこの物語に出てくる多くの人物たちと同様、道理に反した自身の情熱に翻弄されていきます。

ストリックランドからひどい扱いを受けながらも、彼の絵画の才能への敬意から、狂っているとしか思えないような形で支援の手を差し伸べ続けます。その狂気の表れ方が、僕の感想で言えば誰よりも狂っています。お人好しのキャラクターとのギャップが一層そう思わせるのか、ストリックランド以上にやばい。

......やばい!!

「開いた口がふさがらなくなる」というのはこのことかと思い知らされます。詳細は書かないけれど、とにかくやばい。


この物語を読んでから、ずっとひとつのイメージが頭にこびりついて離れません。物語のなかでも一瞬だけ「鳥の巣」のメタファーが出てきますが、以下は物語からの引用ではなく、読んでいるうちに頭の中に浮かび、僕が勝手につくったお話です。

深い深い地割れのなか。
壁面から横に伸びた木の枝に、小さな鳥の巣がある。
そこには、二羽のひな鳥と、それを育てる一羽の親鳥が住んでいる。

見上げれば、はるか彼方に細く狭い空が見える。
しかし食べるものは足りず、弱った身体ではとても飛んでたどり着ける高さではない。
ひもじいものの、ここでの生き方には慣れ、これからも生き続けていくことはなんとかできそうだ。

その巣には、ひとつのタマゴが置かれている。
とても美しい色をしているが、どこか不気味でもある。
ひな鳥たちはそれに近づこうとはしない。
親鳥も、その存在を気にしながらも、一定の距離を置いている。
タマゴは動かないが、こちらをずっと見ているような気がする。

親鳥は知っている。
このタマゴを孵してしまえば、おそろしい何かが生まれてくることを。
おそらくそれは、ひな鳥たちを呑み込み、親鳥すらも食い荒らしてしまう。

しかし、親鳥はやはり知っている。
このタマゴから生まれるものこそが、深い地割れを脱して、空へ飛びたてる力を持っていることを。

タマゴは動くことなくこちらをじっと見つめている。
少しずつ、その体温を高めながら。

おそらく、このタマゴの名前は"Passion"であり、ストリックランドはこのタマゴを孵してしまった人物なのだと思います。そうして生まれてきたものは、周囲を破壊し、自身すらも食らってしまう受難を招く。その代わりに、その暴力的とも言える圧倒的な力(情熱)が、やがて彼を絵画の世界の至高にまでたどり着かせる。

受難を招く危険を予感させながらも抑えきれない情熱。それは多くの人が心のなかに持っているものなのではないか。恐れから見て見ぬふりをしても、そのタマゴはじわじわと体温とエネルギーを上げて、孵化の瞬間を待っているのかもしれません。


物語のタイトルになっている「月」と「六ペンス硬貨」。同じ円形で、同じ銀色に輝くもの。

これはモームの前作『人間の絆』に対する書評に掲載された文言から持ってきているそうですが、『月と六ペンス』のなかでは一切このモチーフに対する言及はありません。だけど、この物語を表す見事な比喩だと感じます。

手が届くが、六ペンスの価値しかない日常に満足するか。
手は届かないが、情熱に身を委ねて月へと手を伸ばすか。
そして月へと手を伸ばすために、危険を承知でタマゴを孵化させる勇気を持てるか......

「天才」とは、ある分野で難なく秀でた実力を発揮できる人のことではない。むしろ、高みに行けば行くほど、遭遇する難の数は常人よりも多いはず。ならば「天才」とは、それらの難を前にしてもなお、情熱を失わずに没頭し、卓越にたどり着ける人のことなのではないか。難を感じない人ではなく、難によっても止められない人のことなのではないか。

才能や情熱と、受難。それは表裏一体なのだと思います。ということは裏を返せば、この受難の時代に、それでもなお失われない想いが燃えている人がいるとすれば、それは本物の情熱を持っている証と言えるのではないでしょうか。

今の情勢のなかでは思い切りそれを爆発させることは難しいかもしれません。けれどきっと、耐え忍んででも失わずに持ち続けるべき価値のあるものなのだと思います。


序盤の20ページほどは芸術論議が続きます。著者モームの毒とユーモアあふれる筆もあって、アートが好きな人にとってはかなり面白いパートであるはず。ですが、人によっては少し退屈するかもしれません(本のなかでも「これはすべて余談である」と明言されています)。

でもどうか、そこでこの本を置かないでほしいです。その先から物語は動き出します。心かき乱される、とてつもない情熱と受難に向かって。


※様々な翻訳版が出ていますが、初めて出会って読んだ角川版を貼っておきます。岩波版の冒頭には著者による「はしがき」が付いており、モームに寄せられた盗作疑惑に対する開き直りの弁明が面白いです(笑)

本の紹介記事は、こちらのマガジンにて更新していきます。これまで延べ約700冊の読書レビューを綴ってきたなかから、家ごもりの良きパートナーになってくれるであろう本を独断で紹介していきます。

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