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他者への義務感を、自分の表現を抑え込む理由や言い訳にしてはいけないのだと思う。

最近は仕事モードばかりになっていたかもしれない。自分の表現を磨くことよりも、他者の表現を磨くことに必死になっていた。果てしない量の原稿と、自分の未熟さへの自責の念に駆られて、自身の表現は後回しにしなければならないと感じていた。

そんななか、ムーミンの生みの親であるトーベ・ヤンソンの評伝を読み始めた。「歩くよりも先に描くことを覚えた」という彼女の、人生を通して尽きることのない凄まじい表現欲に触れて、自分のなかで何かが変わりつつある。

たった一度きりで、誰にも代わりを頼むことができない自分の人生。そのなかで感じたことを、考えたことを、ほとばしったことを、自分が表現してあげなければ、他の誰が解放してあげられるのだろう。形や音や言葉を与えられなかったそれらは、どこへ行ってしまうのだろう。

他者への義務感を、自分の表現を抑え込む理由や言い訳にしてはいけないのだと思う。


「義務感と意欲の間でどう折り合いをつけるか。これは絶えず私の課題であり続けた。でも、少しずつ私は私らしく、私なりの解決に辿り着きつつある。意欲だけが、願いや喜びこそが自分であり、義務でやらされたものは何ひとつとして、自分にも周囲にも喜びをもたらさない」

──『トーベ・ヤンソン 人生、芸術、言葉』(ボエル・ヴェスティン著、フィルムアート社)


自分の表現を後回しにしていられるほど、人生は長くない。そのことを思い出した。

......ということでこの記事は、自己表現再開の第一歩。

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