自然でありたい
こんばんは。
「疲れさせないことの価値」を読んで印象に残った文章がありました。
いくらでも飾り立てることができ、実際とは違う虚像を演じることができる時代だからこそ、無理せず自然に成り立っているものの価値が上がっていくのではないか、と。美しいものは人の心を癒すけれど、無理して作られたものは受け手にまでどっしりと重たい疲れをもたらしてしまう。最近アメリカを中心に、インスタグラマーが『素の』投稿をしはじめているのもこうした疲れの作用が大きいのではないかと思う。
SNSを見てる側は、そこに映し出されているのが本当にそのままの姿で映っているのか、または人の手やPhotoshopなどの技術が加えられて”虚像”が映し出されているのか。
その違いは今までは発信する側・作る側だけが知っていた時代があったと思う
けど、最近は少しそれが見る側・受信する側にもそれが伝わってきている気がする
最近のインスタと、この文章をリンクさせるけど、
ここ1、2年インスタを見ていると、そこには旅行に行った時に撮った真っ青な綺麗な海の写真や人気のカフェのケーキの写真が多く投稿されるようになった
そのほとんどが加工されたような画質・色彩をしていて、素人の僕の目でも自然の色かもしくは虚像かが判断つくようになってしまった
そしてそういう写真を見るたびに
また加工された写真か
なんでそのままの写真を投稿しないんだろう
誰のためにここまで加工しているのか
加工して綺麗になった投稿に対して、いいねが欲しいのかな
色々考えるようになり、これがまさに冒頭で紹介した文章にあったので、印象に残ったのだと思う。
無理して作られたものは受け手にまでどっしりと重たい疲れをもたらしてしまう。
ありままの姿を、自然な姿を好きなる。無理しない
そうすると人って自然な輝きを自分では知らないうちに内側から出してるんだよね
インスタの場合だと、今の時代スマホのカメラの画質も良くなってきているのだから、加工する必要はないと思う
少しカメラの勉強をしたら上手に写真を撮れるようになるし、
ましてや無理してやってるなら、いつか自分が疲れちゃうよ
もっと人間味のある投稿をし続けたら、それが価値になると思う
だから、ありままの姿を、自然な姿を好きなる。無理しない
これを自分の中でまずは意識することがすごく大切だと思うし、そういう人たちがこれから増えていくと、もっとみんなが生きやすい社会になるのかなあと感じた。
Tschüss またね
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