便利な時代を不便に生きている
ここ何十年かの間に家電は目覚ましい進歩を遂げている。
携帯電話(スマホ)もそうだ。通話機能はもとより、超高画質の写真が簡単に撮れる。簡単に送れる。
パソコンを使って、会社に出社せずとも仕事ができる時代が来るなんて、私は想像すらしていなかった。
私の幼少期の洗濯機は2層式が主流で、それを特段不便とも思わず、手で揉み洗いしなくてよいのだからむしろ便利な家電として使っていた。
テレビもそうだ。テレビ本体にある、まわしの部分を回してチャンネルをかえていた。もちろん録画機能などない。
今では1週間分のドラマ、バラエティ等は
見逃し配信され携帯電話(スマホ)でどこからでも簡単に見れる。
洗濯物など、ボタン一つで洗濯から乾燥まで済ませてくれる。
欲しい物があればクリック一つで翌日には玄関先に届いている。
色々な作業、家事が時短で終わるこの時代を、40年前の私に聞かせてあげてもきっと信じてはくれないだろう。
しかし
この便利すぎる時代に、私はどうしようもない窮屈さを感じている。
なぜだか分からないが、毎日忙しすぎて目が回る。時間の余裕が全くないし、心の余裕も全くない。
お米は洗って予約しておけば、好きな時間に炊きたてご飯が出来ている。
お風呂だって、予約しておけば快適な温度で好きな時間に沸いている。
昔はどちらも付きっきりでやらなければならない仕事だったはずだ。
私が住んでるのは田舎だが、スーパーやコンビニはどこに行こうか考えてしまうほどの店舗数があるし、飲食店でのテイクアウトが充実していて、ご飯を作る時間がなくても何でも買ってきて食べることができる。
それなのに、日々の生活に余裕がなく、毎日が窮屈で、好きな事をする時間もなかなか取れない。子供にゆっくり向き合う余裕がないのはなぜなんだろう。
私の時間の使い方が上手くないのは認めている。それにしても、だ。
こんなにも便利な時代に、ある種の不便のような物を感じながら今日も生きている。
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