幸せを連れてきた「あのときの不幸」に感謝

いつもありがとうございます😊




すべての人が「これが幸せ」と言えるものが、


この世界に、あるでしょうか?




AさんBさんにとって「幸せ」なことでも、


Cさんにとっては、「幸せではない」かもしれません。




全員一致で、「これが幸せだ」と思えることは、


この世界に存在しない。




だとすれば、「不幸」という現象も、この世界には存在しません。




たとえ、どれほどお金を持っていても、その人が「不幸だ」と思っていれば、その人は「不幸な人」なのです。




逆に、お金がなくても、本人が「幸せだ」と感じていれば、幸せになるのです。




自分にとって幸せだと思える事があったとします。




すると、昨日まで不幸だと思っていた病気や事故なども、今日の「幸せ」に至るための要因だったことがわかります。




逆に、自分ほど不幸な人はいないと思うと、


昨日までの出来事が、今日の「不幸」の要因になってしまいます。




昨日まであれほど「自分は不幸だ」と思っていても、今日、よい出来事があれば「自分ほど幸せな人はいない」と思い、


昨日まであれほど「自分は幸せだ」と思っていても、今日、悪い出来事があれば「自分ほど不幸な人はいない」と思います。




つまり、「幸」と「不幸」は、簡単にひっくり返るものなのであり、「自分の気分次第」ということです。




「幸」と「不幸」という現象があるわけではなく、「そう思う心があるだけ」です。




人間は未熟なので、目の前の出来事について、「よい、悪い」「幸、不幸」と評価してしまいがちですが、今起きている悪いことが、不幸なことだとは言い切れません。




あの体験のおかげで、いろいろな人に出会えたということに、気づけるからです。




人生は、「前半分と後ろ半分」が「ワンセット」になっていて、前半部分がなければ、後半の「幸せ」を感じることができません。




「お腹が空いた」という前半があるから、後半に「おいしい」と感じることができるのです。




「幸せ」を感じるためには、その前半分の現象として、一般的に「苦しい、つらい、悲しい」といわれていることが、必要だったのです。




そのことがわかったら、起きている現象について、「よい、悪い」「幸、不幸」と、評価論評しなくなるのではないでしょうか?




ぜひ「小林正観」さんの本も読んでみてください。


僕は、このような見方、捉え方を日々実践中です。




最後まで読んでくださってありがとうございました😊

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