パパ70日目 ひ孫の顔を見せにいく

パパ70日目。ひ孫の顔を見せに行く、の回。

納骨堂へ行ってきました。

妻と出会ってから、程なくして他界した、祖母(亡くなる前に妻と会ってもらえてよかったと、何度も繰り返し思う)。卵屋さんへのお買い物、リハビリ、通院、お見舞い、お葬式。晩年の祖母との思い出は尽きない(詳しくは54日目を参照)。

祖母より2年早く他界した、祖父。シベリア抑留から生還し、職を得た地に根を張り、祖母と出会い父を育て、私の幼い頃にはよく飴をくれました。お盆やお正月はいつも、祖父を囲んで家族麻雀。面前ピンフ三色の綺麗な満貫を教えてくれました。「麻雀は、基本的には、鳴かん方がいい。手が狭うなる。」と、口癖のように言っていたのを、まるで今でも目の前にいるかのように思い出します。「鳴かないことくらい、じいちゃんができるなら僕だってできるはず」と思っていたけれど、実際はそれがなかなか難しい。そういえば日頃から口数の少ない祖父でした。足を怪我して帰還した祖父は不自由が多かっただろうけれど、辛抱強く生きてきたんだろうなあと思う。私はどちらかといえば、思ったことを口に出さずにはいられない性格だから、祖父のような麻雀ができないのかもしれない。けれど今一度、こう思いたい。祖父にできたのなら、きっと孫の私にもできるはず。言うべきことを言うだけではなく、言いたいことを飲み込んでじっと辛抱する強い心も身につけよう。そうして、この家族を守ってゆくのだ。


そんな祖父母の眠る、納骨堂に行ってきました。仏壇の前で、「じいちゃん、ばあちゃん、ひ孫を見せにきたよ」と声をかけると、祖父母の笑顔が瞼の裏に浮かび、私の隣で微笑んでくれている妻の存在がなければ、おいおいと泣いていたことでしょう(麻雀では鳴くし、ララランドを観ても泣いてしまう、どうしようもない孫です)。報告のついでに、「じいちゃん、ばあちゃん、ひ孫のことを見守っていてね。災いから守り、幸福をもたらしてね。」と、わがままなお願いをしてきました。「わがままなお願いだけど、孝行孫の言うことだから、いいでしょ?」と、いい歳をして甘えたことを心の中で呟きながら。


私の曽祖母二人は、私が小学校に入る前後まで存命だったので、曽祖母ふたりとの記憶は大切に胸にしまってあって、時々元気をくれます。我が子は曽祖母とは会えないのだなあ、なんて思うと寂しい気がします。そんなこと、考えても全くもって仕方のないことなのでしょうけれど。単に私が幸せ者だったという結論しか導かれないのかもしれません。ただ、我が子には、「お父さんには素晴らしいおじいちゃんおばあちゃんがいてね、その二人は君が幸せになることを心から望んで遠くで見守ってくれているんだよ。」と伝えるくらいはいいかな、と思う。「君は決して孤独ではない。パパもママも君のことを愛しているし、パパとママを愛してくれる人たちも君のことを愛してくれている。だから君は自信をもって、幸せになりたまえ。それがパパの幸せでもあるんだよ。」


新米パパも、かつては新米孫でした。我が子は今日、新米ひ孫(バーチャル)に。今年の正月は、家族麻雀、できるかな。もしできたら、決して鳴かない麻雀をしよう。

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