見出し画像

去る者は日日に疎し


*生き物が死ぬ話です。ご注意ください。

振り向くと彼女がいた。最後に顔を見たのが2011年の夏だったから、もう7年も前のことだ。


他愛もないことで縁が切れてしまったひとが、過去にふたりいる。ひとりはMさん。取引先の営業アシスタントで、私より7つ年上。平日はOL、土日は趣味で役者をやっている面白いひとだった。仕事をやめて、当時付き合っていた舞台作家(の卵)である彼氏と演劇一本で食べていくと、宣言したのは出会って3年目の冬。勇気ある決断とMさんからみなぎる熱量に圧倒され、みんなでお祝いの飲み会をひらいた。当日、Mさんはぐでんぐでんに酔っ払い、おっぱいをさらしたあげく全員店を追い出された。酔い潰れたMさんを押しつけられて、何度も遊んでいたものの住所も彼氏の連絡先も知らない私はつぶれたカバンから財布を引っ張り出して住所をつきとめ、どうにか新宿の鳥ぎんから新井薬師前までタクシーを飛ばした。築30年は越えてるであろうアパートに到着し、健康保険証に書かれた部屋番号を確認し扉を開ける。Mさんは自宅に到着した安心感からか、玄関先でリバースした。油と鶏肉とアルコールと胃液まみれの吐しゃ物は冷たい床に置かれていたケージと、Mさんが飼育していたハムスターを直撃した。

思い返しても、あんなに絶望した夜はない。


何度ひっぱたいても酔いの冷めないMさんをベッドに寝かし、半泣きになりながらケージを洗い、ちいさな身体に心肺蘇生を試みたがもちろん無駄に終わった。Mさんの部屋は1階で、申し訳程度にちいさなベランダがあったのでお玉で庭の土を掘り返し、そこに遺体を埋めた。なかば放心状態で冷蔵庫をあさるとガリガリ君があったので、食べ終わったあとのアイス棒に「ハムスターちゃんの墓」とマジックで書いて墓標にした。師走の明け方にこんなことをしていた私もだいぶ壊れていたのかもしれない。

こんこんと眠り続ける姿に半ば諦めた私は、ひと通り部屋を片付けベッド脇にあったルーズリーフにことのてんまつを書き、帰宅した。翌日も、翌々日もMさんからの連絡はなかった。友人経由で話を聞いたところ、私に「ひどいことをされた」らしい。らしい、というのは、面と向かって言われておらず、メールも無視され、電話も着信拒否されたから。突然の仲違いに周囲もびっくりしたが、それ以上に私の開いた口が塞がらなかった。

いやいや、ハムちゃんキラーはおまえだろ。

いまじゃ笑い話である。Mさんの消息は知らないが、元気でやっていることを願う。どうか2代目ハムスターは飼わないでほしい。



縁が切れてしまったもうひとりは、Kさん。2011年夏まで懇意にしていたひとだ。私より2つ年上、もとは学生時代のアルバイト先の仲間で、当時すでに社会人だったKさんはダブルワークで働く頼れる「お姉さん」だった。私が大学を卒業し、社会人になり、お茶やごはんにいったり遊ぶ機会が増え始めた。出会って5年目の春、ちょうど東日本大震災のあと、余震がひどく津波の被害は拡大し、テレビは公共広告機構のCMが延々と流れ、死者数だけが増えていく。陰惨な空気に包まれた東京の片隅で私達はお花見をした。

知人の小料理屋のマスターは四谷に店を構えていて、上智大学そばの真田堀がお花見スポットだと教えてくれた。ホテルニューオータニから5分程川べりに歩くとみえる桜並木の下で、マスターの飲み友達を中心に20人近く集まっていた。Kさんの男友達も数人参加し、うち1人のA君と私は後日付き合うことになる。彼とは1年ももたずに別れてしまったのだが、付き合い始めて2~3か月後にKさんの耳にはいり、それ以降私はシャットダウンされた。

Kさんに交際の事実を、また縁を繋げてくれたお礼を言わなかったことが原因なのか、いまもわからない。当時Kさんには彼氏がいたし、なにがどうややこしくなって私との付き合いをやめたかったのか、聞けないでいる。というよりも、当時の私は突然の拒絶にパニック状態でKさんに何度も電話したし、借りていた浴衣の小道具も返したいから会おう、といったが「郵送にしてくれ」とにべもなかった。なぜ、と繰り返すも一向に答えはもらえず、友人同士なのに一方的に恋人に別れを告げられた、みたいな展開になっていた。いまも覚えているのは「郵送にして」と電話を打ち切られてオフィスのトイレから戻った私が死にそうな顔をしており、その夜先輩があわれんで焼き鳥屋に連れて行ってくれたことだ。


最初の話にもどる。その日、三越前で降りて映画館に向かうエスカレーターで私に声をかけたのはKさんだった。

あれ、〇〇〇じゃない? その呼び方は彼女だけの特権だった。思わず振り向くと7年ぶりとは思えない、そのままのKさんがいた。おー、元気?ここで何してるの。会社がすぐそこなの。帰るとこ。そっちこそどうした?

何気ない会話。仕事の近況、趣味の話、共通の友人。ほんとうに、あの頃と同じ流れのまま話をすることができた。お互いたわいもないことばかりで話し、次会おうとも言わないまま、頑張ってねといって別れた。たった15分程だったけれど、人生の切り返しには十分すぎる時間だった。

Kさんはあの頃のまま、ちゃきちゃきとしたお姉さんだったし、こうやってちゃんと「お別れ」をさせてくれた神様に、私はものすごく感謝している。


ずっとiPodにいれてる音楽がある。

GLAYの「つづれ織り -so far and yet so close-」

Kさんが好きだった曲で、ご飯食べながら片方のイヤフォンを借りて、2人で聞いたことがあった。もう忘れてるかもしれないけど、私にとっては大事な曲で、たぶんこれからも聞くたびにふっと彼女のことを思い出す。そんな気がする。




いただいたサポート費用はnoteのお供のコーヒー、noteコンテンツのネタ、映画に投資します!こんなこと書いてほしい、なリクエストもお待ちしております。