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平成を生き延びた話 + LGBTのこれから

平成が、壮絶に、終わる。31年。長かった。昭和64年もあったので一概には言えないが。新元号は個人的には「大覚」を推している(アキラをみたばかり)


身内に言われたことがある。あなたは弱いもの、少数派に寄り添いがちで、それはよくないことだと。当時高校生だった私は批判されたようで、とても傷ついた。彼らは別に差別をしろ、といったわけではなく少数派の視点を持ちすぎると生きづらい、そういうことを言いたかったのだといまならわかる。けれど人生は大局を見つめるには思ったより短くて、いつか、そのうち、と言っているうちに時間はどんどん過ぎ去っていく。体も心もヒトモノカネも足りないのだ。


2020年に訪れる変化

表参道のsubaCOで行われた、プライドハウス東京ワークショップに参加した。クラウドファンディングで世界中の本を翻訳しているサウザンブックスの古賀さん、LGBTステップファミリーを応援するにじいろかぞくのおのはるさん、ユース教育に力を入れているReBitの薬師さんとお話ができた。2020年に開催される東京オリパラ。五輪憲章では「人種、肌の色、性別、性的指向、言語、宗教、政治的またはその他の意見、 国あるいは社会のルーツ、 財産、 出自やその他の身分などの理由による、 いかなる種類の差別を受けることなく、 確実に享受されなければならない」としている。なかでも性別、性的指向にフォーカスしたLGBT層の「居場所づくり」としてプライドハウス東京は開設をめざしている。



「プライドハウス」は2010年バンクーバー冬季オリンピックで初めて開設され、閉鎖・保守的になりがちなスポーツ界で若きアスリートや当事者の家族たちが安心して参加できる場所を提供してきた。お話を聞いていて次世代のLGBTの若者が安心して集える場所づくりはまさに私たちの役目なんだと痛感した。シェルターのような逃げ場所だけではなく、若者が未来を語り、自分の価値を見出すことのできる場所があってしかるべきだと。欧米では各国にLGBTセンターがあり、ユースを応援するNPOや、IT業界のワーキングレズビアン(+アライ)に特化した Lesbian who Tech なんてイベントもやっている。このあたり、まだまだアジア圏は追いついていない。同性愛というだけで刑罰がくだる国もある。



次世代に向けて我々が築けるもの

中学生の頃、私の地元の図書館には同性愛のカテゴリはなく「精神病」「カルチャー」に分類されていた。誰かにみられたり、貸出履歴がつくのがいやで、図書館のすみっこで隠れるようにその手の本を読んでいた。トランスジェンダーの杉山文野さんがかかれた「ダブルハッピネス」は地元の本屋に置いてあったが、購入まで3回躊躇した。あの本にぶん殴られて、救われたんですよ、と本人に伝えるとちょっと笑っていた。「僕もそういわれて救われるところがあります」と。生きていてよかった、と思えた瞬間だった。


子どもは無力だ。17,18歳になり精神的、社会的に独立できるようになるまでは大人の庇護のもとにあり、どうしたって「社会に受け入れられなければ」というプレッシャーがかかる。そんなとき、みんなと違う、自分は異質だと、居場所がないと嘆いてしまう子どもたちに生き延びるすべとして、カルチャーがある。映画や本、空想の物語、どこかにいるもうひとりの私、もしくはいつか出会うであろう王子様/お姫様の姿(*妄想です)に私は何度も救われた。


私が平成を生き延びられたのは色んなひとや文化の支えがあったからだ。おごりに聞こえるけれど、Age35を越えて折り返し地点に立ったのだとしたら。残りの人生はこれから芽吹く若者たちに少しずつ返していきたい。その時はいつだってプライドを忘れずに。



参考文献





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