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献血の行方

少し前にマンボウ先生が始めたキャンペーン、https://note.com/drsunfish/n/nff64a9c25cd0?magazine_key=m000179031dba

輸血を受けた方の記事があんまりないな、と思ったので、こちらに参加させていただくことにしました。私も血液疾患が分かる前は献血もしたことがあり、その時には「誰かの役に立つといいな」というくらいの(というか、その程度の認識ですよね)感じだったのですが、自分が輸血を受ける時には、本当に提供していただいた方に感謝しかなく、それをあらためてお伝えしたい、と思い、この文章を書いています。

私の病気と経過

簡単に。私は、前世紀の終わりころに、血小板増多血症、という病気が判明し、その後「骨髄線維症」という病気に進行していました(発覚は2010年)

これは慢性疾患なのと、移植ドナーに弟が適合したことから、粘りに粘って2019年の年末に移植。自宅療養を経て、今年の4月から仕事に復帰しています。

初めての輸血

その後、数え切れないほどの輸血をすることになったわけですが、私が初めて輸血をしたのは、2014年9月18日のことでした。

当時のことを書いた記事があります。もともとのブログから、こちらのブログに移した記事になります。

当時、骨髄線維症は薬がなく(ゼロではなかったと思うのですが)脾臓肥大では脾臓を摘出したり、という時代もあったようです。記事内に書いている「ジャカビ」というのが、当時承認が下りたばかりの薬で、この時は治験ということで実質半年くらいの服薬だったのですが、移植の2年前くらいから線維症は進行していたので、その時にも飲んでいました。

この、ジャカビの副作用で「貧血」がひどく出てしまったんです。それまでの私と言えば、自分がいわゆる「貧血状態」であることは分かっていたんですが、あまり生活でも苦労しておらず、ピンと来ていなかったんですが、この時「貧血って、こういうことなんだ」と実感した時でもありました。

そして移植へ

治験が終わって、「あなたにはジャカビが効きますね」ということも分かったけど貧血の副作用もひどかったこと、ジャカビというお薬は結構高かったこともあり、一旦服薬は中止。その後2017年の夏に「状態からして、そろそろジャカビを再開しましょう」という話が出ました。

いつか、移植、ということは頭の片隅にずっとあったし、ジャカビもどこかで再開だろうなと思っていたし、脾臓は本当に大きくなっていて(直径だけだとハンドボールくらい? へそを超えていました/普通は肋骨の中に納まるサイズ)潮時か…というのが正直な気持ち。

で、ジャカビ再開したら、やっぱり貧血で、月一回の通院時はほぼ輸血という感じになっていきました。

そしていよいよ移植。病棟から出られず(移植中はクリーンルーム病棟から出られません)二日に一度くらいは輸血をする日々が続きました。私の場合、サイトメガロウイルスがいない、ということで、輸血もそれを選んで(そういうことが出来るのだと初めて知りました)やりますね、と言われ、事前に「予約」をしておき、当日「決定→配送」のようになっているらしく、その「来た輸血」は、県内だけでなく、県外からも来ていました。

移植で輸血するまで、そういう情報を気にしたことがなかったのですが(もちろん「ありがたいなぁ」とは思っていましたが)移植中に気づいて、その後は来たら「どこから来たのかなぁ」と見ていました。

私の病院は岡山で、県内も多かったのですが、広島とか、島根、愛媛、高知など中四国から来ていました。愛媛や高知は海を越えるし、島根は人口少ないから多分献血してくれる人も(数として)少ないだろうに、この子たちはわざわざ「駆けつけて」くれたんだなぁ、などという妄想をしていました。

「予約」の場合は、多分近くまで来ている(待機的な?)感じなので、高知とかから来て、血液センターでこの子たち待機してたんだな、とか。

移植中は、とにかくドッカンドッカン血が壊れるので、その分ガンガン入れて行かないと死んでしまいます。私の命をつないだ、あの輸血が「遠くの誰か」の献血によるものだということを、その「県名」を見て、しみじみと感謝しました。

私はもう、献血することは出来ない体ですが、献血の恩恵を受けたものとしてこの記事で一人でも「そうか、役に立つんだな」と知っていたいて、励みにしていただくとありがたいと思います。
そして、今まで、これから献血してくださる方へ。本当に、本当にありがとうございます。一患者として、心からのお礼を申し上げます。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。お役に立ちましたら幸いです。 *家飲みを、もっと美味しく簡単に*