「動植鉱」鉱物趣味は精神年齢を測るモノサシ?
かつてのブログで「人は歳を取ると土や石に興味が湧く」という話を書いた。
人の興味関心は、年齢と共に動物→植物→鉱物と変遷していくものなのだそうだ。
なるほど自分も、アラフィフに突入した頃から山菜採りや石探しが好きになったし、周囲にも子育てがひと段落し、趣味の登山を始めたという人が多い。
中には週末はほぼ山で過ごすという友人もいて、「山の稜線に萌えるのよ~」なんて話を聞くと、昨今のアウトドアブームは密を避けるレジャーだからというより、単に人口のボリュームゾーンである我々世代が山(鉱物)に目覚める年齢に達したせいではないかと思えてくる。
山だけではない。
某鑑定番組に登場する骨董の焼き物コレクターは、年配の男性ばかり。
そして宝石や貴金属といったジュエリー好きは、年配の女性に多い。(もっとも彼女らは失われた自分の輝きをジュエリーでカバーしたいだけかも。)
宮沢賢治は幼少期から鉱物マニアで、精神的にも早くに達観していたというが、そう言えば”仏像博士”とあだ名がついていた中学時代の私の同級生は、後に科学者になったと聞く。
また先述の友人によれば、山で出会う人は圧倒的にインテリが多いのだそうで、もしかすると鉱物趣味は精神年齢を測るモノサシと言えるのでは・・・?
というのは邪推だろうか。
かく言う私はというと、そろそろアラフィフと呼べない年齢に差し掛かり、植物(庭いじり)には片足、鉱物には指1本ぐらい踏み入れたかなという感じ。
果たして還暦を過ぎたら宝石コレクターになるのか?はたまた枯山水か焼き物か・・・!?と、ありそうもない優雅な老後を妄想するのである。
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