見出し画像

結婚記念日

 今日11月3日は私が再婚した男性と結婚式を挙げた日。もう17年前になる。この日は大嵐で、すごい雨の中、沢山の人達が式場に参列してくれた。この大変なお天気の中、沢山の人から受け取った愛情を私は生涯忘れない。あれから過ぎた17年間、いろんな事があった。
 
 40歳、41歳で出産し、私は4人の母となった。長女は20歳をすぎてすぐに結婚し、私の産んだ末っ子が生まれた翌年に私にとっての初孫が誕生した。その後もう1人孫が増えて、家族が集まると、まるで保育所のような賑やかさになった。私は子育てしながらパートにも出て、今から思えばとってもパワフルだったなぁ…。
 
 子どもの誕生日や母の日、クリスマス等々、イベントの度に夫の両親や妹、私の母や大きな子どもや孫たちを、わが家に招いておもてなしした。あまりの人数の多さに、夫の身内側、私の身内側と2日に分けて行うこともあった。大変だったけど、メニューやテーブルセッティングを考えるだけでワクワクした。本当に賑やかで楽しい日々だった。とは言っても問題が何もなかったわけではない。
 
 人数が多い分、悩みも尽きなかった。末っ子は体が弱く3歳で喘息で入院した。その後もずっと吸入器持参で学校に通い、食物アレルギーで給食も除去食。動物アレルギーで遠足に行けないこともあった。それが中学3年生の今では、犬を飼っても平気、足が速くリレーではいつも選手に選ばれる。スポーツテストでもトップ10に入る種目が多く、廊下に張り出される結果表には名を連ねる。
 母は涙が出るほど嬉しいよ。

 舅や小姑ともやり合ってきた。うつ病を患っていた2人なので、私には訳がわからない事が多かった。キレたらすごい剣幕だ。理不尽き回る暴言を吐かれたり、うちの家のドアを足蹴りされたこともあった。けれど、その舅は今では認知症を患い施設にいる。過去は消えたようで、とても穏やかなお爺ちゃんになった。
 
 小姑も、結婚後しばらくは症状が悪く、新婚当初は旦那さんに離婚を迫られる危機にあったが、念願だった男の子を儲けてからは、家族仲良く助け合って過ごしている。
 本当に良かった。良かった。
 
 私の長女の離婚、再婚、そしてまた孫が増えて3人の女の子のお婆ちゃんになった私は、わが子も孫も愛おしくて愛おしくて、手料理を振る舞うこと、誕生日やイベントに贈り物をすることで、愛情表現していたように思う。けれどまた長女は離婚した。ショックは大きかったが、紛れもなく我が娘。今では実家となる我が家の近くに住んでいる。いつ爆弾が破裂するかわからないハラハラを抱えながらも、これも人生哉……。
 
 10年前、26歳になる長男のフィアンセが事故で亡くなった時には、人生最大の悲しみを味わった。けれど、この時息子と真正面から向き合ったお陰で、息子の私に対する態度が劇的に変わった。息子とは今でも心が繋がっている確信がある。そして彼は、どんな時もとても優しい。
 
 3番目の娘は中学1年生の夏休み後から不登校。ユニークな彼女は未だにドッキリ!訳ワカメ…の連続であるが、彼女のユニークさは芸術なんだ…と、私自身に言い聞かせている。最近は写真部に入部し、絵を描いたり、小説を書いたり、好きにやっている。勉強が嫌いで先週の数学の試験で19点という赤点を取り、翌日急遽追試となった。私はそんな翌日にテストしても赤点に決まってる!と気落ちしていたが、彼女は数学が得意な友だちにライン通話で指導を乞い、翌日の試験では満点を取った。数学の先生もこれには、驚き桃の木サンショの木…だったそうだ。
 本当に君は不思議人間だね。


 そして愛するダーリンは、こんな面白い変な面々に押されもせず、ドッシリと大黒柱の務めを果たしている。出会った頃は真面目で、口数も少なかった人が、今では1番変わったかもしれない。いや、素が出てきたのだろう。かなり変な人だ。けれど頼もしい夫は、私にとって世界一大切な男性だ。

 今年の7月、私の両親が10日違いで亡くなった。離婚して別々なのにも関わらず、母が死んだことを知った父は、かなりのショックを受けていた。そして10日後亡くなった。これは私の人生観にかなり影響した。
 
 人生には色々あるさ。現実と心の中は必ずしも一致しなくとも、『心は巧みなる絵師の如し』故、心の作用は現実に現れてくる。だから、自分の心に嘘をついてはいけない。嘘をつかないといけないような事はしない。自分の心を浄化していく努力こそ、人として生きる価値があると思う。
 と、理想を掲げながら、毎晩ワイングラスを片手に、てんこ盛りのお料理を平らげ、豚街道まっしぐらな日々を送る、今の私である。
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?