おねえさん

以前、東北の田舎で、畑に囲まれた長屋に住んでいた。
部屋の壁の向こうのお隣に、中年のおじさんと中学生のおねえさんが住んでいた。
幼稚園児のわたしは、おねえさんによく遊んでもらった。
南側の掃き出しのガラス戸を開けると、手入れしてない雑然とした庭があり、夏には、自分と同じくらいの背の高い、オレンジ色と真っ赤なケイトウの花が燃えるように咲いていた。
お盆の頃には、おねえさんに、ほおずき提灯の膨らましかたを教えてもらった。
わたしは、一人っ子だけど、ほんとのおねえさんのように、温かく思っていた。
おじさんの方は、朝早く、お弁当の包みを自転車のカゴに入れて出かけていたが、無愛想で、固い感じで、好きではなかった。
でも、一度、ナマズ釣りにヨシの茂る川辺に連れていってくれた。おじさんは、「ここはダメだ」と言って、釣り場所を数回変えた。ナマズは一匹だけで、楽しくなかった。

朝昼夜かまわず、ときどき、お隣の部屋から、おねえさんの泣きさけぶ声と「ごめんなさい、ごめんなさい、、、」と謝るような、声が聞こえてきた。
そんな時は、お隣との境の壁を見て、胸が縮んで、泣きそうになった。
おとうさん、おかあさんは、黙ったまま、していることを続けていた。

おねえさんは、学校から帰ると、セーラー服のまま、おかあさんのところへ来て、笑顔で話したり、なにかを一緒にしていた。
おかあさんは、大好きなオハギを作ると、お裾分けしたりしていた。
おかあさんは、あのことについて、何か知っていたかも知れない。

しばらくして、わたしたち家族は東京の下町へ引っ越した。
おねえさんとおかあさんは、しばらくは手紙のやり取りをしていた。

おねえさんは、今、どうしているだろうか、、、
当時の貧しさからは、抜け出せたろうか、、、
泣いてはいないだろうか、、、
温かい人たちに包まれているだろうか、、、
幸せになれただろうか、、、
「今」、祈りたい。
「今」しか、あの「時」に祈りは届かない。
泣かないでよ、、、
強くなってよ、、、
幸せをつかんでよ、、、
守ってくれる人を見つけてよ、、、
優しいお母さんになってよ、、、
わたしは、確信したい。
わたしは、確信する。
大丈夫。
絶対。
幸せになっている。
「祈り」は、「今」の瞬間、もう届いている。

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