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 萬年筆くらぶの会報誌『fuente』の発送作業をする4月、8月、12月、私の部屋は花園のようになる。大量の記念切手が溢れるのだ。
 事務用の茶封筒に記念切手を貼り、モンブランのボルドーのインクで宛名を書く。400枚の封筒に一枚一枚と作業を積み重ねていく。これが結構楽しい。宛名と記念切手の配置が上手くいくときもあれば、物足りなく思われるときもある。やり直しはできない。一発勝負だ。この楽しさを味合わなければ『fuente』を発送する気分は高まらない。

 記念切手は1960年代のものに素晴らしいものが多いと私は勝手に思っている。じっと見ていて見飽きることがない。小さな小さな作品として、見る者に語り掛けてくるものがある。
 印刷技術やデザイン技術が高まっているであろう今日、記念切手に関しては首を傾げたくなるものが多い。私は美術もデザインも勉強をしたことはないが、記念切手ユーザーを30年やっている。ユーザーとして直感的にドキッとくるものを何枚も見てきた。ハードユーザーの直感は馬鹿にできない。

 今日受け取ったTさんからの手紙の一部。
 「ポストの中にフエンテが入った封筒を見つけると、とても気持ちが穏やかになります。手書きで、きれいな切手が貼ってある封筒を受け取ることは、日頃、まずありませんので。」
 萬年筆くらぶの花園の花(思い)が、全国に届いている。

 このようなささやかな仕事を続けていくことが私の役割なのかなと思っている。私には派手なことはやれない。
 そう言えば、60年代の記念切手も決して派手ではない。
 私は、60年代の記念切手のような生き方をしようとしているだけなのかもしれない。

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