見出し画像

#063 スカンノへの旅 (その10) 早朝散歩


 私は毎朝、夜明け前に散歩に出る。ひんやりとした風が頬にあたる。その瞬間、ああ、今日も生きていると実感する。何年か前、倒れて救急車で運ばれたことがあるが、その時以来、生きていることを実感できるこの瞬間が好きで、朝の冷たい風を頬に受ける。
 早朝は誰もいない。広い空間を独り占めする。いつも見馴れている近所の景色ですら新鮮なものに感じられ、初めて訪ねた見知らぬ町を歩いているような気持ちになることもある。
 空気は自然界の匂いを包んでいる。人工的な匂いはしない。春であれば新緑の匂い。夏は草いきれ。秋は落ち葉。それらが微かに感じられる。この微かさが、また自然でいい。
 東の空が少し赤色に染まってくる。あかつき(暁)。少し経つとしののめ(東雲)。そして、あけぼの(曙)となる。雲が赤色に染まってくる様子も好きだが、雲のない青色を感じさせる黒い空が赤く染まっていく色の変化は、息を飲むような神秘的な美しさがあり一層いい。
 立ち止まり、じっと東の空を見る。冷たい風が頬にあたる。ああ、生きている。私も地球も生きている。
 そのとき、西へ目を向けると、空はブルーブラックに染め上がっている。このブルーブラックの空を見上げ、自然はこのように美しい色を作り出すことができるのだと、私は毎回感動する。

 スカンノでも夜明け前から散歩した。ホテルを出るとオリオン座がクッキリと見える。誰も歩いていない。静寂。動いているものがない。時間が止まっている。石畳の匂いらしきものを感じる。昼間に見る景色と違うことに感動しながら、ひんやりとした空気を頬に感じつつ石畳を歩く。ああ、今日も、この町で絵を描く。それがどれほど幸せなことであるのかを私自身の心に確認させる。
 夜空が少し青くなり、東の空に赤色を感じた。ああ、あかつきだ。しののめだ。あけぼのだ。そう思いながら、感動しながらも、何かしっくりこない。石造りの建物の間から見える薄赤色の空をあかつきと呼ぶのも、しののめ、あけぼのと呼ぶのも、何か違うと感じてしまった。あかつきも、しののめも、あけぼのも、やはり日本の風景の中で感じる感覚的な言葉なのだと知る。

 教会の近くまで来て西の空を見上げたら、ブルーブラックの空の中で教会がシルエットになって浮かび上がっていた。自然の芸術を見せてくれてありがとう。宗教を持たない私だが、このときばかりは神に感謝した。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?